北国分駅から歴史散歩「伊弉諾神社」~「胡録神社」石畳の参道に惹かれて
北総線「北国分駅」から歴史散歩へ。駅近くの伊弉諾神社、そこから足を延ばして駅北側の胡籙神社、のどかな畑の道を抜けて二十世紀が丘の商店街まで。
北国分駅からすぐ「伊弉諾神社」
千葉県市川市堀之内4丁目26−13。北総線「北国分駅」から東へ徒歩数分、「伊弉諾神社」へ向かった。
「伊弉諾神社」。読み方が難しい…
伊弉諾(イザナギ)と読む。伊弉諾神社は、淡路島の日本最古の社・伊弉諾神宮と関係があるのだろうか。創建は不明らしいが…何故この地に伊弉諾尊を祀る神社が存在するのか不思議だ。
住宅街の中に残る歴史。
静かな境内を散歩していたら、地元の方が通りすがりに挨拶をしてくださった。境内は綺麗に整備されていて、地元の方々に愛される場所であることを実感した。
境内には千葉県で最大級という、大きなハリギリが健在であった。市川市市指定記念物。
目通り幹囲は2.26メートル。一般的な中部地方のハリギリと比較しても大きいという。市川歴史博物館の文化財のページにて紹介されている。→文化財(市指定)伊弉諾神社ハリギリ
新興住宅街の中に佇む神社。かつては田んぼの中に佇んでいたのかもしれない。周辺の景色は変わっても、荘厳な空気感は変わらず。
その後は、北総線の高架下を通って、北側の松戸市へ。
県道180号へ。大通りなので交通量が多くて騒々しい…
逃げるように裏道へ進んだ。
県道180号から一本入った通りには竹藪とお寺、農家。変わらない景色を求めて歩く。
浄念坊の門柱の隣に並ぶ石碑群。
※追記(Twitterの伊 謄さんより)
浄念坊の石碑群の写真の中でいちばん古いものは右から3番目の庚申塔で、1666(寛文6)年のものだそうです。
精巧なつくりの碑が倒壊せずに美しく保たれている。
松戸市大橋。長閑な畑の向こうに都市が見える。
松戸市「胡録神社」
千葉県松戸市大橋769。今回の目的地である「胡録神社」へ。
途中、どこが参道なのかGoogleマップには記載がなかったので迷った末に、裏道から訪問することに。
北国分駅からは徒歩20分。なぜこの場所を目指そうと思ったのか。明確な理由は無いが、なぜか惹かれた。
松戸市観光協会で歴史が紹介されている。→胡録神社(大橋)
江戸初期創建の静かな鎮守様、祭りの夜は獅子舞よりも大騒ぎの猿
A gurdian god is worshiped. Famouse for the lion dance.(recognised as an important cultural property.)慶長元年(1596)徳川家康の家臣で小金城にゆかりの秋山越前守虎康が戦死者を弔うため日楽上人として出家し、ここに隣接する本源寺を開山しますが、その際にこの地の守護のため大六天を祀った祠が胡録神社の発祥と言われています。江戸時代初期に始まったとされる「三匹獅子舞」は市内の和名ヶ谷、上本郷とともに市の無形文化財に指定されています。
江戸時代初期創建。創建時からつづく「三匹獅子舞」は、松戸市内の3ヶ所で伝承されているという。
大橋地区の旧村社、胡録神社。
二対の狛犬。よく見ると台座に気になる文字が…
歩兵第二連隊、近衛歩兵、歩兵二十七連隊…所属が各々の兵隊の名が刻まれている。大橋村から出征された方々だろうか。
神社の狛犬を観察するようにしているが、台座に出征軍人の名前が刻まれているのは珍しいかも。初めて見た。
明治39年につくられた狛犬。名が刻まれているのは正面左の狛犬だけだった。
裏面に「征露記念」とある。日露戦争での戦勝記念として各地で碑や絵葉書が発行されたが、ここでは狛犬が製作されたのだろう。
狛犬一つとっても、明治時代の人々の想いが詰まった歴史を垣間見ることができる。
神社の参道は東側に向かって石畳が伸びていた。意外と長い参道だ。
急勾配な参道を下ると、胡録神社の鳥居が建つ表へ。参道右手には尾崎商店。
現在は営業していないようだが、神社横の商店は地域の人々が集まる場所だったに違いない。
その後は、神社の階段を再び登り、大橋地区から二十世紀が丘丸山町へ。途中で見かけたお城のような民家の入り口が印象的だった。次回へ続く。
(訪問日:2022年2月)
-
前の記事
北総鉄道「北国分駅」。市川歴史博物館/堀之内貝塚公園、笹屋うどんの看板あり 2023.02.12
-
次の記事
松戸「二十世紀ケ丘商店街」~北総線「矢切駅」周辺の商店街 -矢切⑴ 2023.02.14
すごい、すごい(笑)。市川市の辺境から、松戸市まで潜入したわけですね。ふつうは、市川市の北国分から松戸市の大橋まで行きませんよ。お疲れさまでした。
胡録神社社務所の彫刻は見事ですね、そして、狛犬台座に刻まれた出征者の名前…。
日本に攻めて来た外国の軍を迎え撃つため(の徴兵)ではなくて、かき集められてロシア近辺での戦闘を命じられるのですから、はっきり言って、召集された側も、ホント…えらい迷惑だったでしょうね。
いまで言えば、ロシアの少年が(何だ、かんだと理由をつけられて)ウクライナの戦闘の最前線に送られるみたいなものだったのでしょうか。
そう言えば、松戸市大橋って、「和名ヶ谷」の近くですよね…。
もう20年ぐらい前になるでしょうか、和名ヶ谷を通っていたら、いきなり入浴施設が…。しかも「ラドン温泉」と書いてありました。
どうして、こんな人里離れたところに入浴施設があるのか…謎でしたが、下のサイトを見ると、もともとは、和名ヶ谷に「診療所」があって(約40年前)、そこの患者さんたちのために(院長が)入浴施設を作り、院長が診療所を閉めた後にも、その入浴施設が(一般の人向けに)存続していたということのようでした。
このラドン温泉、改装する前は、まさに激シブでしたよ。およそ、いま街中で見かける「スーパー銭湯」なんてものとは、まったくの別物…。
密林をかき分けて行くと、突如としてアンコール遺跡が眼前にそびえ立つ…みたいな、そんなインパクトがありました。
でも、その「ラドン温泉」も、コロナのために客足が激減、ついてに閉鎖することになったそうですね。
とても、残念です。
(参考)
https://camp-fire.jp/projects/view/312221
金網を被せた飛び狛さんは珍しいですよ。鳥の糞害を防ぐ為ですかね?
人の手が届かない場所なので、それしか考えられません。
稀に金網を被せられた稲荷の狐もありますよ。これは悪戯防止かな?
従軍する兵隊さんが奉納した狛犬は千葉市なら千葉神社、蘇我の蘇我比咩神社にあったと記憶してます。
戦車部隊の兵隊さんが出兵する時に奉納してる狛犬が多いですよ。
総じて太平洋戦争時代に奉納された狛犬ですね。
金網を被っているのは珍しいんですね。いつも貴重なご意見をいただき感謝です。蘇我比咩神社、行ったことないので行ってみます!