「木更津遊廓」明治期に移転した後の遊廓跡と歴史を辿る -木更津⑹

「木更津遊廓」明治期に移転した後の遊廓跡と歴史を辿る -木更津⑹

木更津にも遊廓が存在したんです!昭和初期の鳥瞰図にも載っている、「木更津遊廓」。

古くから港町として栄えた木更津は、どのような歴史を辿ってきたのでしょう?

 

木更津手描きMAP

木更津遊廓の歴史

木更津の遊廓についての記事

木更津の遊廓は、昭和4年に松井天山が描いた鳥瞰図にも記載がある。

しかし、私がコピーしたものは遊廓部分だけ見切れていて見にくいので、「知の冒険」さんの記事がとてもまとまっていてわかりやすいです!既に詳しく調べられているので、私は補足的に調べていこうと思います。

「古今東西舎」さんに記事があります。

「大木更津」*1 によると、「仲片町の海岸には、遊廓があって、辛うじて華やかなりし昔の木更津の船着場風情を止めてゐる。新鈴木楼、中村楼、京都楼の三妓楼あり。(中略)江戸へ帰る船の旅人と窓の女とが、後朝(きぬぎぬ)の別れを惜しむだであらう情趣を思ひ浮かべて限りなく興の湧くのを覚ゆるのである。」と記されています。

「大木更津」の文献が見つからなかったので引用させていただきました。

妓楼名は「新鈴木楼」「中村楼」「京都楼」があったことがわかったが、鳥瞰図では4つ建物があるのでもう一つ妓楼があったのかもしれない。

かつて遊廓が存在した場所は海の近く。今は埋め立てが行われており、別れを惜しむ場面は見る影もありません。

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『全国遊廓案内』の木更津新地廓

『全国遊廓案内』(昭和5年、渡辺豪)に木更津遊廓の記述がある。

木更津新地廓 は千葉懸君津木更津町字木更津新地に在つて、房總木更津驛で下車して西北へ約八丁、乗合自動車の便もある。(中略)
明治九年頃から町の東端なる「戀(こい)の森」に在つた遊廓を、明治廿三年に現在の個處に移轉したものである。東京の遠征客も時々迷ひ込む模様である。(中略)
娼樓は、一京樓、本京樓、新鈴木樓、舊鈴木樓の四軒だ。

明治9年~23年までは、木更津駅東口から東側にある「恋の森」、現在の「きみさらづタワー」がある太田山の近くにあったみたいでびっくり!

移転前の遊廓は、あまり調べている人がいないのでこれから詳しく調べたい。

大正10年、第一京都楼、第二京都楼と記載されている石碑がある神社もあるらしいので、また探索に行かなければ…

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『全国女性街ガイド』

『全国女性街ガイド』(昭和30年、渡辺寛)は木更津の赤線街について記載がある。

木更津
房州では女郎屋のあったのは松岸と木更津だけ。その伝統を受け継いだ赤線が、アメリカさんの軍事基地よりもピッチを早め、増強に増強を重ねている。(中略)
業者は儲かり、女は堕落し、客は月収の一割以上の泊り料を払い、部屋代が十倍以上にはね上がり、物価はうなぎのぼりになり、食えなくなった貧民が娘を売り、業者が儲かり…の、好見本地と化しつつあるのだ。

赤線時代の木更津は、悲惨な状況だったことがうかがえる。

木更津の赤線の話をあまり聞かないのは、良い噂が無かったからかもしれない。

 

鳥瞰図に見る遊廓

昭和4年の松井天山が描いた鳥瞰図には、2棟の主屋とそれに直行する回廊状の建物で構成されている。

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木更津遊郭の現在

木更津遊廓の現在は…あまり期待ができないみたいだけどとりあえず行ってみることに。

千葉県木更津市中央3丁目あたり。「仲片町区公会堂」の裏手が遊廓だったみたい。仲町公会堂の辺りは海だったため、「八幡屋の河岸」と呼ばれ、薪炭を運ぶ船着き場だった。

現在は高層マンションが建っているので目印。マンションの右手の通りがかつて遊廓のメインストリートだったのではといわれている。

遊廓跡地

鳥瞰図では、小さいながらも両サイドに門柱がある。妓楼の数も少ないので、遊廓の敷地としてはあまり広くなかったのかも。

かつての入り口?

たぬきの置物…と思ったら昔は居酒屋「たぬき」というお店が隣にあったみたい。なんだか寂し気。

狸の置物

広大な空き地。昭和34年の地図では建物が密集していたみたいだが、すべて取り壊されたのだろうか。

空き地になっている

遊郭、赤線の名残を感じさせるものは一つもない。かつては旅館が数軒あったようだが、それらは港からも近いのでビジネスホテルだと思う。

木更津遊廓の現在

空き地を横目に、大通りの方へ向かう。

建物の裏だ
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レトロな街灯に誘われて

レトロな街灯が見えた。しかも、この1本だけ。

遠くにレトロな街灯!

街灯があるのは児童遊園の敷地内みたいだが、いかにも古いアーチが残っている。

古そうなアーチ…

そういえば、木更津は公園が少ないなあ。貴重な児童公園なのかも。

よく映える

街灯のベストショット。フレアがとても綺麗だ。

ベストショット!

遊郭の収穫はなかったが、街灯が残っていたので心は満たされた。

恋の森に存在したころの遊廓、木更津遊廓の当時の様子についてもまたわかったら追記したい。

 

(訪問日:2021年2月)

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