有吉通り~中央商店会。木更津駅西口、初回からレトロ好きを興奮させる街並み -木更津⑴

「木更津」今回から25記事ほど、木更津シリーズとなります。二日間にかけて木更津駅周辺をみっちりと探索し、商店街、建物、遊廓史などあらゆる木更津の魅力に迫りました。
今回は、まず木更津の歴史の概要と駅近くの商店街の歴史について紹介します!

木更津の歴史
千葉県木更津市。南房総に位置し、東京湾アクアラインと繋がっていることから都心へのアクセスも良好。木更津の三井アウトレットは立ち寄る人も多いのでは?
私はJR内房線で「木更津駅」へ。古くから港町として栄えた木更津は、掘れば掘るほど興味深い歴史が出てきます!

木更津市のホームページに歴史が簡単にまとまっているので引用。
きさらづの語源は古事記の「きみさらず伝説」にあるという説があるほど、歴史あるまちです。江戸時代には町人文化も流入し、木更津を全国的に有名にした歌舞伎「切られ与三郎」や木更津甚句が誕生しました。港町として栄え、昭和後半はカーフェリーも活躍。その後、陸上交通でも館山自動車道・圏央道(首都圏中央連絡自動車道)・東京湾アクアラインがクロスする、今も昔も交通の要となっています。
また、ドラマ『木更津キャッツアイ』やロックバンド『気志團』結成の地としても知られている。

江戸と房総と海路で結んだ港町として繁栄し、遊廓や花柳界の歴史も伝わっている。海岸に沿って南北の通りが数条にあり、地方では珍しい町並みが広がっていたという。
民謡に「木更津千軒白壁作り、朝日夕日で蔭がない」と歌われた美しい木更津の街並みは、江戸時代末期の火事で焼失。
昭和4年(1929)に松井天山が描いた鳥瞰図は焼失後のわずかな面影を残すのみとなっている。
今回、木更津の調査にあたって、昭和の住宅地図、鳥瞰図など様々な資料を参考にしたが、今までにないほど魅力が多く、まとめるのが大変だった。一つ一つの記事で紹介していこうと思う。
有吉通り商店会
木更津駅西口。旧市街地であり、今回のメインだ。まずは、駅を降りて線路沿いに北へ伸びる「有吉通り」と呼ばれる道から探索。

地図に有吉通りと記載があるものの、由来がいまいちわからない。昭和34年(1959)の住宅地図にも載っている。
探していたら昭和4年(1929)の鳥瞰図に、旅館「有吉館」という建物が見える。もしかしたらその旅館があため、有吉通りだったのかも?昭和34年には無くなっているので名称だけが残った形かもしれないと推測したが、違った。
軽便鉄道に尽力した、元千葉県知事・有吉忠一氏から名付けられたそうだ。
現在は、車通りも人通りも少ない…

食堂の手前まで広い駐車場になっているので怪しいと思ったら、最近までレトロなパチンコ屋「ラッキー」という建物があったみたい。
2010年のストリートビュー
古いため取り壊されたのだろう。
模型の国と看板があるが営業しているのか不明。奥の建物は木造なので古い建物だと思った。

昭和32年以来、57年の歴史があると書いてある閉店のお知らせ。となると、閉店したのは2014年頃かな…

模型やらしく、ペイントの広告が。

有吉通りは、雑居ビルか駐車場がほとんどで気になる建物がほとんどなかった。だって建物が無いんですもの。
ここが本当に商店街?と思うほどに何も無かった。
田面通り(中央商店会)
有吉通りが終わり、交差点へ。東西に伸びる道は、房総から船橋方面へと続く「房総往還」である。
そしてこの通りは「田面(たも)通り」と呼ばれ、現在は「中央商店会」と呼ばれている。

房総を繋ぐ道。人通りも多かったのだろう。中央商店会という名称からも、この通りがメインストリートだったことがわかる。


現在はというと…空き地が多い。手前はほとんど建物が無く広々としている。

2010年のストリートビューでは、左手に素敵な看板建築があった。
平戸理髪店と思われる。観光の看板にも紹介されているのに更地に…
井戸?らしきポンプが残っていた。

「影山商店」は昭和4年の鳥瞰図にも載っているが、その当時から変わらない佇まい。

鶏卵店。普段あまり見かけない類のお店だ。

田面通りについて
向かい側の久留里屋商店に田面通りの歴史などが紹介されていた。

木更津の街中から久留里へ通ずる街道は近郷からの人々で賑わい、かつては田んぼであった通りにたくさんの商店が並ぶようになり「田面通り(たもどおり)」と呼ばれるようになりました。「久留里屋商店」はその名のとおり、もとは久留里田藩の御用商人としてお米を扱っていましたが、廃藩置県後の明治初期にこの地に移転し、店を構えました。昭和4年の絵図では「岩瀬商店」として記されています。
木更津から久留里へ。人々が行き交う様子が古写真から伝わる。
肝心の久留里屋商店を撮影するのを忘れたのでストリートビューで。
現在の田面通りは、人気がなく静かだ。静まり返っている。

昭和レトロなビルに圧倒される!
右手に見えてきた大きなビル!昭和レトロなビルに圧倒された。よくまだ残っていたなあ…嬉しい。

アーケード屋根もあり、地方都市でよく見かけるような商店街の雰囲気。しかし、シャッターが閉まっていて営業している雰囲気が無い。

楽器と書いてあるお店。看板が深い青とガラス製でとても美しい。

隣の時計屋の看板もめちゃくちゃ素敵!!これだけで何枚も撮影したくなる。

両サイドにある銀色のマークがなんてオシャレなんだろう。


一番左にあるそば屋「森田屋本店」は定休日だった。

このお店は、江戸時代創業の老舗そば屋。昭和4年の鳥瞰図では立派な和風建築だった。

森田屋本店ということは、支店もあったのだろうか。

営業しているときの森田屋。江戸時代創業のお店って事前に知っていたら入りたかった…

どうでしょうか?このレトロなビル!どの角度から見ても素晴らしい。

存在感を放つレトロビル。木更津駅周辺のビルで一番好きだと感じた。


レトロ電柱と駄菓子屋さん
木更津市立木更津第一小学校へと向かうビルの間の細い道。
まさかの予想していなかったレトロ電柱と遭遇した!

私が探しているレトロ電柱(コンクリート街灯)は今や珍しいものに。木更津ではじっくり探したが、この1本しかなかった。
詳しくは次回の記事で。
奥に駄菓子屋「ヤマサ商店」があると知り、向かったものの営業していなかった。残念。

勢州屋のビル
隣にもレトロなビルがある。

包装資材を扱う勢州屋。

もしかしたらこの通りは同じようなビルが並んでいたのかもしれない。今は駐車場が多く、歯抜けとなっている。

昭和4年の鳥瞰図には「勢州屋折箱店」。

中央商店会なのに営業しているお店がほとんどない。木更津の最初の探索から衝撃を受けた。

鮮魚店「魚きよ」は営業していた。

先ほどの鶏卵店と鮮魚店が営業しているが、それ以外のお店があまりない。

寺町通りの角のレトロなビル
田面通りから、南側、駅へつづく寺町通りの角にもレトロなビルが。

空き店舗と思ったら令和2年3月31日で閉店のお知らせ。1年前か…

5階建て?と思われる雑居ビル。

危険だからか、上の階にはカバーがかかっていた。令和の現在、放置されているのがびっくり。

ビルの1階に、中華料理屋、歯科医院などのお店が並んでいたようだが現在は…


富士見公園がある寺町通り。
昔は表通りに面して「サカモトそごうデパート」という大きなショッピングセンターがあったようだ。現在はマンションになっている。
建物が少しでも残っていたら、商店街1つ1つ紹介したいのだが、更地になっているところも多くてまとめて紹介することにした。
少しでも有吉通り、田面通りの雰囲気を味わってもらえたら嬉しい。
(訪問日:2021年2月)
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