木更津一の飲み屋街「観月通り」。映画館、竹林の裏路地…昭和の面影を探して -木更津⒇
木更津で一番の飲み屋街は「観月通り」だった。ということを知らずに木更津の町を歩いていたが、知らなくても観月通りが他の通りとは違う何かを抱えていることは感じ取っていた。
掘れば掘るほど面白い歴史が出てくる木更津。木更津駅西口は今回の記事で最後です。
ホテル「観月荘」
千葉県木更津市新田。橋の近くの「東京ベイプラザホテル」は、かつて「観月荘」というホテルがあった。
昭和4年の鳥瞰図には「ときわ園」、昭和34年の住宅地図には「割烹旅館 観月荘」と書いてある。現在も、観月荘の名残の庭園は残っているらしい。
そして、観月荘があったため、木更津一番の飲み屋街である通りは「観月通り」と名付けられたそうだ。
「観月通り」の現在…
赤い「富士見橋」を渡って観月通りへ。さっそく風景が以前とは変わっている。2012年のストリートビュー
木造の平屋は取り壊され、白い要塞のような建物がよく見える。
2階建ての白い建物は、スナックなど大人のお店が詰まっているようだ。
シルクロード…2階がどんな内装なのか気になって仕方がない。
隣にも青と白の素敵な建物が!木更津一の歓楽街の面影が垣間見える。
建物の間の道も奥に進んだらお店がありそうだな~。でも、こういう道ってなんだか怖気づいてしまう。
昭和の遺産。こんな魅力的な建物、現在は再現できないのでは?と思ってしまうほどに魅力を感じる。
これらの建物の向かい側は広大な駐車場。案の定、最近まで建物があったらしい。
2012年のストリートビュー
すっかり綺麗になっていた。
空き地が多くて建物が点々としている。繁栄当時を知る人が見たらどう思うだろうか。
2階建ての飲み屋街の建物。昼間なので営業しているか区別がつかないが、どうなんだろう。
夜になったらネオン街になるのかしら。
ビルの端っこには、縦長の看板が。昭和のビルの看板って個性的でとても好きだ。
木更津セントラル劇場
観月通りから東西に伸びる道。かつて高層マンションが建っている場所には「木更津セントラル劇場」の建物が存在した。
昭和40年(1965)に開館。劇場、映画館、ビリヤード、ボウリング場、卓球、ゲームセンターなどの娯楽場が入った複合施設だった。
2014年に完全に閉館した。
2012年のストリートビュー
喫茶店「英国館」の看板も左にちらっと映っている。
木更津で青春を過ごした方にとっては思い出深い場所なのではないでしょうか。ロケ地としても使われることがあったみたい。
木更津セントラル劇場があった通りは、「港町キネマ通り」と呼ばれ多いに賑わったのだった。
木更津セントラル劇場が無くなっても、「伸和ビル」という昭和テイストなビルは残っていた。
無駄に派手な装飾。なぜ半円がデザインされているんだろう。好きだな~
こちらも2階が気になる。
1階の天井の照明も豪華だな~!
次会えるかわからないのでたくさん写真載せておこう…
飲み屋横丁が眠っていた…
「港町キネマ通り」には他にも怪しい飲み屋横丁があった!建物と建物の間、小さなアーチ看板がたっている。
スペイン瓦のある建物は食堂兼たばこ屋?暖簾が隠れているが、普段は営業しているのかな?以前のストリートビューを見たら「茶花屋」と書かれた屋根があった。
飲食店の隣にアーチがあるのだが、なんとも言えない不思議なデザイン…
2012年のストリートビューでは、アーチの中央に「BanBan」という店名が見える。今は閉店したのかな?
日本料理「松立」の看板がアーチの奥を指しているので、入ってみることにした。
アーチを抜けると、そこは異空間だった。他の方の記事を読んでもこの場所は記載している人を見かけなかったのでワクワク。
表札や郵便入れが無いので空き家なのだろうか?
この裏路地、誰も住んでいる人がいないのではないかと思うくらい、人の気配を感じない。
先ほど出てきた「BanBan」。
上を見上げると、建物のデザインが凝っていて良き。
向かい側にある和風なお店が日本料理屋「松立」だと思うのだが、現在営業しているのか…不明。
そして一番奥にも居酒屋の看板がある。竹藪に包まれて幻想的な風景だ。
通ってきた裏路地。今までの飲み屋街とは違って、ここは高級感があるというか人目につかない秘密の場所という雰囲気。
おわり…と思ったら、まだ広い空間があった。
みなさんなら、この先も探索進めますか?
行きたいなって思ったけど、近隣の迷惑になったら嫌だし、なぜか道に木の板が置かれていたので断念。木の板が立ち入り禁止を意味しているかと思ってしまって。
帰宅してから昭和60年の地図を見たら、奥に4軒建物が並び、奥に旅館があったみたい。こんな僻地にある旅館って…
誰か知っている人いないかなあ。すごくすごく不思議な空間だった。
そして、調べていると、昭和60年、港町キネマ通りと富士見通りの間の場所には割烹旅館「一楽」という旅館があった。
現在は無いが、割烹旅館の横にはバーが数軒並び、向かい側には「簡易旅館」と書いてある。
予備知識もなく歩いていて、裏路地で見つけたこの建物が旅館だと直感的に感じ取ったのは経験値が高まってきたからだろう。
ピンク色の入り口と緑の壁。どことなく赤線時代のカフェー建築を思い出させる。
もしかしたら赤線や青線と関係があるのかも?いや、港が近いから普通に旅館だろうな。
木更津市の歓楽街の記事はいかがだったでしょうか?個人的にはとても満足のいく探索でした!
(訪問日:2021年2月)
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