木更津「本町通り」商業の中心地だった通りは現在…映画館、旅館跡も -木更津⑼

木更津の「本町通り」。かつて木更津の商業の中心地だった通りは、千葉銀行の前身である「上総銀行本店」が存在した。
果たして現在はどのような街並みになっているのだろうか…
本町通り・商業の中心地
千葉県木更津市中央2丁目。商業の中心地だったのが「本町通り」だ。
前回紹介した看板建築の金田屋のある交差点から南北に伸びている通り。

屋号浜田屋の梶氏が老舗として知られ、仲町浜田屋糸店の角に道路元標があった。(金田屋の向かい側)
また、房総往還の道でもあり、房総の人々も多く通っていたと思われる。
現在は、木更津郵便局が建っている敷地には昭和34年の地図では「木更津市役所」、向かい側には「木更津警察署」「木更津消防署」など中心的機能が集中している。
しかし、現在は移転し中心的機能の役目は終えたようだ。
浜田屋呉服店
本町通りで老舗企業として現在も営業しているのが「浜田屋呉服店」。現在は向かい建物でのみ営業している。

昭和11年に建てられた建物。現在は完全に使われていないようだ。

2012年のストリートビューでは名残が見られる。
紙類、鰹節、銘茶、砂糖…と書いてあるところから見ると大きな商店だったのかな。元々は「浜田屋佐藤店」と呼ばれていたようだ。
建物の奥に、レンガ造りの小屋があるのが気になった。

さすが老舗店…表通りの建物だけでなく、裏にも歴史が隠されている。

さらに敷地内には煉瓦塀が残されていた。倒れないように支柱があるので保存されているのだろうか。

イギリス積み?と思われるが、レンガの色味がとても綺麗だ。長手と小口で色の濃さを変えているからだろうか、ハイセンスなレンガ壁だ。

レンガ蔵の傍には先ほどより低いレンガ壁も。昔は防火壁としても役に立っていたんだろうな~

こちらは色が統一されている。

浜田屋の店舗跡はこれからどうなるのだろう…

上総銀行発祥の地
千葉銀行の和風な建物が目を引いた。

「上総銀行発祥の地(旧千葉銀行木更津支店)」の石碑が設置されている。

木更津は各所に説明看板があるのでとても助かる!
房総中部の商業地として栄えた木更津には明治時代、多数の銀行が設立されました。昭和4年の絵図に描かれている「上総銀行」は、明治33年に「南総銀行」として設立された銀行で、大正11年にこの地に本店を移転し、「木更津銀行」など周辺の銀行との合併を進めました。
大正11年に設立した「上総銀行」。様々な銀行が設立されていたとはびっくり。

一県一行主義のもとで、銀行合同が進められた結果、昭和18年に「千葉合同銀行」「小見川農商銀行」「第九十八銀行」が合併し、現在の「千葉銀行」が誕生した。
千葉銀行の経緯を知らなかったのでとても勉強になった。ここにあった支店は平成24年に木更津駅東口に移転したそうだ。

本町通りを歩いたが、あまり古い建物がなくてガッカリした。ここが本当に商業の中心地だったのだろうか…想像できない。

中央にある京染店「翠屋」は老舗みたい。

調べれば調べるほど、木更津の街並みのギャップに驚く。
映画館のあった通り
本町通りの一本西側、富士見通りに面して映画館「ヱビス館(昭和34年)」「木更津日活(昭和56年)」があった。現在は駐車場。
その隣には現在、クラブなど大人向けのお店がある建物がある。昭和56年の地図ではディスコと書いてある。

映画館が近くにあるなら、飲食店なども並んでいたと思われるが…

元飲食店だと思われる建物、もしくは空き地。

元旅館の建物
最後に、2階建てのクリーム色の建物が目に止まった。

以前は手前に2軒スナックの建物があったが、更地になったことで2階部分の意匠が見えるようになった。

窓の格子がなんとなく、そろばんみたいなデザインだなと。横の窓の手摺は丸のデザイン。珍しいな~

現在1階はダイニングバーとなっている。奥まった入り口の造りはなぜだろう。

調べたら昭和34年の住宅地図では「新千度利旅館」と書いてあった。元々は旅館で、現在は飲食店へ転業した面白い建物。

商業の中心地だった本町通り。時代の変化を肌で感じる場所だった。街ってこんなにも変わってしまうのか、と…
(訪問日:2021年2月)
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