繁華街だった大森・六軒地区の歴史。船橋に次ぐ賑わい -木下⑺
今回は、木下駅から国道356号沿いの探索!予想していなかった看板建築やレトロな建物がたくさん残っていてびっくり!知名度が低い建物が多いので多くの人に知っていただきたい。
木下大森の交差点
千葉県印西市大森。成田線「木下駅」北口から歩いて西へ、国道356号線を北上していく。
交差点の付近には商店が残っており、西側には「中島鮮魚店」。
南には眼鏡屋の「ヤマモト」。メガネのイラストが良い!
交差点の東側、呉服店の隣にあるのは何のお店だろう?2階の戸袋が銅板。
交差点の南側一帯は、更地になっているのでいつまで残っているかわからない建物だな~
酒屋「酒乃なべだな」
国道356号線を北上、京葉銀行印西支店の向かい側に老舗の「酒乃なべだな」というお店がある。
駐車場に次々と車が…若いお客さんも多くて人気店なのだと感じた。ホームページには百数十年の歴史があると書いてある。
当店の始まりは成田に本社を置く、鍋店㈱の四代前の大塚正三が印西に出て、酒造業を開始したのが始まりと言われております。現在当店の看板銘柄「利根正宗」がその当時に造れらえていた印西の地酒です。 二代目、三代目と時は流れ、現在は四代目である大塚雄三が代表を務めております。 百数十年における時代の流れの中で、現在は日本全国の心通じ合う蔵元の、情熱と想い溢れる手造り地酒を心を込めて販売しております。
壁の隙間から建物を見ると、外観は改装されているが細工が綺麗な建物の様子が。
駐車場も広いので安心。
しかし、写真の手前、駐車場になっている場所にはお目当ての建物があったのだ、最近まで。2018年のストリートビュー
「石川屋書店」、上に書いてある雑誌などの名前がツボだった。
また、その向かい側には「柴崎薬局」の建物も。今は新築に。
看板建築「滝田洋品店」に注目
しかし、書店の隣には文化財レベルの貴重な看板建築が残っていた!
2店舗分?繋がっているように見えるが、右と左でデザインが違うので増築されたのものかな?
「滝田洋品店」、木下駅の南口商店街に南口店があった気がする。もしかしたらここが本店なのかも!
うっすらと「洋品のタキタ」の文字が見えるが、2012年時点で閉店している。
特に2階の窓の部分の意匠が素晴らしい。
よく見ると、枠の上にある照明の土台?のところが桜のデザイン。芸が細かい…
しかし、検索してもこの建物について調べている人がいない。看板建築に詳しい人も知らないようだった。看板建築の本→
知名度が低いのが不思議だ…ここまで歩いている人も少ないのだろうか。
2階の窓の上に、四角いレリーフみたいなものがあるが、剥がれてしまったのかデザインがよくわからず。
交通量は多いので、撮影するのはちょっと大変。でも素晴らしい。このまま放置されているのが勿体ないなあ。
佐藤洋裁店
洋品店の向かい側に、「佐藤洋裁店」。緑の寂びた感じが良い。
この建物の一番好きなポイントは、金色の洋裁店の文字!
近くに一本だけ「印西町商工会」と書かれたレトロな街灯が残っており、この通りが商店街だったことを伝えている。よくぞ残っていた!
レトロな建物
弁天橋へ向かって北上する。ポツンと浮いている消防団の建物もかなり古いだろう。
レトロな病院建築「戸村歯科」。
扉のガラスが割られていた…物騒だな。
ここは弁天橋。弁天様が祀られていたのだろうか、調べても歴史はわからなかったが…
川沿いに並ぶ船。とても長閑な風景が広がっている。ちょうど雨も止んで歩きやすくなった。
先ほど歩いた道を振り返る。やっぱり看板建築が残っている景色は良いな~
探索はまだつづく。2012年のストリートビューを見ると、街灯や古民家が残っているが…
青いテント屋根は青果・食料品・青果の「小島商店」だった。
2015年のストリートビュー、お祭りの時期なのか赤い提灯が飾られている。
街が華やかで良いなあ。土蔵の建物は、お祭りのときは開放されているみたい。
うーん、放置されているのが勿体ないなあ。
向かい側にあるピンク色の看板建築も店名がわからない。
久七だんご店
残念ながら、水・金・土が定休日という「久七だんご店」。
印西のおいしいお店と言えばこれを抜いては語れない、下総名代御団子、久七団子です。通と呼ばれる人もそうでない人も、「万人向き」と久七だんごを親しみ、愛して下さる皆様に感謝し奉仕することを忘れません。保存料は一切使用しない、ほんももの美味しさを守り続けています。気取らない、でも妥協は一切しない。こだわりのある老舗の団子屋です。
印西に住んでいる方にとっては有名なお店なのだろうか?とても美味しそうだ。
なんと、江戸時代の文化7年(1810)創業。現在は4代目。
1本80円でみたらし、あんだんごの二種類が販売されている。
午前中に売り切れることもあるらしい。駅から離れているが、団子屋は需要があったのだろうな。
駅からの道は、レトロな建物も多く残っているのでぜひ歩いてみて欲しい。
レトロなガソリンスタンド
団子店の向かいには、レトロなガソリンスタンドが。ENEOS印西店SS(瀧田商店)。
ガソリンスタンドの隣にあるレトロな建物の正体は、瀧田商店の建物。元は商店として営業していたみたい。
ガソリンスタンドの奥に蔵があるのが気になるな…蔵をそのまま倉庫として使っているみたい。
レトロなビル、よく見たら入り口が木製だった。
3階建てになっていて、昔はどんな様子だったのか気になる。
追記:「いんざい水の郷ネットワーク」より
では,水運と六軒の関係を瀧田商店を例にして説明いたします。瀧田商店は江戸時代の後期から煙草の製造や販売,また,塩を中心にして手広く商っておりました。特に,煙草や塩が専売になった明治後期から昭和にかけて,成田や印旛郡管内はもとより,香取郡や東葛郡の一部までの総元締めでもありました。
なんと、瀧田商店は、江戸後期創業の商店で、大森・六軒地区を語る上で欠かせないお店であることが調べていく中で分かった。だから敷地の奥に蔵が存在していたのか…
三角屋根の住宅
ガソリンスタンドの隣に、不思議な形の住宅が。片側だけ斜めになっていて、今まで見たことが無い形。
一般の民家なのかな?この建物の歴史を調べたいな…
また、向かい側にストリートビューでは映っているが今は無い建物。看板建築ともちょっと違うけど、表の壁が分厚い…
なんだか映画館のような派手な建物だな…今は無い。
大森・六軒地区の歴史
鰻店の「寿美吉」。こういうところでランチを頂きたいな~
この橋は「六軒橋」。なにか歴史がありそうな名前。
調べてみると、びっくり!この地区が繁華街として栄えていたという歴史を知った。地元の方にとっては普通の歴史でも、全く知らない私にとっては調べるのも少し大変…
「ガネーシャJr.の印西暮らし」「印西市民アカデミーだより」にまとめられているのがとても助かる…!
六軒は、利根川と手賀沼(浦)を結ぶ40間ばかりの川(のちの六軒堀)沿いにあります。木下河岸は、幕府・政府公認の河岸として栄えましたが、六軒は民間の船着き場として発展しました。利根川から運ばれて来た物資を船着き場で小舟に積み替え、手賀沼沿岸の村々をはじめ、利根川を下り安食の関門を通過して印旛沼沿岸の村々にも運びました。そのため、商業が発達し、様々な商店が連なっていました。
この辺りは、民間の船着き場として発展したために立派な建物や商店が残っているんですね。
橋の周辺には、鮮魚店や商店などの建物があり、商店街らしき街並みが残っている。
明治時代に入ると、製紙工場や染物工場、レンガ工場等をたちあげ、軽工業の拠点としてさら栄えました。「六軒に行けば正月の晴れ着から日常の雑貨まで何でもそろう」と言われたほど賑わい、船橋に匹敵する商都として名をはせました。
船橋に匹敵する?!これにはびっくり。明治30年代に刊行された書籍に「六軒は、船橋町に匹敵する商都である」と紹介されるほど。しかし、現在の六軒地区は商店街としての賑わいが廃れてしまった…
六軒の新道(国道356号)には、煙草、塩、油などの問屋,有名な川鮮料理屋、大変繁盛した割烹旅館、近郷近在の農家から生産物を扱った青物問屋、繭の仲買店、団子屋、薪・炭屋、材木店、呉服屋など大小の店が軒をならべており、日常品の買い物はもとより、すべての買い物ができました。六軒金融の中心として、六軒商業銀行もありました。
その繁栄ぶりは、当時としては,高価で珍しい欠き氷の販売をした「冷氷室六軒出張所」があったことからも伺えます。
割烹旅館はどんな姿だったのだろう。「六軒商業銀行」があったから、現在も千葉銀行が国道沿いにあるのかな?
工場は、製紙工場、染物工場のほかに、煙草工場や醤油工場もあったとか…
周辺を布佐、布川(茨城県)、木下と、人口が多い集落に囲まれていた地理的優位も幸いし、昭和の中頃まで大いに賑わいました。現在も通り沿いには、うなぎ屋やだんご屋、せんべい屋が営業しており、伝統の味を伝えています。
だから久七団子は六軒地区にあるのか~納得。江戸時代中期から昭和の中期まで栄えていたという。
「いんざい水の郷ネットワーク」より
平成10年,この水神橋が新しく築かれました。元々の弁天橋はここにあり,街道もここを通っていましたが,天保年間に竹袋の人によって壊され現在の場所に付け替えられ街道も移動しました。
左手に松竹館と言う映画館,その隣に薬屋,また、繭を乾燥して保管するための六軒倉庫が資産家達の共同出資で作られました。橋の付近には染め物工場,利根川の腹水を利用した作り酒屋,その奥の方に醤油工場,2軒の澱粉工場がありました。左手に大きな呉服屋,作り酒屋,銀映という映画館,他にも製糸工場があり,繭を煮る臭いがあたり一面にただよったそうです。中央公民館のあたりには煉瓦工場がありました。日清戦争の前後から日本は繊維を中心に軽工業が盛んになり,その影響は六軒地区にも及びました。
弁天川の中核にある厳島神社の目の前にある水神橋。
当時、千葉県では船橋市と六軒の3軒しかない無声映画館「松竹館」や「銀映」が周辺にあったことがわかる。銀映は住所がわからないが…
無声映画館もあり、大森六軒地区は千葉県有数の繁華街に。映画館は、千葉県印旛郡印西町大森4357。現在は何も残っていないが、「六軒厳島神社」の東側に「木下松竹館」があったという。
全然情報が無いと思ったら、ヤフオクで「木下松竹館」の特別優待券がちょうどタイミング良く販売されていた!これは買うべきか…
中央公民館の裏手から、船に載って糸工場跡や映画館跡、船着き場を見学する「川巡り遊覧船」が開催されているらしく、気になる。
江戸時代にまで遡ると、大森村に「大森陣屋」(現在の印西中学校の辺り)が置かれ、木下街道の宿場町の「大森宿」としてこの一帯が中心地だった。
「関口米菓店」はせんべい店。先ほど記述にもあった通り、老舗店のひとつだ。
木下名物。9枚入りで500円。
正直、ここまで興味深い場所だと思っていなかったので調べていくうちに驚きと発見があって記事を書くのに没頭した。
「木下は、川運の街。大森・六軒は大正時代以降の商業の街」と表現している人がいたのだが、わかりやすいと思った。
木下と、今回の大森・六軒地区は別の地域として区別するべき。
私は木下駅から歩いて探索したので、同じ地域に思ってしまったが…全く知らずに歩いていても、看板建築や老舗店が多く残っているので疑問を感じていたが、船橋に匹敵するほどだったとは、残念ながら想像できなかった。
この歴史は貴重だと思うので、この場でしっかりと記録しておきたい。とっても書いていて楽しい場所であった。
(訪問日:2021年5月)
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