幕張~検見川の歴史散歩。「検見川今昔」パンフレットを重ねて -検見川⑻

幕張~検見川の歴史散歩。「検見川今昔」パンフレットを重ねて -検見川⑻

今回は、前回の続き。幕張町の街道沿いを歩いて、検見川町へ。祖父が遺した昔のパンフレットを基に歴史探索をしてみました!

相川酒店、水難供養塔

千葉県千葉市花見川区幕張町2丁目914。房総往還の南側、昭和8年に新しく造られた県道57号を通って幕張町から検見川町へ。

県道57号

県道沿いの「相川酒店」の佇まいが素敵だなと思い撮影。歴史がありそうなお店だな~

相川酒店

店舗入り口脇にはたばこのショーケース。昭和の酒屋さんが現役なのが嬉しい。

タバコ屋

そして、切手郵便のホーロー看板も健在。

郵便のホーロー看板

また、相川酒店の裏手にある共同墓地には「水難供養塔」がある。かつて海が近かったことを実感する供養塔…今度近くを通ったら訪ねてみよう。

県道沿いは建替えられて今は新しい建物が多くなっている。2010年のストリートビューより

石田商店は精肉店?2019年頃まで存在した。

県道を歩いていると海側の南に向かって細い路地が多く存在する。道の下は川が流れているのだろうか、暗渠がかつての海を彷彿とさせる。

暗渠のある細い路地
牛乳屋さん

お腹が空いてきたので、幕張5丁目、リブポート幕張 108の1階にあるたい焼き店でたい焼きを頂いた。

たい焼き屋さん

開店したばかりだったようで、1つ120円。美味しかったな~

半年後の現在グーグルマップを見てみると、お店が見当たらないが閉店してしまったのかな。

リブポート幕張 108

幕張駅周辺で飲食店に入れなかったので、検見川駅まで足を伸ばし、ミニストップで桃味のハロハロを注文。本日の昼食…

この日の昼食

探索に熱中するあまり昼食を逃してしまったパターン。母と歩いているとよくある…

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「検見川今昔」パンフレットより

歴史と街歩きが好きだった祖父が遺した資料の中に、検見川の探検地図が眠っていた。20年近く前のパンフレットだと思うが、まさに私が欲しい情報が載っているので嬉しい限り。

祖父が遺したパンフレットを片手に今回は検見川を歩いてみることにした。

検見川今昔

表面には検見川に関する歴史の紹介。(検見川の歴史・検見川神社・三つの寺院・検見川のほこらと碑・検見川無線送信所・検見川商店街)

検見川の歴史
江戸幕府によって、生産、流通が組織化されると、江戸に魚市場が開設され、東京湾沿岸の検見川は、水上交通や陸上交通の要所として、古くから漁業のまちとして栄えてきました。
また、明治から千葉周辺でも、至る所に定期市が開かれるようになり、昭和の初めには、街道沿いに百余りの事業所を数える様になるなど、農村市場としても栄えました。

裏面には、さらに詳しい散策マップが描かれている。

検見川の散歩道

実際の地図と重ねた紹介でわかりやすい。「史跡・寺院」「街並み」「うまいもの」「眺望」「路地空間」の5つの要素に分けている。

検見川の旧道沿い

検見川の美味しいお蕎麦やさんと紹介されている「ふじ竹」は、広いお座敷が素敵!

ふじ竹

今度行ってみたいな~

コンクリート製ゴミ箱が、「今、一番センスのいいゴミ箱」と紹介されているのが面白い。

今、一番センスのいいゴミ箱

少し離れた場所にある無線送信所跡にある塔は登ることができる、と書いてあるが、現在は塔は無く…秘密基地の場所だったなんて羨ましい。

無線送信所跡について
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尾鷲神社

とりあえず今回は、先ほどのパンフレットを片手に検見川町3丁目辺りを探索。千葉市立検見川小学校の南側にある尾鷲神社へ。

尾鷲神社の龍宮様の石碑は、海の守護神として信仰を集めていたとか。

龍宮様の石碑

高台に鎮座している神社で、かつてはここから海が見渡せたのだと思う。

パンフレットに、「旧街道から一歩路地に踏み入れると、複雑な道や敷地が広がっています」とあったので各地の路地を歩いてみた。

路地がたくさん

検見川町は本当に路地が多く、迷子になってしまいそうなくらい複雑…区画整理されず、昔のままの路地が残っている街だということを改めて実感!この良さをもっと多くの人に知って頂きたい!

路地が良い

この日は休みだった、旧道沿いの宮間陶器店。

宮間陶器店
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浄土宗 求法山 善勝寺

そして、最後に検見川1丁目の善勝寺へ。

善勝寺

検見川は三つの寺院があり、ここ善勝寺は、「江戸時代に江戸からの使者の宿坊になるなど、検見川は千葉街道沿いの要所としての役割を果たしています」とパンフレットに記載されている。

山門傍の石碑

鐘はなぜか鐘の部分だけ存在せず…戦時中に供出されてしまったのかな?

鐘が無い

気になった石碑。「日本最初 威得之庚申」と書いてある。日本最初ってどういう意味だろう?

日本最初とは?

裏面、安政7年(1860)、検見川上町の方々によって造られたものだとわかる。

裏面

庚申塔
ドクロを持っている

この日は探索を早めに切り上げ、検見川に残る銭湯へ!

梅の湯

歩いて疲れた後に、昔ながらの銭湯でリフレッシュ!!こんなに素敵な休日はありません。今度は東側の検見川を探索しにまた訪れよう。

 

(訪問日:2021年9月)

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