京成津田沼駅、明治元年創業・植草米店の小さな洋館が駐車場の隅に ー京成津田沼⑶

「洋館付住宅」は昭和初期に流行した建物で、各地に現存しているものがみられる。
そして、存在は薄いが、京成津田沼駅前にも小さな建造物が静かに残っている。
植草米店
千葉県習志野市。新京成線と京成本線の乗換駅となっている「京成津田沼駅」は、古くからの歴史がある。昭和3年の松井天山の鳥瞰図にも描かれている。南口の歴史については以前書いたので合わせて↓
京成津田沼駅前に伸びる商店街「ワイがや通り」。もう一度ワイがやを取り戻せ!ー京成津田沼⑴
今回は北口。昭和3年の地図にも描かれている「植草米店」。

明治元年(1868)に創業したという老舗米店は、元々は茅葺屋根だったそうだが、ちょうど工事中だった。
台風の影響だろうか。屋根を修理しているように見える。

今回はタイミングが悪くお話を伺えなかったので、今度歴史を伺いたい。

レトロ電柱(街灯)も
入り口の隣には、よく見たらレトロ電柱(コンクリート街灯)がたっている。電球は無いが綺麗に残っているのが凄い。
ちなみに隣の建物は、元々は麻雀店だったみたい。

京成津田沼駅南口でも、レトロ電柱を以前見つけたことがある↓
【レトロ電柱】京成津田沼「わいがや通り」商店街で見つけたレトロ電柱

やはり古くからある街並みにはまだ残っていて嬉しい。
洋館?応接間兼音楽室
植草米店の向かい側に広い駐車場がある。

その奥に佇んでいるのが小さな洋館だ。現在は使われていないようでとても静か。

アノ近代建築研究所の記事によると、植草米店の倉庫の応接間兼音楽室だったそうだ。左側は増築されたと書いてある。
右の白い壁が昔からのものか…

細長い窓、デザインが素敵だ。現在も綺麗に保存されている様子。


駐車場の隅に残されているのが不思議でたまらない。建物内はどんな様子だったのだろう。

一体どれほどの方がこの建物の歴史を知っているのだろうか。

昭和3年の鳥瞰図では、洋館がある場所は空き地になっているので、それ以降に建てられた建物だろう。
それにしても、明治元年(1868)から150年以上同じ場所にある植草米店ってすごいな…いつかお話を伺いたい。
追記:地元の方より
真偽についてはこれから確かめたいなと思います!音楽の町習志野に源流が此処にあり?
昔、植草米屋の倅と吉野孝(第三代市長、踏切の南側・吉野園茶舗)がヴァイオリンだかピアノだかを練習した「音楽の小屋」だった、という話を聞いたことがあります。
吉野孝は作曲家・信時潔の内弟子だったと自称していたようです。後に吉野が習志野文化ホールを作った源流は、この小屋にあるようです。
この小屋は、何とかいう大工の手になるもので、同じようなデザインの洋風建物が市内にいくつかあったのですが、今でも残っているのはこの小屋ぐらいでしょうか。将校下宿などに好まれたようです。
洋館付住宅について記述がある本↓
(訪問日:2020年12月)
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