京成津田沼駅前に伸びる商店街「ワイがや通り」。もう一度ワイがやを取り戻せ!ー京成津田沼⑴
京成津田沼駅に降り立ってみた。京成津田沼駅よりもお隣にある津田沼駅の方が知名度も高く、賑わっているイメージだが、京成立石駅には一体なにがあるのだろう?古い建物が残っていたらいいな~
そんな淡い期待を抱きながら、京成津田沼駅から探索を始めた。
京成津田沼駅開業100周年目前!
京成津田沼駅。京成本線、京成千葉線、新京成線が乗り入れるとあって駅はとても広い。京成のターミナル駅として、習志野市の代表駅らしい。1921年に開業した京成津田沼駅。来年で開業100周年というのはめでたいな~
開業した当初は、町の中心部に設置されたそうだ。駅前にはホテルや市役所など習志野市の核としての機能も果たしている。が、時代は移り変わり、京成津田沼駅周辺は少し時代に取り残されてしまったような雰囲気を感じる。お隣の津田沼駅に中心としてのポジションを取られてしまったような…
津田沼という地名は、明治22年の町村制実施の際、谷津、久々田、鷺沼の最後の一字を取って津田沼町と名付けられたらしい。明治36年に津田沼町へと発展。その27年後に松井天山によって津田沼町の鳥瞰図が描かれている。当時の人口は8380人、世帯数は1661世帯。
昭和3年に松井天山に描かれた鳥瞰図には、現在も残っている店名も多く、今回の散策でも参考にさせていただいた。(黄色の線が商店街。)
京成津田沼駅のサンロード商店街
京成津田沼駅、改札を出るとテナントがいくつも入っているビルに直結している。
商店街へと行く前にちょっとチラ見。
シャッターが閉まっているお店が多く、奥まで進む勇気は無かった。
ネットで調べてみると、3階にある「コーヒーハウス チャオ」が昭和レトロな喫茶店としてプチ有名らしい。UFOパンケーキは一度食べてみたい…
こうしたレトロな喫茶店もかなり数が減っている…機会があったら追記しよう。
ワイがや通りという名前の商店街
京成津田沼駅の南側、袖ヶ浦団地に向かって真っすぐ伸びる500メートルほどの通りが商店街になっている。
旧津田沼町のメインストリートとして栄えた商店街らしいが…少し探索してみよう。
最初に目についたのは、アーケードの錆!!
こんなにもむき出しで錆びているアーケード商店街は珍しいのではないか…
アーケード商店街は取り壊され、多くの場所では視界が開けた商店街になっているものの、京成津田沼の商店街で錆びているにも関わらずアーケード商店街を残しているのには意味があるのだろうか。…錆好きとして興奮するアーケード商店街だが。
ワイがや通りの歴史を紐解く
ワイがや通りの名前がつけられたのは、20年ほど前らしい。かつて栄えた商店街の賑わいを取り戻そうという取り組みの一環で名付けられた。地域を盛り上げたいと考える方々の強い想いが伝わってくる愛称。ぜひ、錆のアーケードも商店街の一部としてこれからも残してほしい。
少し歩くと、たばこ屋さんが見えた。
建物も新しく建てられ、今どきのかわいらしいたばこ屋に。これも復興の取り組みかな?
多くの人が集まっている。喫煙者にとっては憩いの場なのだろう。
敷地が広そうだと感じたため、壁沿いを探索。
すると、白い蔵?が見えてきた。蔵があるということは、かなりの豪邸?
と、色々想像を巡らしていると、
ここだけ別世界のような雰囲気の門が現れた。お茶会でも開かれそうな和の雰囲気が漂う。
「梅里閑亭」と表札が出ている。松の木と相まって、厳かな雰囲気が京成津田沼とは思えない。
調べてみると、お茶と海苔を売る「ミチヤ」だったらしい。創業明治4年の老舗で、主屋の建物も同時期につくられている。米や薪などを売る商屋だったが、最近リノベーションされ、新しいお店「MICHIYA」に。
お茶を販売していたのであれば、裏にお茶会用の茶室があり、そのための門があってもおかしくはなさそうだ。辻褄が合う…!
門の存在についてさらに調べると、古民家スペースとして利用されているときもあるらしい。門の奥には広い和風庭園と旅館みたいな門構えの建物がある…という話はとても興味深い。
東漸寺
MICHIYAの向かい側にあるお寺「東漸寺」。
創建年代は不明だそうだが、境内には様々な興味深い代物がある。
第二十五番と書かれたお堂は、「吉橋大師講」のもの。吉橋大師講は、四国八十箇所巡りの千葉県バージョンと考えるとわかりやすい。八千代市、習志野市、船橋市など近隣の市の各地に存在する。いつかすべて制覇してみたいものだが…
本堂の脇には、石碑などが密集している場所が。
これは先ほどの四国八十八か所巡りと関係があるようで、巡拝記念の石碑もあった。一周回ると四国八十八か所巡りを疑似体験できるのだろうか。こうしたものは初めて見た。
住宅問題
東漸寺を出て、右手に広がる商店街をさらに散策する。このアーケードは緑色もきれいに残っており、状態が良い。
レトロな雰囲気を漂わせている不動産?「住宅問題」の文字も独特で、不動産には全然見えないのだが…
扉も窓もリフォームはされているものの、昭和感を隠しきれていない。もともと不動産だったのかも気になる。…左に、ホーロー看板でお馴染みの元気ハツラツおじさん。と思いきや、住宅問題に悩まされているらしい。
みはし湯
住宅問題の反対側。2階建ての建物に、みはし湯と書かれた看板。その名の通り、かつては銭湯だったようだ。
1926年創業。松井天山が昭和3年に描いた鳥瞰図にも「美葉湯」と描かれている。薬湯であったことから、美しい葉という名前がついたのだろう。
鳥瞰図をよく見ると、オーナーである三橋さんの名前が多い。また、北川には東漸寺も。位置関係はそれほど変わらず残っている。
80年以上続いていたという銭湯「みはし湯」は、2011年に起きた東日本大震災の影響で煙突が壊れ、営業が停止に。銭湯の煙突が折れるとは…改めて大震災の怖さを知る。
しかし、オーナーである三橋さんのご厚意によって「みはし湯」は新たな人生を歩むことになった。
規則を守れば誰でも利用可能なイベントホールに。銭湯を利用したイベントだなんて粋ですねえ。
みはし湯の表には、京成津田沼の今昔写真が紹介されている。
看板建築・美角薬局
美角薬局は、アーケードに隠れているものの、看板建築に見える。白いファザードの裏には木造建築がちらり。
薬局の近くでよく見かける懐かしいファミリープランも。
金色が輝く美角薬局の文字。局が旧字体なのか、変わった文字に。
松井天山が描いた鳥瞰図には京成津田沼駅の近くにあった美角薬局だったが、移転したのだろうか。京成津田沼駅周辺にもまだまだ古い建物が多そうだ。
そして丸い円盤がついたレトロ電柱も発見。まさか、こんな場所で出会えるとは…!
【レトロ電柱】京成津田沼「わいがや通り」商店街で見つけたレトロ電柱
追記:2020年12月
再び12月に商店街を訪問した。工事中だった。
頑張るワイガヤ通り!商店街として取り組みがあってなんだか嬉しい。
商店街を左折して東方面の住宅街が今日の目的。
昔ながらの商店が見えてくる。商店街とは違う雰囲気だが良いな~
駄菓子屋として紹介されていた「美好菓子店」が目的だった。が…
臨時休業!!土曜日の午後だけど休業か~
また再チャレンジするか~お楽しみに!
商店街から千葉街道へ
商店街のアーケードを抜けて、千葉街道の方まで足を延ばしてみることに。
リバティパブ「ガロ」は、看板がレトロで良い感じ!昔はパブやスナックも多かったのかなあ。
道路の真ん中に石碑?しかも左右ってなんのことだろう?と思ったので近寄って確認することに。
交差点表示石。
昭和10年頃というと、80年以上前の石碑ということになる。車が無かった時代、交差点にはこういった表示石が人々を導いていたのね。
こちらは、一見もじゃハウスに見える建物。商店街からは少し離れた千葉街道にある。
よく見てみると、茶色のレンガが見え隠れしている。
レンガ建築として、レンガ好きにとっては少し有名らしい。どのような利用をされていたのだろう?とても気になる。
追記:2021年5月28日
調べると「瀬山家住宅」として有名な建物であることがわかった。
大正10年建造のレンガ造り。興味深い建物なので、改めて記事にまとめようと思う。
レンガ建築までの道で、不思議な石の柱を見つけた。壁に埋まっているように見えるが、なにかの遺構だろうか?
私道と公道の境界を指す「道界」。界の文字が内股に。等間隔にこんなに設置されている道は初めて。
現代の自動販売機に隠れて、またしてもレトロなファミリープランを発見。
袖ヶ浦団地も近く、かつては津田沼の中心地であった京成津田沼駅。ワイがやの名前が響く日が訪れますように…私にできるのは記録として残して、多くの人に魅力を伝えること。京成津田沼駅周辺を書いている人は少なそうなので、魅力を探していきたいな。
まだまだ探索しきれていないため、京成津田沼駅周辺の良い場所があったら追記する。
銭湯↓
【激渋温泉】習志野に眠る昭和初期の秘湯「鷺沼温泉」かつてロケ地にも
(訪問日:2020年6月)
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ワイガヤ通りの名前の由来は、かつての賑わいをもう一度という事だったんですね…近くに住み始めて何年も経つのに知らなかったです。一時期に比べると少しは新しい店が増えた気もしますが、一方でいつの間にか違う所が空き店舗になってたりするので、一進一退なのかもしれません。
駅ビルのサンロードは正に昭和の雰囲気満載で、タイムスリップような感覚になります。3階のチャオ、向かいにあるガロは昭和感満載のカフェですね。一番駅側にマッターホルンというパン屋があり、リーズナブルな上においしく、地元民から愛されていましたが、2020年の4月頃に閉店してしまいました。今は入口に売り出し中(あのビル分譲なのか…)の貼り紙がありますが、傍らにホットドッグとカレーパンのシールが残っていて、余計寂しく感じます。
昭和初期の俯瞰図も、今の地図と重ねるとよりイメージが湧きます。昔は国道14号くらいを境に海だったと聞いた事がありましたが、これを見ると正にそんな感じですね。
再び賑わいを取り戻したワイガヤ通りが、いつか明里さんのブログに掲載される事を願っています。
名称の由来を知るととても興味深いですよね…これからの商店街の行く先が気になりますね。
駅ビルのレトロ感が残っているのはとても嬉しいです!パン屋さん、昨年なくなってしまったのですね…続報も追記していこうと思います!
高校生の時毎日歩いて通学していた商店街です。一時は商店街の街灯すら電気代を払えなくなるほど寂れてしまいましたが、この数年駅前のホテルが復活するなど明るいニュースもあって期待できます。
ところで商店街の中にセブンイレブンがあリますが、元々酒屋だったこともあり、日本で一番酒の種類を扱っているセブンイレブンです。