京成大久保駅周辺の歴史。軍隊の街と商店街の「カフェ」の関係性

京成大久保駅周辺の歴史。軍隊の街と商店街の「カフェ」の関係性

今回は「京成大久保駅」周辺を散策。なぜ、京成大久保なのかって?それは軍隊の街だから。この場所に限らず、軍隊の街というのは、昔はかなり栄えていて、赤線や青線などとは切っても切れない関係性。なのに、千葉市、市川市と比べると影の薄い京成大久保駅。

世に知られていない歴史があるのではないかと、勝手に想像しながら密かに調査を続けている。

 

大久保と陸軍

大久保と陸軍の関係性を語ると、この記事では収まらないほどなので簡潔に。「騎兵の習志野」とも呼ばれるように、習志野には騎兵学校が設置された。大正5年(1916年)のことである。第一次世界大戦の際に移設された習志野の騎兵学校は、近代性に向けて変化を求められていたらしい。現在も大久保、習志野周辺には多くの軍遺構が眠っているのだが、その話はまた次に。とにかく、大久保の街は軍隊と共に栄えたのだ。

京成大久保駅

京成大久保駅は、大正15年(1926年)に「大久保駅」として開業。地上駅の駅舎はどことなく懐かしい雰囲気。

京成大久保駅

京成大久保駅が改修され、高架がつくられると噂を聞いたが、Wikipediaでは早速そのことが書いてあった。「2020年7月、京成大久保駅舎建替え工事に伴い、仮駅舎の建設を開始」。仕事が早いですね…

南口には、工事中の図書館など。かつては昭和レトロな建築の市役所?公民館?(忘れてしまった)があったとか。駅前もだいぶ雰囲気が変わり始めている。ちょっと寂しい。

京成大久保駅南口

駅近くには古そうなお蕎麦屋さん「二葉支店」。

二葉そば支店

昭和64年の住宅地図で確認できた。

とても美味しそうなショーケース

昭和37年の住宅地図を見ると、駅の東側の道沿いに「習志野映画劇場」や「たちなば湯」がある。現在は、広大な駅前の駐車場に。全く面影はない。

大久保商店街「ゆうろーど」

京成大久保駅北側に広がる商店街は「ゆうろーど」。日本大学生産工学部の方面まで続く約634メートルの長い商店街は、平日でも多くの人で賑わっている。

ゆうろーど

商店街の入り口にはアーチ。よく見ると、馬に乗った騎兵の姿が!これは大久保が騎兵騎兵連隊の街だったことを意味する。

商店街のアーチ

商店街には、学生の姿が多い。現在はオンライン授業のため学生が少ないが、普段は「学園おおくぼ商店街」と言われているように、学生の街なのだ。

住宅地図を見ると、商店街の名前も変わっていることに驚く。
昭和20年頃には商店街の北側が「三山街道(銀座通り)」。南側が「鷺沼(新町)街道」と呼ばれていたそうだ。昭和33年の住宅地図では、「大久保銀座通り」となっている。銀座通りと呼ぶほど、賑わっていたのだろう。

学園おおくぼ

そんな京成大久保の商店街を、過去の住宅地図と照らし合わせながら探索してみよう。

松翠館

地図を眺めていて、気になった「松翠館」という建物。旅館?かなと思いその面影を探してみたら、現在はマンションになっていた。2006年頃まで「ホテル・松翠館」として営業していたらしい。学校が近辺に多いため、受験シーズンは学生の宿として人気だったそうだ。松翠館についてはのちに追記がある。

松翠館はマンションに

隣の飯塚文具、後に漬物屋「まるはん漬物店」として営業していた建物は日高屋に。建物の裏に回ってみると、漬物屋の作業場らしき場所が残っていた。

建物の裏

松翠館は、元々は現在の済生会病院の近くにあったらしい。昭和64年(1989年)の住宅地図には、「ホテル松翠館」として記載されている。どんな建物だったのか、移転した経緯なども調べたい。

商店街に残るお店

商店街は、新しいお店と古いお店が良い感じにマッチしている。

商店街の雰囲気

千葉と言えば、落花生でしょ!?

この場所も住宅地図で合わせてみると、

昭和64年「松本落花生店」と「銀巴里美容室」
昭和43年「松本チンプラ店」と「ギンパリ理容」
昭和37年「銀巴里」

うーん、銀巴里ってシャレた名前だなあ。

松本落花生店

「名取ふとん店」は陸軍御用商店。

名取ふとん店

カフェーが続く通り

住宅地図を見ていて「カフェー」が多いことが気になった。カフェーというのは、昭和初期に流行した風俗営業の一種。女給がいて、現在のホステスのようなお店らしい。

断定はできないが、大久保にもカフェーが並んでいる一角があった。それが下のあたり。綺麗なミントグリーンの建物がある場所は、昭和20年頃には「カフェーほまれ」。カフェー建築かな?と思ってしまうほど、現在もその雰囲気がチラリ。2階へ続く階段は閉まっている…

カフェーほまれだった場所
円柱なのでは?と思ってしまう

隣は、「富士寿司」なのだが「カフェー富士」だった場所。あれ、カフェーの名前が残っている!寿司屋に転業するカフェーは他の場所でもよく見かける。

富士寿司

富士寿司は現在も営業しているため、今度機会があったらお話を伺いたい。

カフェー富士だった場所

向かい側には、「COFFEE木馬」。木が茂っていて、中の様子は全然わからない。このあたりにもカフェーがあったのだが。

COFFEE木馬
シックな黒い看板

なんと2階は、麻雀クラブ「東東」。うーん、カフェーから大人の遊び場の名残かな。

麻雀クラブ「東東」

カフェーと大久保

大久保に赤線、青線が存在したとの情報は見たことがない。しかし、軍隊と密接な関係性がある大久保にそのような歴史がってもおかしくはないはず。数少ない資料から、大久保のカフェーについて調べることにした。

軍隊とカフェ

カフェやビリヤード場などは、兵士だけでなく地元の青年も楽しんだ場所だったようだ。

カフェ
兵士の外出には制限があり、管外に出る場合には、特別に申請して外出許可をもらわなければならなかった。通常の外出は限られた場所であったが、兵士たちは自由を求めて勇んで外出した。
こうした兵士たちの心の慰めになる近道のひとつは、やはり飲食店であった。それらの店は「大久保銀座通り」に沢山あった。特に営内に居住する下士官には兵士と異なった心情があったようで、出入りの承認が営内で夕食後に開く酒保では物足りず、まちのカフェなどに消灯までの時を過ごす人も多かったようである。また、こうしてカフェは近隣の若者の憩いの場でもあった。

兵士たちは、憩いを求めてカフェに夜な夜な出かけていたらしい。カフェが青線的な役割を果たしていたのかは不明だが、兵士たちの規則の厳しさを考えると、夜遅くまで営業はしていなかったのかもしれない。

当時を知る人たち

当時を知る方にお話を伺った。やはり、カフェが多く点在していた付近には女給のような方が多く、近寄っていはいけない雰囲気があったらしい。お祭りの神輿が商店街を通ると、カフェのあたりで立ち止まる。それはカフェで働いている方が他の場所よりも余裕があり、お金を落としていたからだ。

少ししか聞くことができなかったため、今度もう一度お話を伺って追記しようと思う。

カフェの地図

先ほどの銀巴里も、カフェの関係だったのではないか。習志野の騎兵軍を美しい歴史でとどめておこうと、敢えてカフェなどの情報は隠しているのかもしれない。

商店街の見所

商店街は老若男女問わず様々な年代の方が買い物や散策をしており、活気がある。

塾×カフェは新しいな

カレー&スパゲティの「ナポリ」は名店らしい。

ナポリ

看板が取れてしまっているが、「習志野薬局」は昭和33年の住宅地図でも確認できる。

習志野薬局

看板建築とも言えそうなつくり。かなりガタが来ている建物は、今は使われていなそう。新しい店舗で営業中。

satoの象が可愛い
隣で営業中

建物の間にひっそりと立つ看板「市角氷室」。

市角氷室

昭和33年の住宅地図でも、同じ場所にある。現在も営業しているらしいが、業者向けだろうか?

古い看板があった

商店街の途中には「お休み処」があり、休憩や大久保の歴史を勉強したりできる。

お休み処

行列のできるかき氷屋「mizoreya」

ちょっと休憩しようと思って入ったかき氷屋「mizoreya」。普段は外まで並ぶ行列らしい。

mizoreya

注文したのはテイクアウト用の「クランチースノー ラムレーズン」(380円)。空いていたので店内でいただくことに。そしておまけで期間限定の「プラムみぞれ」も頂いてしまった…なんて優しい方。

並んでも食べたくなるふわふわのかき氷。もしかして市角氷室と関係があるのかな?

かき氷~

商店街探索続き

商店街を北へと進んでいく。かき氷屋があった近くには「梅の湯」という銭湯もあったらしい。

「さくら この奥」という矢印もそそられる。

どんなお店だろう?

現代の流行り、タピオカ店なども多い。

タピオカ店もよく見かける

昼間から賑やかな「鳥吉」は、昭和33年の住宅地図でも載っている。

鳥吉

交差点の近くにある習志野スポーツ。もともとは「習志野食堂」だったらしいが、時代の変化に合わせて方向転換したらしい。一律習志野高校のグッズもここで販売しているようで、野球好きな方は要チェック。

かつては食堂

「梨屋」が目立つ建物。横から見ると、木造建築の古さが際立っている。

梨屋

麻雀「白楼」。なんて魅力的な名前なのだろう。
昭和43年の住宅地図を見ると、「マージャン林」「ビリヤードひがしやま」「パチンコ習志野会館」といった遊び場が多く見られることから、この辺りは大人の遊び場が密集している通りだったのかも。

白楼

ノスタルジックな理容室

昭和ノスタルジックを探している人にとっては、ぴったりの建築「すずらん理容室」。まるでこの場所だけタイムスリップしたかのような、木造の入り口と窓。昭和43年の住宅地図を見ると、「すずらん理容所」と載っている。しかし、昭和33年の住宅地図では「ヤマ〇理容」とあるため、途中で店名を変更したのだろうか?建物はいつ建てられたのだろう?

すずらん理容室

その脇道はもっとお素敵。昨年の台風の影響か、かなり傷んでいるものの、このまま残ってほしい。

すずらんの脇道

さらに奥へと進むと、飲食店が密集している。「美豚」という名前は、インパクト大。昭和43年の住宅地図によると、この建物と美容室の間には、「酒場横丁」なるものがあったらしい。

飲食店が密集
昭和33年の住宅地図

あ、「大久保劇場」なるものもあったのか。(緑色)昭和43年の住宅地図では無くなっているため、かなり早い段階で取り壊しになってしまったのかな。気になる…

商店街の街灯には、金色の鐘がついていた。どういう意味があるのかな。

鐘がついている街灯

商店街の端にある建物は「滝本時計」。正確な時間を必要とする兵士にとっては時計は欠かせないものだった。

滝本時計

商店街の裏道を抜けて

ここからは商店街の裏に。習雲山薬師寺の脇道を通って、一本裏道へ。

裏道へ

広い駐車場に猫が大量に横たわっているのは驚いた。野良猫を保護しているらしい。猫好きにはたまらないかも。

猫がたくさん!

角の建物は、昭和33年には「ラジオテレビ制作」とある。隣は学生寮だったらしく、建物が独特。

ちょっと独特な建物

そのまま道を北側に進む。「桜並木通り(市角頼母御成街道)」と呼ばれていたらしく、また深い歴史がありそうだ。

大きな街道の手前、ジャズ喫茶の壁が渋い。

ジャズ喫茶

御成街道

御成街道にも古い建物が多い。紅谷肉店は、商店街の裏に紅谷牛舎を保有していたと、地図に記載がある。

紅谷肉店

ハッピートリオの広田米店。米がこんなにもかわいく見えることはなかなか無い。

広田米店

「居酒屋よってき」は、ネームセンスが良い。

よってき

こちらは看板が外されているが、

何の建物でしょう?

隣に燃料倉庫があったので米店だろう。と思ったら「吉野米店」。案の定当たっていた。

吉野米店

「張替酒店」はかなり有名なお店。軍にかなり所縁のある建物だとか。

張替酒店

張替酒店の建物は色々な角度で見ても凄い。

張替酒店
隣の建物の立派な赤い屋根

一本松

角にある松は「一本松」と呼ばれているようだ。地図にも掲載があるが、どういった歴史があるのか。一本松について詳しく知っている方がいたら教えてください。この松の北側に向けての道が「松山通り」というらしい。京成本線が大正15年に津田沼~成田間を開通させる前までは、連隊に向かうメインストリートの一部であった。

一本松

一本松がある建物の裏には、「菊水荘」というアパート?のような建物が。

菊水荘

松山通りを北上する。古いアパートが目立つのは、学生の街だからだろうか。

古そうなアパートが目立つ

玄関には、昭和レトロな電球も。

昭和を感じる電球

現在の住宅地図の看板。松山通りは、住宅街になっており、お店の名前などはあまりない。昔はかなり賑わっていたそうだが、どんな商店が集まっていたのか。写真などがあれば見てみたい。

現在の住宅地図の看板

松山光正稲荷神社は、住宅街の中にひっそりと赤い鳥居だけがている。木が伐採されて、スッキリとした境内。大正3年の手水鉢がある。レトロ電柱もこの近くには2本。

【レトロ電柱】京成大久保駅周辺に残るレトロ電柱

松山光正稲荷神社

松山通り、松山商店街が京成大久保駅ができる以前まであったようで、その時はこの神社も中心だったのかな。

追記:鳥瞰図で見る大久保

昭和3年、松井天山が描いた大久保の鳥瞰図。

松井天山の鳥瞰図

黄色い道が商店街。赤色で囲った部分は今回扱った場所。松山稲荷神社が今とは比較できないほど、広い!たぶんこの左側にある道が松山通りだろう。あ、「割烹旅館松翠館本館」とある。松翠館は割烹旅館だったのか。となると、商店街にあるのは支店。松山通りも、割烹旅館の取り壊しとともに、消えてしまったのかも。支店の方は建物を建て替えてホテルとして営業していたみたいだけど、それも綺麗なマンションになっているし、どんな様子だったのかは鳥瞰図でしかわからない。

カフェーも何軒か目立つ。カフェー東は、現在の麻雀クラブ東東と関係性があるのかな?

あと気になったのは、薬師堂の近くの演藝館。無声映画を解説する弁士が活躍した演芸館は、薬師寺の隣の広場にあったらしいが、現在は猫がたくさんいた駐車場のあたりだろうか?

 

追記:昭和20年頃の大久保商店街の地図

京成大久保について続報。

以前、大久保で行われた展覧会に行ったことがあり、その時の写真が見つかった。

昭和20年の大久保の地図

地図には、細かく記載されていて、わからなかった建物についてもわかりそうだ。習志野劇場は土日の営業。梅の湯は、火災で焼失し、商店街に移転したこと。松翠館本館も、火災で焼失したことなどがわかった。

 

今度、大久保の商店街で昔のことに詳しい方にお話を伺う予定。もしかしたら全然関係のないカフェだったのかもしれない。一方で、名声高い陸軍の歴史を美しいままで残そうと、カフェなどの文献を残してないのかも。と思うと、私がしている調査も真剣にならざるを得ない。カフェとはどのようなお店だったのか、これからも軍隊との関係性について深堀していきたい。

 

 

(訪問日:2020年7月)