【京成大久保】裏通りの飲食店。かつての陸軍施設の名残~銭湯「竹の湯」跡 -京成大久保⑸

京成大久保駅。千葉県習志野市の大久保の商店街の記事は私のブログではランキング上位にもなっている、注目している街だ。
京成大久保駅周辺の歴史。軍隊の街と商店街の「カフェ」の関係性
商店街から少し離れた東側に、とても静かな通りだが居酒屋などが並ぶ通りがあった。かつて日本陸軍とも関わりが深かった大久保。あまり知られていない毒ガスの研究所があったのはどれくらいの方が知っているのだろう。かつての銭湯も辿る。
裏通りの飲食店
京成本線「京成大久保駅」北口を降りて、まっすぐ続く商店街ではなく、東側にある裏通りを目指す。
県道69号(御成街道)には古そうな商店らしき建物も。

商店らしき建物の左側、「誉田八幡神社」の一本東側に伸びる道路。車の通りもあるので比較的広い道だ。

通り過ぎてしまいそうな何の変哲もない通りだが、飲食店が多く並んでいることが気になった。
こちらは「割烹ふじ」。

口コミの評価は高い。建物は新しく見えるが、商店街からも駅からも離れた場所にあっても人気なのが凄い。

新しい住宅やマンションなども目立つが、最近建替えられた建物も多いのかも。

こちらは「浜寿司」。営業している雰囲気は無いが、奥の建物の壁がトタン板で古そうだ。

その隣、平屋の「金さん」という居酒屋が目立つ。遠山の金さんをモチーフにしているのが全面で伝わってくる。旗があるので営業中かな?
昭和43年(1968)の住宅地図を見ると、この辺りには「たぬき食堂」がある。もしかしたらお店が変わったのかも。その左には「三愛薬局」。

角にあるのは大きな三角屋根が特徴的な「サンロード」というお店。居酒屋?喫茶店にも見える。

昭和43年の住宅地図では、アパートが多数あり、この通りの奥には「渥美旅館」という旅館もあった。

サンロードの隣も、スナックとかのお店のようだ。

ちなみにこれらの飲食店の向かい側は新しい民家が並んでいる。
少し先に行くと、飲食店が向かい合って並んでいる。

こちらは居酒屋「スキャット」。

和風な佇まいの建物はとんかつ屋「阿波」というお店だったようだ。かなり立派な外観だが、閉店したようだ。

県営住宅周辺
裏通りから表通りに出る。泉町には県営住宅が昔からあるが、そのせいか飲食店も多い。

県営住宅があるのは北側。古そうな飲食店があるが、昭和43年の住宅地図を見ると角は「渡辺魚店」。

商店が2軒、理容室、美容室などがあり商店街のような雰囲気だったのかな。

小料理「わかい」も看板がレトロで良い。

営業しているようだ。

壁にはキリンビールのホーロー看板?このマークはよく見かけるが、ホーロー看板で残っているのは珍しいのでは?

習志野の森「陸軍習志野学校」
小料理「わかい」の向かい側に、何やら鬱蒼とした一角があるのに気づくだろうか。入り口は固く閉ざされている。ここは「習志野の森」と呼ばれる財務省の所有地。

年に4回ほど一般公開をしている場所だ。
現在は市民の憩いの場となっているが、少し前までは「千葉大学腐敗研究所」、戦時中は「陸軍習志野学校」があった場所。
昭和8年に騎兵第16連隊跡地に設立された「陸軍習志野学校」。当時の10分の1ほどの敷地が残っている。
この場所では、毒ガスの研究を行っていたこともあり、現在も地下にはイペリットやルイサイトといったびらん性毒ガスが埋まっているのだとか。動物実験が行われていた石碑なども残っており、安易に近づいては行けない、習志野のディープスポット。
他の敷地には公務員住宅や、高校などが建っている。

泉町の公園の弾薬庫跡
泉町3丁目の公園には、不思議な場所がある。

これは元弾薬庫。

そのうえに公園風なあずまやとなっているが、あまりにも頑丈なつくりだったので壊さずにそのままにしたと思われる。毒ガスは空気よりも重いから半地下の倉庫となっている。

こちらは裏門の跡。

昔は警護所が近くに残っていたが、解体されてしまった。

煉瓦造りの兵舎
陸軍習志野学校の表門の近くにかつて存在した兵舎の建物。その兵舎の建物の一部が、まだ残されている。

土台が煉瓦造りで素敵。かつてはもっと奥長い建物だったみたい。

現在は誰も住んでおらず廃墟のような建物となっているため、興味本位で近づくのはやめよう。いつ建物が取り壊されてもおかしくなさそう。
銭湯「竹の湯」
平和県営住宅1号棟の隣。かつてその向かい側に銭湯「竹の湯」が存在したらしい。2010年頃に廃業したそうだが、煙突も残っていた写真がある。カラオケルームなどもあったそうだ。

現在もコインランドリーだけが残っている。が、建物は新しいらしいのでかつての名残はまったくない。

昭和43年の住宅地図には銭湯の隣に中華「立花」。
もしかしたら裏通りに飲食店があるのは銭湯があったからかな?と予測。習志野の森は地元の方でもあまり知らない場所なので、都合が合う方は見学してみてほしい。
毒ガス研究を行っていたという歴史は地元の方でも知らない方が多いかもしれない。確かに負の歴史かもしれないが、埋もれてしまうには惜しい歴史だ。若い人にも知ってもらいたいと思った。
京成大久保のシリーズ↓
京成大久保駅周辺の歴史。軍隊の街と商店街の「カフェ」の関係性
(訪問日:2020年10月)
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竹の湯は入ったことはないのですが仕事で玄関先で店主とやり取りしたことは記憶にあります。ここのコインランドリーは更地になった後の新築で当時あった痕跡はもうないですね。
コメントありがとうございます!
そうだったのですね!コインランドリーは新しい建物なのですね…ちょっと残念です
このあたりで育ったものです。記事にしていただいてありがとうございました。
さんろーどの隣は「じゃずる」というジャズ喫茶でした。おそらく40年以上前に閉店していますが、壁にじゃずるの文字跡が見えます。ここは東邦の学生さんなどが70年代に利用されていたそうで、思い出を書かれたブログを読んだ覚えがあります。聞いた話だと、じゃずるのマスターがJR市川駅近くに移動して「りぶる」というライブバーを開店し有名店となったそうです。一時行方不明となりましたが、その後、品川の海で亡くなられていたことが確認されました。多くのミュージシャンやお客様に慕われていたようで、ブログなどで沢山惜しまれていました。
記憶では金さんの左隣は三愛薬局でやさしいおばさんが経営されてました。阿波はおばあちゃんと娘さん(?)のコンビでとても美味しかったです。お店もキレイでした。
忘れ去られるのが惜しくて長文を書いてしまいました。誠に失礼しました。今後もブログを楽しみしております。