小さな商店街~「加納久宜公の墓」と一宮城址へ。上総一ノ宮の歴史を訪ねる ー一宮⑷

小さな商店街~「加納久宜公の墓」と一宮城址へ。上総一ノ宮の歴史を訪ねる ー一宮⑷

上総一ノ宮を探索。メインストリートと思われる商店街の裏道にも小さな個人商店がある通りがあった。個人的には裏通りの方が探索していてワクワクする。

今回は裏道から山の上にある「城山公園」まで歩いてみた。

小学校へ向かう細い商店街

千葉県長生郡一宮町一宮3369。前回のつづきで、玉前神社から、一宮町立一宮小学校へ伸びる細い裏通りを歩くことにした。

セキヤ文具店

文具店は表に回るも営業している雰囲気はなく…でも隣に煉瓦製の井戸が残っていてテンションが上がった。

煉瓦製の井戸だ!

土台?井戸の周りもレンガが残っているのが興味深い…いつ頃のものなんだろう?

土台も煉瓦製

T字路にある建物、よく見たら欄間のガラス窓のところの細工が綺麗。元商店かな?

趣のある佇まい

小学校へ繋がる道なので、ちょうど下校している学生とすれ違う。綺麗な住宅が多いが、昔は商店が多かったんじゃないかな~

住宅街

右は酒屋、左は何だろう?ちょっと洋風な外観。

向かい合う商店
村杉酒店

酒屋の隣にあるそば屋「布袋庵」は美味しいと評判なお店みたい。

建物の前に井戸が。こちらは普通の井戸みたい。

井戸がある建物

美容室系のお店は比較的残っていることが多い。

ビューティーサロン

小学校の近くに一際目立つ2階建て木造建築があった。赤い扉。普通の民家にしてはオシャレだな~もしかして病院だったとか?

小学校の近く

「向井」とある。子供が多くてあんまりジロジロと見れず、調べてもよくわからなかった。

向井

誰か知っている方いませんかね~素敵な建物の歴史を知りたいな。

Advertisement

城山公園へ山を登っていく

少し時間があったので、山の上にある「城山公園」を目指して歩くことに。1日歩いていたので、上り坂が辛い。

登り坂が急だな~

住宅街を抜けると、一気に自然が見えてきた。とても長閑な場所。通りすがりの人に挨拶をされた。

自然が豊かだ

大手門が復元されているが、ここは「一宮城」があった場所とされている。

大手門

一宮城は天然の地形を利用した標高約30mの台地の上にある要塞の山城。周辺にある寺院は守護神として配置されたものらしい。明治維新によって取り壊されたが、現在も地名に名残を感じることができる。

説明看板

現在は公園として整備され、4つの名所がある。私は②の大手門から入り、④の加納久宜公の墓を辿ることにした。

名所の案内図

大手門からの道は、春になると桜並木が綺麗だそうだ。

桜並木

まるでお城のような立派な建物は、武道場の「一宮町立 振武館」。

振武館

加納藩の武道所だった「振武館」を再建したもので、現在も心身鍛錬の場として活用されている。

建物の横の細い道を抜けていくと…

細い道

見晴らしの良い高台へ出る。一人で探索していたので、ちょっと人気が無くて怖かったけど、穴場だな~

見晴らしが良い場所へ

ちょうど小学校の裏にあるようで、自分がどれだけ高い場所へ登ってきたのかがよくわかる。でも、思ったよりも塀が低いので注意。

街を見渡せる

全く誰もいない。静かな展望台。この写真だけ見たら、当時の一宮城が浮かび上がってきそう。

江戸時代のような風景

さらに階段を登って、お墓の方へ。

お墓へ

「加納久宜公の墓」は一宮町指定史跡。

加納藩第16代藩主で、明治2年(1869)版籍奉還にて一宮藩知事に任命され、その後は鹿児島県知事として活躍。一宮の町民からの要望を受けて、明治45年から大正8年まで一宮町長に就任されると、一宮を全国の「模範村」と称されるまでに発展させたという。

説明看板

彼の功績は現在も地元の方に受け継がれている。一宮が別荘地として「東の大磯」と呼ばれたのも、彼が誘致をした結果だった。

山の中腹にある墓

街の発展に大きく貢献し、後世まで慕われる人物は今どのような気持ちで一宮を見ているんだろう。オリンピックに向けて活気が戻るといいな。

帰りの階段

先ほど登っていた山を下から見上げると、とても距離を感じた。

下から見た山

上総一ノ宮の探索は2時間半ほどだったけど、商店街や神社、城跡を含めてとても濃い時間だった。

 

(訪問日:2021年3月)

error: このコンテンツのコピーは禁止されています。