外房線「上総興津駅」で下車。勝浦市興津の海岸沿いの商店街と旅館

外房線「上総興津駅」へ。青春18切符で、千葉県中の駅を降りて探索している中、海水浴場として人気な上総興津駅周辺は思っていたよりも商店街としての活気があり、歩いていて楽しかったです。
外房線「上総興津駅」
千葉県勝浦市興津307−6。外房線「上総興津(おきつ)駅」へ到着!木造駅舎が青空に映える!

昭和2年(1927)開業、比較的開業が遅くなったのは、買収立ち退きが遅れたことが原因らしい。

興津、地名の由来は「海水深く湾入する天然の良港に由来するとも、奥山の木材を津出したことに由来するともいう」(角川書店『日本地名大辞典』)とのこと。
また、古くから繁栄していたそうだ、仙台藩によって東海大廻しの新航路が発見された後、興津村の港に役所が設置、ほかの東北諸藩も港を利用したため、現在も「千軒町・三味線堀」といった地名に繁栄の面影が残っているという。

江戸期の廻米船が衰退してからは、明治30年に東京湾汽船の定期航路が開かれ、再び活気を取り戻した。
その後、駅が開業してからは、町は旅館街となり、今に至まで夏季都会人が多く来遊するとのこと。駅前の観光案内所は閉まっていたがシーズンになると営業するのかな?

”外房線の全線複線化を早期に実現しよう”のメッセージが切ない…

調べると、1975年に複線化の認可を受け。複線化工事が始まるものの、1984年に凍結されてしまったらしく、未完成なまま放置されているとのこと…Yahoo!知恵袋より
複線化するほど乗客の数も見込めないし、この先も複線化が実現することは無さそうだ…

駅前にあった、海中公園情報は「勝浦海中公園」の事だと思われる。3年位前に行ったことがあるが、東洋一の海中展望塔として有名だ。東洋一の海中展望塔「かつうら海中公園・海の博物館」-勝浦⑺
上総興津駅前の商店街
上総興津駅前の通りは、街灯も設置されており商店街が広がっている。

2015年頃までは、「釣りと海水浴の興津」というアーチも建っていたみたいだ。
中華・喫茶の村田食堂、雰囲気も良く美味しそうなので入ってみたいお店。お土産店も併設?

真ん中の細い建物は、元喫茶店?

なんと、たい焼き店を発見!「イワセ」というお店らしい。

たこ焼き10個380円、たい焼き120円。店員さんがいる気配が無かったので買えなかったが、海水浴シーズンは開いてるのかな。
たい焼きてんの向いは元蕎麦屋、並びには「鶴の寿司」。

寿司屋の向かいにある建物は、緑色のテント屋根が残っているが…?

「興津観光協会員」のホーロー看板が残っていた。

この日歩いていてこの看板を見かけたのは、この建物のみであった。
駅前通り、だいぶ営業しているお店は減っているものの、現在も飲食店が営業しているのは嬉しい。友達も誘って、今年の海水浴で訪れようかな。

旅館街として?興津館
海側に行く前に、駅側の線路沿いを少し探索。

集会所、電気店、精肉店、おしだり鮨など。おしだりって、忍足って書くんですね!

線路沿いから外房黒潮ラインへ。しばらく歩いていると、旅館のような建物を見つけた。

「新屋」、旅館とは書いてないし今は閉業しているようだけど…

さらに外房黒潮ラインを西へ。この辺りは民家が立ち並んでいる。
東橋の隣にある二階建ての建物は、見ただけで確実に旅館だと感じた。最近まで、建物の角に「興津館」の大きな看板が建っていたが、撤去されて無くなっていた。

興津館。名前からして興津を代表するような旅館だが、閉業してしまったのだろうか。

2014年のストリートビュー、入口の雰囲気が今と全然違う。

旅館街と紹介されていたが、現在は宿泊する人も少ないのだろうか…興津館の閉業は寂しい。
興津の商店街
国道128号、伊南房州通往還で古くから栄えたであろう通り沿いは商店街が広がっている。

鮮魚店「やなしん」の向かいにある「興津町道路元標」が電柱の影にひっそりと建っていて見逃してしまった…見逃しが多くて参るなあ。

角にある田辺商店は、明治42年創業の海産物専門店だそうだ。カラフルなビーチサンダルが目立つ。

隣はカフェ「DOLPHIN」。勝浦タンタンメンも頂けるみたい!

伊南房州通往還沿いの商店街を探索。田辺商店の隣は原薬局、向かいは中華料理店。

中華料理店「松葉屋飯店」。こういう小さな町中華、惹かれますね~

薬局の隣の「上総屋」は呉服・海水浴用品・洋品を扱っているとあるが、現在は閉店。

この前、3月に放送された『出川哲郎の充電させてもらえませんか?』という番組で、この建物で商店街のくじ引きが開催されている様子が映っていた。イベントを開催するほど商店街が活気があって嬉しい。
向いは書店「さかんや」。
デイリーストア勝浦興津店。


鎌田商店は、立体的な店名の文字に一目惚れ!

金物屋さんとして現在も営業中。

向かいにあった吉野酒店は、新しい一軒家に建て替わっていた。

興津郵便局、他の場所ではあまり見かけない独特なデザインの郵便局だった。

並びには大黒屋酒店。現在は閉店している。

2012年頃までは営業していたが…酒屋さんが2軒も閉店していることに驚いた。

地酒の腰古井は、勝浦市の蔵元「吉野酒造」の日本酒。江戸時代からの歴史ある商品だが、ネット販売も行っているようだ。

閉店し、改装している建物も多く残っている。

繋船柱碑
丁字路の北側にある室山旅館は、ラジウム温泉があるらしいが、さらに向かいには別館も。
室山旅館、情報があまり無いが現在も営業しているのだろうか…


妙覚寺の手前にある、勝浦市指定文化財の「繋船柱碑」。

勝浦市のホームページにしっかりと紹介されていた。興津海浜公園にあるものが紹介されている。
江戸時代興津は、東北諸藩の廻米交易船の碇泊地として、房総沿岸有数の避難港として、いわゆる興津千軒の繁栄をもたらした要港でした。殊に穀倉を誇る仙台藩はその往来が最も激しく、興津天道山下に陣屋を置き、寄港船の取り締まりや連絡等にあたらせたといわれています。この柱も当時仙台藩によって運ばれたもので石巻近在に産する粘板岩、通称仙台石でできています。
かつて港の弁天崎磯際に十数本も並立し、これに繋留する船舶は一艘につき金1朱と御供米2升、500石以下は200文を妙覚寺に納めたといわれています。
仙台藩との繋がりが、この碑の材質からも確認できるとは凄いな…妙覚寺に納めたという歴史から、現在も繋船柱碑の1本が山門前に残っているのは納得。
陣屋まで置かれていたとは初めて知った…
興津海水浴場
現在は家族連れに人気な興津海水浴場周辺へ。海水浴場へ行くまでの細い道にも元民宿の建物がちらほら。

民宿の数も最盛期からはだいぶ減っているのだろう。現在は廃墟に。

興津海水浴場。滅多に遊泳禁止にはならない非常に波静かな海水浴場で、家族連れに最適らしい。

白い砂浜と青い海のコントラストが美しい~一人で海を眺めるのも悪くない。
また、江戸時代の元禄地震の再来想定津波高の看板が建っていた。高い…

興津、千軒町といわれたほどの繁栄から数百年が経っているものの、現在も街道沿いには商店街が残っており、面影を感じる。
駅前の看板には、今は無き隣駅の行川アイランドのフラミンゴ。この時代にタイムスリップしたいなと思いつつ興津を後にした。

(訪問日:2021年9月)
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