上総湊駅周辺の商店街、旅館清風荘・小泉酒店。薪炭を輸送する水運の湊川
内房線「上総湊駅」へ。今回の街は、駅から少し離れた湊川近辺に古い街並みが残っているので歩いてきました。足を伸ばして良かったと思える素敵な建物がたくさん…!
内房線「上総湊駅」へ
千葉県富津市湊、内房線「上総湊駅」へ到着。
大正4年(1915)開業。開業当時の木造駅舎が美しい。
待合室には木製のベンチ。各地を巡っているけど、昔ながらの木のベンチがそのまま残っているのは珍しい。ほっこりした。
駅を出て正面にあった観光案内の看板。マザー牧場、富津市民の森、他にも旅館や釣船が多数描かれている。
以下、看板から抜粋
マザー牧場 9K先
富津市民の森 12.8K先
高宕山自然動物公園 11.2K先
上総湊海水浴場 1.3K先
神田橋親水公園 1.4K先
湊親水公園 1K 先
読めない 9.1K先読めない 9.7K先
読めない 10.5K先
竹岡ヒカリモ 6.1K先
燈篭坂大師 4.5K先
浅間山運動公園 2.7K先
アマハパーク 1.7K先
読めない 8.5K先旅館案内
ビジネス旅館 こなや
大磯屋旅館
山の上ホテル
清風荘
民宿かねこ
民宿鈴孝丸
民宿桂舟庵
民宿はまむら
果たしてこの中で現在も営業中なのは何軒か…
アマハパークって何だろう?調べても情報が無かったが、遊園地?公園?
山の上ホテルって聞くと東京都千代田区のクラシックホテルを連想するが、千葉の富津にも山の上ホテルが存在したとは…現在はデイサービス富士見となっている。
上総湊駅前の商店街
上総湊駅前の商店街を探索。左角の高梨商店に併設して食堂たかなしが営業中。
今度はここでご飯を食べてみたいな。向かい側にばバスの営業所の建物。
2014年頃のストリートビューでは、「天羽日東バス本社営業所」の看板が存在したが現在は撤去されている。建物もトタン板で覆われているが木造建築のようで歴史を感じる…
調べるとこの場所は、日東交通旧上総湊出張所。2017年に天羽日東バスが日東交通に吸収合併されたため、出張所となり、2021年4月に富津営業所に統合された。
かつて、天羽日東バス時代には日東交通富津観光営業所も併設しており、観光車・貸切車が所属していたという。そのため、駅前に観光案内の大きな看板が残っていたのだろう。
駅前の通りには、衣料品店やスナック、美容室、写真屋、電気店など。観光バスが賑わっていた頃はもう少し飲食店などもあり賑わっていたのかな。
駅前通りを出ると、国道127号。右折し、かつての中心街を目指します。右手にはヤマザキパンの看板が出ている元商店?
旅館静風荘
国道沿いに気になる看板を発見。”この上コーヒーランチ”って書いてある。
湊夕日ヶ丘
喫茶軽食・清風荘
洋品のオノ
案内看板に沿って坂を登ってみたが、あまりにも静かな空間で営業しているのか分からず引き返してしまった。清風荘はかなり古い旅館らしいので、泊まってみたいと思っている。
入り口は山の上側にあるようで、ストリートビューで看板が確認できる。
数字の部分が消されているが…
腰痛・肩痛によいお風呂もあります。というのが気になる。温泉ってこと?
さらに国道沿いを進むと、ビジネス素泊まり歓迎の看板。
2014年のストリートビューでは、上にも大きな看板が残っていた。最初、観光案内の看板に載っていた「こなや旅館」のようだ。
現在は閉業している模様…
さらに国道を南へ。次の電車が来る1時間の間で、駅から中心街まで歩いて往復しなければならず足早に探索した。
湊町の交差点周辺
湊の交差点に到着。写真中央の左角に、湊町の道路元標がひっそりと建っている。
湊町は明治22年~昭和30年まで存在した自治体名。駅から離れているが、かつての中心街がこの辺りだったことが道路元標の設置からも窺える。
交差点の西側の通り。角にあるのは鮮魚店魚七、右は平野肉店。
県道93号、道沿いには古い建物が残っており、この道にも商店街が形成されていたことを知る。
小さなお店は、「大野屋」。私が行った時は閉まっていたが、2021年2月のストリートビューでは団子やお菓子類が販売されている様子。
グーグルマップの口コミでは美味しそうなあんこやみたらし団子の写真がたくさん載っている。数量限定らしいので早めに行かなければ…!
湊川の歴史
湊の交差点を南へ行くと湊川に出る。
川の手前、崖の上に建つ木造建築が目に留まった。元々はどんなお店だったのかな。
同じ並びにある、平兼金物店。入り口への木の橋がボロボロすぎる…
湊川。古くは天神山川と呼ばれていたそうだが、河口に発達した商業都市湊にちなんで湊川に。
角川書店の「日本地名大辞典」によると、
近世~明治末まで、湊川は上流の薪炭を輸送する水運として利用され、河口には番所があって、運上金を徴収したといわれる。
河口付近には流域の物資の集散地として発達してきた富津市湊の町がある。
また、湊港についての記述も興味深い。
富津市のほぼ中央を流れる湊川河口にある港。古くより京浜地方を蛇行する帆船の避難港として、木更津港とともに利用されてきた。江戸時には「湊浦」として、城米・米蔵やシキビなどの積出港として栄えた。
~「舟はちゃんころでも、米酒つまぬ、積んできたのは薪と炭」と歌われた。
木更津と並ぶほど有名な港だったとは知らなかった!
また、明治25年からは東京湾汽船の定期航路の寄港地ともなったが、その後の関東大震災などによる被害のため、大型船の入港が不可に。湊の繁栄は自然災害によって断たれてしまったのか…
湊の交差点から東に商店街が広がっている。物資の集散地として発達した湊の商店街の面影を辿ってみましょう。
交差点角にあるのは旧お食事処かねこ。
隣の青いテント屋根の建物は何のお店だったのかな~
向かいには、薬局?吉原商店が2014年頃まで存在した。現在は新しいアパートに。
湊の商店街・小泉酒店
一際目立つのが「小泉酒店」。佇まいも素晴らしく、湊町の在りし日の面影を感じることができる。
小泉酒店は、「東魁」を醸造している小泉酒造の直売店とのこと。寛政5(1793)創業の小泉酒造、小泉酒店から東へ進んだところに工場や販売店があるらしい。
江戸時代の資料も展示されている資料館があるらしいので、小泉酒造までドライブで行ってみたいな~
引き続き商店街を東へ。
元鮮魚店と蔵。集散地として発達していたからか、蔵が現在も多く見られる。
交差点の角に、和風料理「宮島」の看板。また、この商店街が「湊商店街」と呼ばれていることも分かった。
宮島は交差点から案内看板が指す方向へ向かった先に。右手には薬局も。
川沿いにある地元では有名な和食料理屋さん。川からの眺めも良いそうだ。
再び商店街の探索へ。古そうな門柱が残っている邸宅。
街灯は並んでいるが、商店街としては衰退してしまっている。
蔦に覆われた蔵造りの店舗?2014年には既に閉まっている。
2つの窓。1階部分は大きな板で封じられている。かつて店舗の時に存在した屋根などがすべて取り払われた状態。
元々どのような商売をされていたのかがとても気になる。奥には住居らしき建物も併設。
少し進んだところにあった、元々は茅葺屋根のような店舗。屋根が分厚い。
さらに行くと、スーパーの吉田屋があった。ここで少し買い物をしたが地元の方で賑わっていた。
この辺りで電車の時間が迫っていたので引き返した。さらに東へ進むと、小泉酒造。さすがに歩いて行くのは厳しいので車かバスで行きたい。
上総湊、初訪問だったが、かつての繁栄を偲ばせる落ち着いた街並みに惹かれた。今度はお酒を買いにまた訪れよう。
(訪問日:2021年9月)
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