香取神宮、旧参道の歴史。戦前の絵葉書と「笹川屋旅館」 -香取神宮⑶
香取神宮、かつては違うところに表参道が存在したことをご存知でしょうか?
現在も当時のままの老舗旅館の建物が現存しており、往時の賑わいを伝えています。今回は香取神宮で特に気になった旧参道についてたっぷりまとめます。
香取神宮の旧参道の歴史
千葉県香取市香取「香取神宮」。現在の表参道商店会ではなく、本殿の西側にかつては参道があった。というのも、戦時中に現在の参道が新設されているため、旧参道のことを詳しく知っている方は少ないのではないかなと思う。
私は香取神宮に今回初めて訪れたが、現在の表参道の新しさに違和感を覚え、調べてみると旧参道の歴史にたどり着いた。
前回紹介した、茶屋「寒香亭」に展示されていた香取神宮の鳥瞰図。
本殿の西側に大きな鳥居と参道があるのが見えるだろうか。ここが旧参道である。
石畳の参道が続いており、人の往来も絶えない様子。
では、なぜこの参道が廃止になったのだろうか?なかなか興味深い背景があることを後で知った。
『学校が兵舎になったとき』という千葉県の戦争体験をまとめた本に、香取神宮の項がある。
中三になった三五年ごろから神宮の大改修、整備が始まった。元禄造営の社殿のうち本殿と楼門は大改修、拝殿は新築という大工事で、皇紀(神武紀元)二六○○年記念として、その年に当たるとされる一九四〇年にそなえて建国の功神を祀る神社を整備しようという、国費を投じての大事業であった。
作者が中学三年生のとき、1935年頃から香取神宮の大改修、整備がはじまった。それは、皇紀二千六百年記念行事にそなえてのためで、社殿だけでなく、境内も大拡張、現在の表参道も整備されたという。
皇紀二千六百年記念として国費で参道や石柱などを造ったという記念碑などは現在各地で見かけるが、ここまで大規模な工事だったのは香取神宮がそれほど特別な場所だったことを意味する。
昔は旧参道に近い、利根川の津宮鳥居から参道を歩いて訪れていた人々も次第に車社会になり、駐車場からのアクセスが良い現在の参道が賑わいを見せるようになったのは自然の流れだと感じた。
現在の香取神宮旧参道…
そして現在の香取神宮旧参道へ…本殿の西側に石畳が伸びているが、鳥居の姿はない。
あまりに衝撃的な風景で言葉を失った…ここが本当に参道だったのかなと疑ってしまうほど。
鳥居の姿はなく、石畳も階段の下で切れている。
今回撮影するのを忘れてしまったが、階段の下に「香取町道路元標」が残っているとのこと。見落とした~…
ここが香取町の中心、旧参道が確かに存在したことが分かる。
鳥瞰図の旧参道
昭和5年、松井天山によって描かれた「佐原町鳥瞰図」に旧参道の様子が描かれているので比較したい。
鳥居北側から、旅館千歳屋・すし内山・松林堂・常盤合・亀甲堂・旅館笹川屋・東朝専売所
鳥居南側、米屋・吉川家・さわや・旅館東洋館・松本屋旅館
旅館が4軒。南側は巡査駐在所やお墓などがあり、メインは北側のようだ。
『佐原の歴史散歩』によると、次のようにまとめられている。
この通りは字を「宮中」というが、昭和初期には旅館四、みやげもの屋一〇、茶店二、雑貨屋、おもちゃ屋、米屋、床屋、蕎麦屋、郵便局各一、神職の家三、などが軒を並べた門前町であった。
なんと、郵便局まで存在したとは…
旅館千歳屋跡地
そして、鳥居近くの旅館千歳屋跡地。
意外と最近更地になった感じがしていたので気になっていたが、平成10年に出版された『佐原の歴史散歩』には、平成8年8月に取り壊されたとのこと。
表記が「千年屋」とあるので途中で変えたのかもしれない。昭和40年代までに主に講社の人々を泊め、80余りの講社の木札が残っていると書いてあったが、現在も表参道に残る「千年屋」の建物に似たような木札が残っているので、もしかしたら壊した際に移したものかもしれない。
周辺も同様に建物はなく、木々が茂っている。
要石と橋
向かいにある小さな橋。石の質感を見ると戦前のモノのような気がする。以前は小川が流れていたのだろうか。風情が感じられる。
橋を渡ると、要石へ。奥まっているが見に行けば良かったなと今になって思う。
隣には「岩立商店」。ホームページには、創業明治28年と書いてある。この旧参道で唯一営業しているお店。
そして、旧参道をさらに進むと驚くべき建物が残っていた…
戦前の絵葉書から見る旧参道
旧参道の戦前の絵葉書を手に入れたので、現在の姿と比較。
一枚目の絵葉書は、「香取神宮一ノ宮鳥居」。両側に水路があり、比較的平屋の建物が並んでいる。
左側に大きく「エハガキ」と書いてある縦看板が見える。香取神宮のお土産としてこのお店で絵葉書を販売していたのかもしれない。今回私が手に入れた絵葉書もこのお店かもと思うとなんだか感慨深い…
二枚目は、「(官幣大社香取神宮)一の鳥」。先ほどの絵葉書との違い、分かりますか?
まず、鳥居が木製から石造りに変化している。また、両サイドの建物の外観が大きく変わり、店名や広告が描かれた看板建築のような立ち上がり式の看板に。右側の建物は全体的に建替えたのかな~
”自動車”という文字も看板から見えるので、乗合自動車、今でいうタクシーのようなものが旧参道まで走っていたのかもしれない。
1枚目から2枚目へ、どちらも戦前の絵葉書であることは間違いないが、写っている建造物の変化から時代の流れを感じる。
笹川屋旅館
そして、唯一残っている建物が旧参道の一番西側、交差点の角にある。
「笹川屋旅館」。現在も木製の看板が残っているが、旅館としての営業はしていないようだ。
2階の窓、サッシに変わっているが木の手摺が残っていて往時の面影を感じる。
営業しているときに訪れたかった…調べても宿泊した人のレポートなどが無く、謎の旅館。『佐原の歴史散歩』が発行された平成10年の時はまだ営業していたようなので、最近まで営業していたのかな…
また、2017年のストリートビューでは向かいの草むらに笹川屋旅館の看板が残っていた。いつまで営業していたのだろう?
また、奥には蔵も見える。
上からトタン板で覆われているようだが当時のままの蔵が残っているようだ。
旧参道、唯一残っている昔の建物。解体されずに残っていて本当に嬉しい。
笹川屋旅館、戦前の絵葉書
笹川屋旅館の戦前の絵葉書がこちら。今の姿とほとんど変わらない…!
「下総香取町宮中四ツ角 杉香樓 笹川屋旅館」
この旅館がある場所が、四つ角と呼ばれていたことが分かる。また、旅館の屋号が「杉香樓」と呼ばれていたことも初めて知った。
車に詳しくないが、昭和初期頃のものだと思われる。ざっと計算して、百年近く前の旅館の姿があまり変わらないって凄い…!
また、角の電柱には「笹川屋旅館」と書かれた広告も見える。
絵葉書と同じような構図で撮影。
笹川屋旅館の向かい側には、旅館東洋館・松本屋旅館があったが既に更地になっている。旧参道で最後まで営業していたのが笹川屋旅館…
戦前の絵葉書に映っているので建物自体も価値がありそうだが、人知れずひっそりと残っているのでこの場で記録に残しておきたい。
雨乞い塚
四つ角にある「雨乞い塚」。
説明看板が建っているが、聖武天皇、天平4年(732)の大干ばつの時、この場所で祭壇を設け雨乞いをしたとのこと。
奥宮と表参道
さらにここから奥宮へ。
旧参道に鎮座する奥宮。現在の社殿は、昭和48年の伊勢神宮御遷宮の折の古材に依るものだそうだ。
木々に囲まれた神聖な雰囲気を感じる場所だった。
奥宮から旧参道を通って駐車場方面へ。山の斜面には防空壕らしき大きな穴も残っていた。
現在の参道へ。ゴミって鹿芥と表現するのですね~
旧参道から現在の参道へ。どれほどのお店が移転したのだろう。先ほどの鳥瞰図を見ると、「亀甲堂」と「千年屋」が現在も残っている。
そして、駐車場から佐原方面へ向かう車窓から撮影。
香取神宮の案内板近くにあって気になった建物。現在は営業していないようだが、お土産屋さんとか旅館だったのだろうか…
また、「川口園食堂」も。一度入ってみたいと思っているお店。
駐車場から少し離れているが、参拝してここでランチでも良いと思う。
車窓から見た一の鳥居。
車だと一瞬で通り過ぎてしまうので、街並みをよく観察することができない…
また今度、津宮鳥居の方から旧参道を歩いて探索したいなと思います。
(訪問日:2021年8月)
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見たことない花はサルスベリっぽいですね。真夏に花を付ける樹木は少ないです。