津宮鳥居河岸(香取神宮一の鳥居)と老舗の商店で話を伺う -香取神宮⑷

津宮鳥居河岸(香取神宮一の鳥居)と老舗の商店で話を伺う -香取神宮⑷

香取神宮のかつての表参道口は、利根川沿いの香取市津宮にあることを御存じだろうか。以前、香取神宮についてまとめたが、その際に現在とは異なる参道が使われていたことを知った。

そして、別の日に改めて、香取駅から歩いて香取神宮の一の鳥居へ訪問することにした。

津宮鳥居河岸(香取神宮一の鳥居)へ

千葉県香取市津宮。JR香取駅から歩いて20分ほど、利根川沿いにある津宮鳥居河岸へ。大八木商店の角を曲がると鳥居が見える。

大八木商店

香取駅を降り立った目的地に到着。清々しい青い空が広がる秋の日だった。

津宮鳥居河岸へ

浜鳥居・常夜燈・与謝野晶子歌碑について説明看板が設置されている。

津宮まちづくり協議会による看板

香取神宮表参道”一の鳥居”であるこの鳥居は、利根川の津宮川岸に建つ。現在の鳥居は平成14年に竣工された。この辺りの利根川は、もともと香取が浦(香取の海)と呼ばれ、鳥居も水中に建ち、浜鳥居と呼ばれた。香取・鹿島・息栖の三社参詣の際は、この鳥居をくぐった。

現在の木製の鳥居は、平成14年の竣工。流行していた三社参詣の際は、鳥居をくぐっていたのですね。

現在の鳥居

ここに建立されている常夜燈(香取市指定文化財)は、明和6年(1769年)に三社参詣の講中の人々が航路安全を祈願し香取神宮に奉納した。高さは2.8mあり、利根川を行き交う船の目印となった。

常夜燈
明和6年

その傍らに、歌人与謝野晶子の歌碑がある。晶子は、明治34年(1911)に銚子を訪れた際に津宮に立ち寄り、鳥居河岸の宿屋で歌を詠んだ。
~かきつばた香取の神の津宮の宿屋に上る板の仮橋~

「村田屋」という宿屋に立ち寄ったそうだが、現在は宿屋の面影はない。河岸の近くにあったのかな。「香取界隈の神社漫歩」というブログに昔の資料が載っている。今は堤防が築かれているため、鳥居の並びには建物は無い。

現在
あるのは倉庫のみ

香取神宮の参拝者は、ここで舟を降り、この河岸から南下する旧表参道を30分かけて歩いた。

南下し、旧参道へ

旧参道を行くと、香取神宮北側の茶屋や旧表参道に辿り着くだろう。現在はどちらもひっそりとしているが、本来はこちらが表参道。→香取神宮の茶屋「寒香亭」。明治25年創業、歴史と絵葉書と-香取神宮⑵

車で簡単に参拝できる時代だが、歩いてたどり着いた時の感情は味わうことができまい。次、香取神宮に参拝する際はこの津宮鳥居河岸から歩くと決めている。

津宮鳥居河岸から眺める
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香取神宮への道しるべ

鳥居から南下し、交差点へ戻る。後でお話を伺う大八木商店の並びに一軒の元商家らしい建物が残っていた。

趣のある一軒

ガラス戸越しに見える、土間と高さのある小上がり。一体どのような商売をされていたのだろう。

2012年のストリートビューを見たら、手前にたばこ売り場があった。参拝者が立ち寄るお店の名残だったのかも。

そして、国道を渡った南側に道標が残っている。

道標

西 佐原町約一里
南 香取神宮約十八町
大正九年建立
津宮村青年…

佐原町、香取神宮への道標。旅人にとって大事な大事な指標。

大正時代の道標
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大八木商店にてお話を伺う

津宮村河岸付近で営業している唯一?といっても過言ではない、大八木商店へ。

鳥居のすぐそばに

店内は地元の方々が利用する小さなスーパーだった。この辺りにはコンビニも無いので、このお店があることで私のような街歩きの者も助かるだろう。

店内は昔ながら

店主の女性はとても話好きで、「これからどこに行くの?佐原?」などと尋ねてきた。お昼ご飯のパンを購入しながらお話を伺うことに。

女性が奥から持ってきたのは、香取市の写真集。約800年の昔から伝わる、香取神宮神幸祭は新型コロナウイルスの影響で中止に。次の開催は、令和8年(2026)とのこと。

香取神宮神幸祭の昔の写真

上の写真、左ページの中央は、大正7年撮影のもので、浜鳥居と洋館が映っている。この洋館こそが、与謝野晶子が宿泊した「村田屋旅館」だそうだ。なんて素敵な建物!

位置的には先ほどの交差点角にあった元商家らしい建物の場所?元々は旅館だったのか…

 

氏子が平安時代の装束を身にまとい、行列を組んで神宮の周りを歩く。今回見た浜鳥居では、地区ごとの鮮やかな舟に乗り込みんで行く様子も。

香取神宮神幸祭の御座船

大八木商店もはっきりした創業年は分からないが、古くから営んでいるそうだ。津宮鳥居河岸に訪れた際はぜひ立ち寄ってほしい。

 

(訪問日:2021年11月)

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