大黒山展望台|安房勝山駅から天守閣風な展望台.勝山漁港を眼下に -勝山⑷

安房勝山駅からの散歩コースをご紹介!
今回のメインは、「大黒山展望台」。天守閣風な展望台から、内房の美しい海が見渡せる絶海スポットです!標高75m、駐車場も近くにあります。
長谷寺(鋸南町勝山)
千葉県安房郡鋸南町勝山。前回の続きで、JR安房勝山駅から西南、大黒山展望台周辺を歩いている。展望台に登る前に、1周してみたかったので「勝山港 舟藤港区」まで歩いた。釣り場として有名みたい。

大黒山側を見たら大きな穴が塞がれていた。昔の防空壕跡かな?
行列が出来ていた食事処「なぶら」の隣にある記念碑と勝山漁業組合による社が一角に。
漁港近くの住宅街。古い建物は少なかったが、こちらの窓枠が素敵な建物に目を惹かれる。
そして大黒山へ登る。階段は二カ所ほどあり、裏手にある階段は茂みが深かったのでお寺側から登ることにした。
法福寺の入り口から、正面階段を登り長谷寺へ。写真でも伝わる階段の急さ…!真夏はキツイ。

階段を登った先にある、長谷寺。色彩が美しく、階段の疲れも和らぐ。

鏝絵(こてえ)に該当するのだろうか。漆喰を用いて作られるレリーフで、千葉県内で現存しているものはあまり見たことが無い。

そして説明看板。風化で少し読みづらい。
長谷寺(通称 堂山の観音堂・おつげ観音)
巡礼国札第6番本尊十一面観世音菩薩。鎌倉長谷寺にて745年行基が開眼 600余年信奉を集めた霊像。足利尊氏公が深く信奉帰依し像の永存を念じ、1347年当山に奉還。
二つ引き両の家紋は、足利家の家紋だそうだ。


長谷寺の左側、「浅間神社金比羅宮」の看板があったが階段が荒れているので近寄れず。

大黒山に残る史跡
さて、大黒山を登ります。長谷寺右手にハイキングコースがある。徒歩10分くらいなので軽いハイキングコースなのだが、急な階段が続くので楽な道ではない。
また、頂上までは草木が覆い茂っており、夏に訪れたため虫も多く苦戦。(しかも宿泊予定だったので重い荷物を背負っての山登りに…)
また、ハイキングコースには各所に史跡とその説明看板が設置されているので展望台に行くまでも楽しめる。
こちらは、「房総捕鯨の祖 初代醍醐新兵衛の墓所」。

また、詳しい鋸南町による説明看板も設置されている。
房総捕鯨の祖、醍醐新兵衛定明(だいごしんべえさだあき)は、寛永七年(1630年)勝山に生まれました。醍醐家の出自については諸説ありますが、里見時代の末には勝山にあって、浜名主としての地位にあったようです。定明は漁師たちをまとめ、計五十七隻にも及ぶ大組(おおぐみ)、新組(しんぐみ)、岩井袋組(いわいぶくろぐみ)という世襲制の鯨組を結成し、夏場、勝山沖に回遊してくるツチクジラを集団でしとめる捕鯨業を始めました。名主として村を指導する一方、妙典寺や淨蓮寺の再興に貢献した篤信家(とくしんか)だった定明は、宝永元年(1704年)に亡くなり、仁浜浦(にばまうら)を一望できるここ大黒山の中腹に葬られました。(説明看板より)

勝山が捕鯨のイメージは無かったが、醍醐家が鯨組の元締め・勝山村の名主として発展に寄与し、江戸時代には捕鯨の里として栄えたそう。明治以降の不漁により勝山の捕鯨は幕を閉じている。
また、その墓の隣には江戸の狂歌師蜀山人太田南畝の狂歌碑の歌碑が建てられている。勝山の捕鯨がいかに繁栄していたかを感じます。

そしてこちらは「忍足佐内の岩牢跡」。金網で覆われており内部は網越しに見学。

その後は展望台に向かう遊歩道が続く。コンクリート製の階段と手摺があり歩きやすいが頭上に電線が一部通っているので注意を。
大黒山展望台(勝山港を一望)
大黒山展望台へ到着!
少し息切れをしながら…

展望台は、天守閣のような造りになっており中央に階段がある。
展望台は、平成2年に鋸南町30周年を記念してつくれたそう。
大黒山展望台は、勝山海岸上にそびえる大黒山の頂上に設けられた展望台で、頂上までは徒歩10分程で登ることができます。城の形をしている展望塔からは、眼下に勝山漁港や町並みをみることができます。また、緑濃い嶺岡山系の山並みや天気が良ければ富士山や伊豆七島も眺めることができます。
平成22年度に遊歩道の改修工事を実施し、快適に登山ができるようになりました。(鋸南町ホームページより)
2019年の台風被害もあったそうなので一時期は立ち入り禁止だったようだが、私が訪問した時は入れそうだった。

二階建ての小さな展望台。老朽化は否めないが景色は素晴らしいものだった。
勝山港が一望!内房の美しい澄んだ青が視界に広がります!
反対側に見える八幡山が勝山城址らしい。

正直、そこまで期待していなかったはずなのに、登ってみるとあまりの絶景にその印象が覆された。人もいなくて静かだし…!古い展望台だけどおススメです。
展望台下にある看板には「黄門様大黒山に」とある。
おなじみの水戸黄門、徳川光圀の諸国漫遊の話は、講談やテレビ時代劇でつくられたお話。あまり旅に出ることのなかった黄門様ですが、延宝二年(1674)、鎌倉墓参の途中に、勝山に来ています。歴史書の「大日本史」を編さんしていた光圀は、各地の歴史や風景に興味があったようです。勝山の大黒山で休憩し昼食をとった光圀は、浮島や鋸山の景色を堪能した後、鋸山の難所を越えて、鎌倉へ向かいました。(鋸南町ホームページより)
まさか…?と思っていたが大黒山から浮島を眺めたとあるので同じような景色を眺めたのだろうか。
また、陸軍の陸軍用地標石も。片面には「重校」。

陸軍重砲兵学校の管理地だったのか、大黒山山頂部に残っている戦跡。重校は、横須賀にある陸軍重砲兵学校のことを指しているそうなのでその繋がりが気になる。
また、以前の記事で書いた大黒山へ登るためのエレベーターが海側に存在したそうだが、その面影は見つからず…気になる。
「安房勝山駅」明治製菓の工場・勝山ヘルスセンター・特攻隊の格納庫など -勝山⑴
(訪問日:2022年9月)
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