片貝に残る洋館「旧中西薬局」。中西忠吉(月華)と戦前の絵葉書 -片貝⑵
片貝に残る洋風な近代建築。実は、戦前の片貝では知らない人はいないであろう有名人・中西忠吉(月華)の旧中西薬局であった。
今回はその旧中西薬局に関する資料も合わせてご紹介いたします。
片貝の近代建築「旧中西薬局」
千葉県山武郡九十九里町片貝3838。県道25号沿い、かつての九十九里鉄道の廃線跡「軌道道」の近くに洋風な白い建築が残っている。
現在はGoogleマップにどなたかが「旧中西薬局」とピンを立てているので史跡だと一目で分かるが、私が訪問した時(22年2月)は記載が無かったので、初見だと「なんだこの建物?!」と驚かされた。
現在は1階の入り口は閉じられており普通の民家に見える。2階の縦長の窓は窓ガラスは変わっているものの健在。
建物の脇にアーチ状の入り口と庭が見える。
角に丸い石と石柱が建っていた。手前に柵があって近寄れないため、望遠レンズで文字を確認してみる。
右の石柱は、そもそも刻まれている字体がか細くて読み取りづらい…
下部に「月華園」とかろうじて読めたので検索したところ「旧中西薬局」の情報に辿り着き感動したのだった。
中西月華と九十九里片貝
九十九里周辺で育った方にとっては、旧中西薬局の主人・中西忠吉(月華)は有名な人物なのかもしれない。
俳人・中西月華(1873~1951)
俳人。中西薬局経営(16歳で薬剤師兼に合格)、本名 忠吉。月華園を造る。
彼は中西薬局の主人であると同時に、地域文化人として生涯を貫き、写真帳や絵葉書の作成だけでなく、片貝海岸初の海の家の設立も行うなど精力的に活動した人物であったという。
現在も資料だけでなく、旧中西薬局の建物が現存していることが大変嬉しい。
明治二二年、満十四歳で内務省薬舗開業試験に及第し、翌年中西薬局を開業。その傍ら、子規の俳句や藤村・蘆花の小説を好み、句集『やっさかご』などを刊行、やがて明治三十六年に教師や医師らと「暁声社」を結成し同誌名を発行、本格的な文化活動を行う。日露戦争(明治三七年二月~三八年九月)後、同社は「月華園」などに伊藤佐千夫など地元の著名人はもちろん、内村鑑三、倉田百三、香取秀真、会津八一、坪内逍遥など多くの文人墨客を招き、講演会、創作活動、町おこし運動などを積極的に展開した。とくに趣味の写真では片貝を題材とした写真帳や絵はがきの作成販売などを通して、地元の観光紹介に努めたのである。さらに明治三四年ごろ、神奈川県最大磯の友人の誘いで日本初の海水浴場・旅館を目の当たりにした時、その設備とサービスに驚嘆したのか、明治四三年に向上会のメンバーとともに片貝海水浴場に無料休憩所を世知る地した。おそらく片貝海岸の最初の「海の家」であろうと思われる。その他にも、新聞縦覧所の設置、水難者義援金の募集、また月華自ら国民新聞社通信員・ジャーナリストとして広く情報を提供した。
庭園の角にあった石柱に刻まれていた「月華園」は講演会、創作活動、町おこしなどが行われていた場所であることが分かった。薬局の建物以外に月華園の建物が存在したのだろうか?
また、中西月華(忠吉)は大正6年(1917)に現九十九里町・東金市を中心とする大正初期の古写真100点ほどを集めた写真集『九十九里町』が残っており、当時の地域の様子を知る貴重な資料となっている。
本業の薬局の傍ら、趣味である俳句や写真の特性を活かして町の記録や活性化に貢献…私もいつか中西月華さんみたいになりたいな。
旧中西薬局の絵葉書
中西薬局の戦前の絵葉書を手に入れたので紹介します。
「賀正」「一月元旦」とあるので年賀状である。
「千葉懸片貝町 中西薬局 中西忠吉 電話四十八番」
恐らく中央の人物は中西忠吉(月華)?中西薬局の店舗が(新築記念)と紹介されている。
新築記念ということは、現在も残る中西薬局の建物のおおよその年代をこの資料から推定できることになる。
《年代の推定方法》
裏面を見ると罫線が中央にあるため大正7年(1918)4月以降
切手が田沢切手なので、大正2年~昭和21年(1946)
「きかは便郵」明治33年(1900)〜昭和8年(1933)2月
消印が「貝片葉千 8.1.1」
→大正8年1月1日
大正8年(1919)のお正月に送られた絵葉書であることが判明。絵葉書マニアの方を見習って私も千葉の絵葉書を解読するのも楽しみたいですね~
そして建物に注目。1階中央に店舗の入り口があり、ショーケースも左右に。
2階には「クスリはナカニシ」の縦の看板。アーチ状に「中西薬局」と看板があるのもオシャレ!
ガラス戸に映る「どりこの」の広告は戦前、昭和初期に爆発的にヒットした飲料…中西薬局でも販売されていたことがわかる。
また店舗脇には木製の板塀があり「リベール」という薬の広告も。
白黒なので断定できないが、元々は外壁は白ではなく窓枠や壁に色があったのではないかな。
1枚の絵葉書から読み取れることは多数・・いつか絵葉書と合わせて郷土史の本を作りたい。
店舗1階と両脇の様子は絵葉書とは異なっているが、大正期の薬局が現在も綺麗に残っていることが素晴らしい。いつまでも残ってほしいな。
(訪問日:2022年2月)
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