九十九里町片貝の古い街並み巡り。県道沿いの商店街~溺鬼供養塔~御大典記念碑 -片貝⑸
片貝の古い街並みを探索。溺鬼供養塔、立派な門構えの邸宅や洋館付住宅など片貝の昔日を彷彿とさせる商店街を歩きます。
溺鬼供養塔
千葉県山武郡九十九里町片貝。九十九里海岸と平行した片貝の県道沿いメインストリートを歩く。
まずは北側にある「溺鬼(でっき)供養塔」。
県道から湾曲した橋が池に架かっている。
そして右手には供養塔についての説明看板が設置されている。
天保13年(1842)に建てられた碑は、元禄地震(1703年)の際の津波の犠牲者を弔っているという。
中央にある供養塔は、地震発生から百年が経ってから作成されたもの。なぜ供養塔までの道に橋があるのか、その背景については触れられていないので分からず。
片貝の古い街並み
溺鬼供養塔から周辺を探索。少し北側にあるのは「鈴木薬局」。
薬局の隣のフジカラーのホーロー看板!写真屋も併設していたのかな?かつての海水浴場の賑わいを感じるような。
海側に見えるホテル「南風荘」。海水浴や合宿に宿泊される方も多いのでは。
こちらは旧土田商店。正式名称は、土田太平治商店で酒屋のようだ。
並びには町中華「栄楽」が営業中!
片貝に町中華が残っているのが嬉しい。次回入りたい。
こちらは角にある喫茶店「cafe nun(あめや)」。青果店に併設している。
「あめや」は、2014年頃には向かいに米殻・総合食品を扱う商店もあったようだ。
片貝の街並み・近代建築
引き続き片貝の街並みを探索。先ほどの「あめや商店跡」の隣に残る平屋の旧商家に惹かれた。小さなポストがちょこんと…絵になるなあ。
一面のガラス戸。なんて贅沢な光景なのだろう。そして道路と歩道の間にある石畳が一部見えるのも良い。
現在は営業していないようだが、かつてはよろずやだったのだろうか。コカ・コーラの冷蔵庫がちらりと見えた。
その後はしばらく民家が続く。
豪壮な邸宅が向かい合っている。下の写真は洋館付住宅のようだった。
右角に下見板張りのピンク色の洋館のような部屋がある。応接間としてこうした小さな洋館が付いた邸宅は昭和初期頃にかけて流行していたのでもしかしたらその頃のものかもしれない。
この洋館付住宅の情報は無かったので、歩かないと気付かない建物だった。
そしてこちらは閉業した老舗和菓子店「湖月堂支店」。片貝の支店はここにあったのですね…!片貝海水浴場からも近いので昔はお土産に購入する方も多かったのでは…
明治31年創業の湖月堂。本店は東金に存在し、他にも公園通り店などがあったが、2018年に破産となった。→千葉・東金の和菓子店「湖月堂」に破産決定、ゆず羊羹有名
東金を代表する銘菓であった柚子羊羹や柚子サブレ―などを販売。
本店は建物も解体となったが片貝の支店はまだ残っていたのか…なんだか寂しい。
ファミリーマートがある交差点付近は電気屋、青果店、飲食店等、商店街の中心部の雰囲気。
現在はコンビニがある場所も昔は古い商店があったのだろう。
片貝の喫茶店「ミオリネ」。
「ミオリネ」の脇道を進むと裏手に老舗和菓子店「かんじや」が営業中だった。ここでお土産を購入したので次回の記事にて。
商店街・御大典記念碑
商店街の中心部であろう交差点から少し南へ。左にあるのは「太田屋酒店」。その隣は更地に。
九十九里と平行して商店街が続いている。電気屋、クリーニング店、九十九里弁当、寝具店…
現在も営業中の「九十九里弁当」。手作りで心のこもったお弁当だそうで、ホームページまである。そして安い。
向かいにある寝具店の脇を覗くと、壁際に何やら気になる石柱が…
何!?
御大典記念 親睦會?
左側はポールで隠れて見えない。
裏面には昭和4年と刻まれている。
昭和4年(1929)。御大典は、新帝が執り行う祭儀を祝うこととのこと。
どのような用途で使用されていたのだろう?門柱?しかも残っているのはこの一本のみ。
もしご存知の方がいたら教えてください!
(訪問日:2022年2月)
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「片貝」―― ふだん、千葉と聞くと浦安とか、TDLとか、東京のベットタウンとか、はたまた「千葉都民」とか、そういう言葉を連想しがちですが、こういう写真を見ると、千葉の別の一面を見るようですね。
そして、ここ「片貝」の人たちは、みなさん、どんな仕事をして生計を立てているのでしょう。
農業…(?)ではなさそうですし、海水浴シーズンの…観光関係…(?)。
田舎暮らしって、あこがれもありますが、どうやって仕事をするか…ということが、ひとつのハードルになりそうです。
いつも楽しく読ませてもらっています。
元禄津波の供養塔は大網白里市にもあるので調べてみると良いですよ。一カ所は等覚寺だったと思います。
この辺りの神社は海岸から2km程離れていても、夏祭りでお神輿のお浜降りをするので、その時のルートに御大典記念碑を設置したのでは、と推測してます。
道は狭いですが、祭りの時は業と狭い道や曲がりくねった道、急な坂道などを通りますから、この細い道を通っても不思議ではありません。
あと考えられるのは、昔近くに神社があったとか、それしか思い浮かびませんね。