都内の老舗「春日旅館」。明治時代から続く木造旅館への宿泊レポート(東京都港区)
東京都港区…都心に残る創業100年以上の木造旅館「春日旅館」をご存知でしょうか。慶応義塾大学からも近く、ビジネスや修学旅行生の宿として親しまれてきた旅館です。
貴重な都心のオアシスへ、皆さんも泊まってみてはいかが。
老舗「春日旅館」/東京タワーが見える旅館
東京都港区芝3丁目43−18。東京タワーがすぐ近くに見える、国道1号線沿いに今回ご紹介する老舗旅館がある。信じられないほど都心…
JR京浜東北線「田町駅」から北西へ徒歩6分ほど。アクセスも良い。こんな都心に老舗旅館があるとは今まで知らなかった…
外観は覆われているので古い旅館だとは気づきにくいかもしれない。が、一歩踏み入れるとそこは昭和の旅館が広がっている。
玄関先。JTBや全国鉄道指定旅館の看板等、由緒正しい旅館であることが分かる。
古い本館と新館があるが、今回はどうしても本館に泊まりたかったので予約時にお願いし、本館の部屋へ。
「寒いけど大丈夫?」と心配されたが、エアコンもあるので特に問題はない。しかも御手洗いが部屋に。いつもよりレベルが高い!
今回は、年末特価ということで朝食付き8千円ほどだった。普段はもう少し安いと思うが、どうしても年末、2021年最後の締めに泊まりたかった。
楽天トラベルにも春日旅館のページがあるので、インターネット予約も可能。私は本館希望だったので電話で予約した。インターネット予約が出来るのは有難いですね!
春日旅館は、JR田町駅の開業と同時期、明治40年代に創業し、110年以上の歴史がある旅館だ。現在、4代目。数名の女性が対応してくれた。
日本観光旅館連盟によるチラシ。木造旅館なのでたばこはより一層気を付けてほしいですね…
意外と、鍵もしっかりとついています。安心!!
昭和が残る木造の本館
2階建ての本館。戦後すぐに再建された建物で、中央に浴室がある。かつて浴室がある場所には庭園があり、見事な風情だったとか…
木枠の窓、ガラスも当時のままだろう。庭園を囲むように客室が並ぶ。
窓枠の細工も素敵。松竹梅かな?
次の日、明るくなってから再度撮影。うわ…昭和の息吹が目の前に。
周囲はビル。旅館を見下ろしている。時代が激変する中で、110年、変わらない旅館がここにある。
木の手摺の階段に、舟底天井?シンプルな造りだが、よく見ると遊び心がある。
キシキシ…階段が軋む音。少し急な階段に歴史を感じる。
玄関を入って受付や食堂がある。食堂で朝食をいただいた。
広々とした浴室&新刊
本館1階にある浴室。修学旅行生や家族旅行で訪れる方もいるとのことで、広々とした浴室が印象的だった。
同時に数名入れる浴槽。シャワー、シャンプーリンス等も揃っている。
ちなみに新館は、本館の奥に建っているビルで部屋数も多い。本館と違って隙間風も無いので寒いのが苦手な方は新館の部屋はいかがでしょう。
春日旅館の歴史と朝食
朝食付きプランだったので食堂で朝食をいただいた。
箸袋には「三田慶大前」。かつては春日旅館以外にも二軒ほど旅館があったそうだが、現在はマンションになっているそうだ。確か、みはる?みやま?といった名称だった気がする。
食堂内に飾られていた温度計も渋い…日本交通公社協定旅館連盟による温度計だ。
また、平成元年(1989年版)の港区商店名鑑も見させていただいた。今は無き商店街や個人商店の情報がたっぷり。
また、本館と新館の間には古い木製の木戸が現存。これも撤去せずにこのまま残っていてほしい…
港区に残る創業100年を超える老舗旅館。
素泊まり5千円~6千円、二食付きで7千円~8千円という良心的な価格な上に、快適な宿だった。
2021年最後の旅館が春日旅館で本当に良かったと思う。最近はビジネスマンの利用が多いとのことなので、既に宿泊したことがある方も多いかと思いますが、皆さんもぜひ宿泊してみてくださいね。
(訪問日:2021年12月)
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これはまた刺さるお話しありがとうございます。
1枚目の東京タワー、良い感じです。
私も次回上京の機会はここを候補に入れときます。
ご紹介ありがとうございました。笑
ていねいな取材、お疲れさまでした。
「急な階段」の写真…、わたしは息を飲みました。
窓の「枠」部分に、「竹(天然木)」が渡してあるじゃないですか…。つまり、50、60年前は、そういう天然のものが、建築材として使われていた…ということですよね。
だから、いまは…みんなバ〇のひとつ覚えみたいに「SDGs」「SDGs」と騒いでいますが、むかしの人々の暮らしの方が、数100倍も、SDGsを実践していたのだと感じます。
明里さん、これからも、都会に埋もれた文化遺産のレポート、続けて下さい。