柏「旧手賀教会堂」を見学。現存唯一の茅葺屋根民家からの転用教会堂!

柏「旧手賀教会堂」を見学。現存唯一の茅葺屋根民家からの転用教会堂!

柏市手賀にある「旧手賀教会堂」。明治14年に茅葺屋根の民家を教会堂に転用したもので、現存する日本で唯一の転用教会堂とのこと。

また、首都圏最古の現存する教会堂としても有名です。柏駅からバスに乗って念願叶って見学に行ってきました!

文化財「旧手賀教会堂」を見学

千葉県柏市手賀666−2にある旧手賀教会堂へ。JR柏駅から東武バス・布瀬行き『手賀』下車より徒歩5分。詳細は前回の記事にて、周辺含めて紹介してます!

バス停から歩いてすぐ

バス停から北へ徒歩5分ほど。茅葺屋根の立派な教会堂が見えてきた。
教会堂の裏手に6台分の駐車場もあるので遠方の方は車が便利。

旧手賀教会堂

旧手賀教会堂と手賀教会堂聖画ともに、千葉県指定文化財に指定されている。

《基本情報》

旧手賀教会堂
柏市手賀666-2

【開館時間】
10時~16時
休館日
月曜日(月曜日が祝日・振替休日の場合は開館し、翌平日が休館)、年末年始(12月28日~1月4日)

【駐車場】柏市手賀667(教会堂裏)
※6台駐車可
【バス】JR柏駅東口より東武バス・布瀬行き『手賀』下車 徒歩5分

柏市公式ホームページ
https://www.city.kashiwa.lg.jp/bunka/about_kashiwa/culture/rekishi/shiteibunkazai/ken/kyokaido.html

最近、保存修理工事が行われ、平日も見学が可能に。いつでも気軽に訪れることができるので有難いですね。訪問した時は常駐しているスタッフさんが丁寧に説明してくださった。

明治14年(1881)に茅葺屋根の民家を教会堂に転用、130年もの歴史ある教会堂だ。

旧手賀教会堂の歴史については、柏市ホームページにまとめられている。

旧手賀教会堂の概要
明治6年、信教の自由が交付されるとともに、ロシア正教会の修道士ニコライにより布教活動が北海道・函館より始まりました。千葉県には明治8年法典(船橋市)、同10年大森・船穂(印西市)、布佐(我孫子市)にそれぞれ教会が設置されました。
大森教会での布教を知った手賀、布瀬地区の人々は、明治12年に教会を創立し活動をはじめ、同14年に教会堂を設置しました。これが現在の旧手賀教会堂で、明治33年に半円アーチ窓や左右対称の聖堂が増築され、和洋折衷の教会堂となっています。

パネル展示も詳しい

先ほどの解説によると、千葉県では明治8年の船橋市法典が最初の教会設置だったのだろうか。法典のどこだろう?各地域への布教についても歴史をまとめてみたい。

パネル展示には、ニコライ布教の経緯が図にまとまっている。下総から手賀沼方面へ順々に回り、その後、木下方面へ向かったようだ。

ニコライの布教

そしてこちらは、旧手賀教会堂の部屋の案内図。部屋名称は推定のもの。

部屋案内

また、昭和30年代の様子も推定図がある。関係者の証言をもとに、実際に暮らしていた方の記憶によるもので、明治期の原型とは異なるとのこと。

昭和30年代の様子

啓蒙所が生活の場に。戦時中には疎開していた家族が暮らしていたこともあったそう。

啓蒙所

啓蒙所から先の聖堂前室や祭具室は、普段襖が閉まっており、子どもは入るなと教えられていたそう。襖一枚を隔てて、生活の場と祈りの場が隣接している空間である。

奥が聖堂前室
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手賀教会堂聖画 イコン画

また、建築物としての魅力だけでなく、手賀教会堂聖画が現存していることも評価が高い。

聖堂前室

手賀教会堂聖画の概要

茨城県笠間市出身の明治期の女流作家として高い評価を受ける山下りんが描いたものです。聖画はハリストス正教会でイコンと呼ばれるもので、主全能者(キリスト)、至聖生神女(マリア)、機密の晩餐の3点です。いずれも伝統的な構図を守りつつ、描かれている聖人たちの表情は日本画的なやわらかな表現に満ちています。
元々は旧手賀教会堂に掲げられていましたが、昭和49年に新手賀教会堂に移され、今も崇敬されています。通常拝観することはできません。

(沼南町史編さん委員会「沼南風土記」1981年、沼南町教育委員会「沼南の歴史をあるく」1990年)

現在は、昭和49年に新手賀教会堂に移されており、通常拝見することはできない。こちらにあるのはレプリカ。

説明

ハリストス正教会の教会堂に欠かせない聖なる像、イコン。明治期に宣教が進んだ後、日本のイコン画最初期に活躍したのが山下りんだったという。

手賀協会のイコンは、3点が山下りんの筆。いずれも伝統的な構図を守りつつ、描かれている聖人たちの表情は日本画的なやわらかな表現に満ちている。手賀協会のイコンは、明治33年(1900)頃に、ニコライの名前で直接下賜された3枚なのではという推測も。

手賀教会のイコン

また、王門の石版画イコンは、修復を行い柏市郷土資料展示室にて特別公開の予定だという。

王門の石版画イコン
現在の旧手賀教会堂
説明

複製ではあるが、当時の輝きに満ちたイコン画の様子が伝わってくる。

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保存修理工事が完了

現存する日本で唯一の転用教会堂であり、首都圏で現存する最古の教会堂、旧手賀教会堂。貴重な文化財を未来へつなぐため、明治14年に茅葺屋根の民家を移築して教会堂となってから140年目となる令和2年度に保存修理工事を行いました。
このたび、無事工事が完了し、令和3年4月10日より一般公開を再開いたします。

明治の原風景を今に残し、地域の宝として守られてきたこの教会堂を、柏の文化財を見て、触れて、感じることのできる施設として、多くの方に訪れていただけるよう整備しましたので、是非お立ち寄りください。(柏市ホームページより)

柏市所有となる以前の写真が下。かなり荒れ果てていた様子…

柏市所有直前の様子

昭和40年~50年代

今回のリニューアルのポイントについても、柏市のページで詳しく紹介されている。柏市は文化財保存に対して積極的で素晴らしいな…と感心しました。

リニューアルのポイント
1.教会堂に人が住んでいた頃を復旧整備
保存修理工事に向けて関係者への聞き取りや文献調査を進める中で、明らかとなった「居住をしながら教会堂が維持されていた、昭和初期~中期の様子」を復旧整備しました。
実際に昭和30年代に旧手賀教会堂で子ども時代を過ごした方の証言を基にしながら当時の様子を推定しています。

2.室内展示の一新
旧手賀教会堂の新たな事実や資料の存在が明らかとなったことを受けて、工事完了に合わせて教会内の室内展示を一新し、教会堂の歴史や教会堂としての使われ方をご紹介します。
かつて教会堂に掲げられていたイコン(聖画)も、精巧に作られたレプリカを当時あった位置に展示しています。

3.利用者の利便性の向上
トイレの整備
教会堂は本来、祈りのための聖別された空間であり、トイレや手洗場といった日常生活は排除されるべきとされています。そのため、はじめは無かったと考えられますが、昭和初期から中期の教会堂に人が住んでいた頃にはトイレがつくられていました。
昭和50年の保存修理工事で一度は取り壊されましたが、今回、活用の利便性も考慮し、当時あった位置に復旧整備しました。

駐車場の整備
これまで旧手賀教会堂には駐車場が無く、見学に不便をきたしている状況でした。地域の方々の協力を得て、今回のリニューアルオープンに合わせて、6台分の駐車場を整備することができました。見学に来られる方は是非ご利用ください。

素材はそのまま

柏市が改修。なるべくそのまま、良さを活かして修復したとスタッフさんが話されていた。

旧祭具室

旧祭具室の奥にあるのは、洗礼桶。

洗礼桶
自宅前から出棺の様子 大正11年
かつての洗礼桶
丸い窓が印象的

修復時の写真
外の景色が見える襖

周辺にあった碑もまとめられて保存されている。

石碑も保存
縁側

明治33年に増築された半円アーチ窓。茅葺屋根との対比で和洋折衷な教会堂に。

半円アーチ窓

写真が残っていないのが残念だが、アーチ窓はステンドグラスだったという。色ガラスかしら…見てみたかった。

雨戸の留め具

旧手賀教会堂は高台に建っており、向こうは沼地が広がっていたという。眺望も素晴らしい。

現在

柏市によって新たに生まれ変わった旧手賀教会堂。

実際に訪れたからこそわかる空気感。

茅葺屋根を維持管理するのは大変だと思うが、これからも柏市の文化財として大切に守られていく様子が想像できた。

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新手賀教会堂

千葉県柏市手賀422。そして、現在、手賀教会堂聖画が保管されている新手賀教会堂へ。

田園風景広がる

歩いて10分ほど、坂の上の民家の奥にあるとスタッフの方に教えて頂いた。初見だと分かりづらい高台に位置している。

高台に

民家の奥、手賀狸穴公園に隣接している教会に辿り着いた。

新手賀教会堂

昭和49年に新手賀教会堂に移された聖画。教会の前にも説明看板が設置されているのが有難い。

聖画について

横から見た新手賀教会堂

 

(訪問日:2022年2月)

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