旧水田家住宅|鴨川市西.城西大学創立者の生家である国登録有形文化財の古民家を見学

旧水田家住宅|鴨川市西.城西大学創立者の生家である国登録有形文化財の古民家を見学

鴨川駅からバスに乗って「旧水田家住宅」へ。

鴨川の山間にある古民家は、城西大学が管理していて無料で見学できます。

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JR鴨川駅~曽呂終点 鴨川コミュニティバス

前回紹介した、太海駅の「はやし旅館」を出立。太海駅は新しい駅舎となっていた。

太海駅

JR外房線鴨川駅西口へ。房総の旅、2日目は鴨川駅からバスに乗って山間の町を目指す。コミュニティバスの本数が少ないので次の出発時刻まで探索する予定。

⇒このバス路線は廃止となりました

コミュニティバス、他の乗車者は一人。そして、特に何かあるわけでもない終点まで乗っていると運転手に少し怪しまれているような気もしなくはないが…笑

曽呂終点へ到着。県道89号沿いのバス停で、この近くに廃校があるので次回紹介します。

曽呂終点

まず先に目指すのが西側にある旧水田家住宅。歩道もない県道を歩いていく。バス停からも徒歩20分ほどの距離にある。

看板が見えてきた。県道から細い上り坂をさらに登っていく。車の方も上に駐車場があった気がする。

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旧水田家住宅(鴨川市西)見学

千葉県鴨川市西339「旧水田家住宅」へ。

旧水田家住宅

長屋門そばにある説明看板に建物について詳しく記載されている。

説明看板

1次池田内閣以来7回にわたり大蔵大臣を務めた政治家、水田三喜男は市内曽呂に生まれました。生家の主屋は江戸時代後期に建てられ、房総民家の特色をもっています。長屋門は明治時代初期に建てられ、牛小屋も兼ねる造りに特徴があります。
現在は水田三喜男が創立した城西大学の付属施設として一般公開されており、自由に見学することができます。(鴨川市ホームページより)

主屋、長屋門の2棟が国登録有形文化財に登録されている。

11月、庭の紅葉が始まっており茅葺屋根と相まって美しい景観が広がっていた。

長屋門は、牛小屋があり江戸時代以来の酪農地である嶺岡牧場の歴史を伝える建造物として重要とのこと。酪農も営んでいたのですね!

長屋門

水田家についての歴史は城西国際大学のページに詳しい。

水田家の由来

旧水田家が存する旧曽呂村(鴨川市)は、嶺岡山脈の南麓を東から西へ通じる道を中心とした五百戸余りの山村であり、嶺岡山は、わが国酪農の発祥地としてしられる。

江戸時代からこのあたりでは毎年五月、大変にぎわいの中、馬捕りの行事が行われており、そこに幕府の役人が来て牛馬を見定めする場所を陣屋と称したが、庄屋のような役割を果たし、村の指導的立場にあった水田家は、この陣屋と地続きとなっていた。また、江戸後期につくられたこの家は、大正12年の関東大震災でも近隣の建物がほとんど崩壊した中、残ったのであった。

水田家は、400年以上前に四国讃岐から移ってきたものといわれている。明治中頃の水田家当主水田竹蔵は、英国から初めて輸入されたホルスタイン種牡牛を飼育したことによって、酪農史にその名を残している。塾に学んで帰った当時の新知識人であり、初代の戸長、村長として信望をあつめていた。その息子信太郎も村長をつとめ、その在任中、県下にさきがけて村内に学校数校を一校に統合、近代校舎を建て、村の教育に貢献した。信太郎には6男2女が生まれたが、男兄弟だけでなく姉妹2人を含む、全員がその当時の高等教育を受け、この村から中央に出て、財界・政界・教育界で活躍したのであった。そのなかの3男が、京都大学法学部で学び、のちに通産大臣や大蔵大臣を歴任し、城西大学を創立した水田三喜男であり、ここで生まれ、安房中学までの日々を過ごした。

陣屋と地続きになっていたという水田家。関東大震災でも生き残った強固な建物…

茅葺の寄棟造の母屋、東側が土間、十五畳の座敷を中心に五室からなる豪農の建物。これだけ立派だと座敷に入れなかったりする建物もあるが、旧水田家住宅は座敷に上がることが可能。嬉しいですね。

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旧水田家住宅 住宅内を見学

城西国際大学が管理しており、無料で公開されている。この山奥にあってGoogleの口コミが40件以上と多いのも意外だった。

私が訪問した時は大雨だったからか管理人さんが見当たらず静かに見学した。普段だと説明してくれる管理人さんがいるらしい。

母屋右側の土間にはかまどや臼などが展示されている。

ここから板の間の座敷へ。

囲炉裏のそばにある階段は、天井裏へ繋がっていた。

思わず声が出る。
…!素敵な雰囲気。

天井裏へ

梁や柱がライトアップされて浮かび上がる。ここでしばらくの間、天井を見上げていた。

階段

西側には畳の部屋。

綺麗な庭園を見渡せる縁側。主屋の裏側には土蔵跡地もあるが今回雨で見落とした。

縁側

特に気になったのが、仏壇の欄間彫刻。中央には花でしょうか、立体的な彫刻が黒く光っていました。

座敷に上がれたので隅々まで見学。次第に雨が強くなってきた…

この後大変な大雨になるのですが、留まっていても仕方がないので1.5㎞離れた廃校を目指した。

次回へ。

 

(訪問日:2022年11月)

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