鴨川「旧橋本医院」大正~昭和初期の美しき病院建築(解体) -鴨川⑾
鴨川に残っていた旧医院。今回の旅はこれを見るために行ったのだが、後日解体されたことを知る。記録として写真を載せておこうと思う…
鴨川「旧橋本医院」
千葉県鴨川市広場1615。JR安房鴨川駅から北方面、自転車で20~30分ほど。東条病院のすぐ近くに目的の近代建築がある。
デイサービスの奥に見える古い建物、こちらが今回の旧病院建築。時代錯誤な建物が一角に残っている…
「旧橋本歯科医院」。こちらが正面入り口。いや~言葉も出ないほど素晴らしい。
大正~昭和初期にかけて造られたと推測される木造二階建ての病院建築。なんと、外壁はタイル張り!お洒落や…
「近代建造物調査一覧及び個別解説」に詳しい。
正面に2階建ての洋風の建物を据え,向かって左側奥に和風の平屋建て母屋を接続する。道路側から見ると診療部分であった洋館が強い印象を与える。玄関を入って左側に待合室,右側に診療室を設け,治療室奥に技工室を配するプランとなっている。2階は6畳と8畳,2間の和室の周囲を,コの字型に廊下が取りまく構成である。昭和40年頃までは歯科医院として使われていたが,現在は住宅となっている。
この建物の外観は矩形平面の2階建てに,寄棟の瓦屋根をのせた単純な構成であるが,玄関をやや左に寄せ,それにともない2階開口部もシンメトリーをくずしている。全体は白っぽい色のタイルで覆われ,開口部を石で縁取っている。1・2階開口部の間の壁面には,数種類のタイルが幾何学的パターンをなすように散りばめられ,デザインのポイントとなっている。
玄関部分の庇や階段に,装飾的要素を加え,持ち送りで軒を出した屋根の頂部にも軒飾りを付ける等,洋風のイメージを高める工夫がなされている。[江口]
昭和40年頃まで歯科医院として使われ住宅、現在は空き家の様子。
左側の門柱には「東?」。橋本歯科医院と向かいの東条医院、何か関係があったのだろうか?
美しき近代建築の記録
表側の洋館部分は元診療室で、奥に和風の平屋建てが繋がっている。
右手にも芝生の広々とした敷地が続く。そして経年劣化が激しい。
痛々しいほどに外壁が剥がれ、終わりの時を静かに待っているようだった。廃墟関係の写真家の方のSNSでもよく見かけていたので、年々傷んでいる様子が気になって今回訪問した。
タイル張りの外壁、玄関周りの欄間や照明の跡… 見れば見るほど素敵だなあ。
私がお金持ちだったら買い取って利活用したいが… 何せ土地も広く保存の方向性は難しいとのこと。そんな話をしていたら、2023年に入ってからだろうか、地元の方が工事業者が出入りしていると教えて下さった。
ああ、嫌な予感。と思っていたらあっという間に更地になったらしい。覚悟はしていたけど、これが最後になるとは…
東条病院の向かいにあった橋本歯科医院。周辺には古くから病院が多かったのかな。東条病院の出入口の門柱も古い。130年の歴史があるという。
また、旧橋本歯科医院の北側にある駐車場に古そうな木と洋館風な建物。
また、ここから南下すると日蓮宗の鏡忍寺へ。今回行き忘れてしまったのでまた今度行こう。
(訪問日:2022年4月)
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いや~、涙なしには読めないレポート。
こんなに素晴らしい文化財が、いともかんたんに壊されるとは。
ちがうのです、よく「老朽化が激しい」「ボロボロ(←もう壊すしかない)」なんて言う人がいますが、ちがうんです。どうして、そういうレベルになるまで、放っておくのですか…ってことです。
今回の建物だって、昭和40年ぐらいからきちんと保存活動を継続してやっていれば(例:市民レベルの活動、市の財政的支援)、「もうボロボロだから、怖しましょう」なんてことにはならなかったと思うのですよ。
つまりは、「文化財」「街並み」ということに、日本人の意識が低いのですね…。まったく情けないです。
(追記)この洋館、不思議ですね。ふつうは、奥が平屋の日本家屋なら、その増築部分としての洋館(洋間)も、平屋にしませんか。どうして、こんなにも威風堂々としたものが、平屋の日本家屋と「棟続き」なんダロ?ちょっと謎…。
橋本歯科は、東条病院と親戚の間柄です。
私の実家は、歯科医院の南東側で地続きでした。
私も、親戚の一員です。
今は更地となり、分譲住宅の建設中でしょうか。
自分の生まれ育った家や親戚の家もなくなり、精神的に帰るところが無くなった感じです。