香取神宮の歴史。「表参道商店会」老舗と講社の木札 -香取神宮⑴
香取神宮へ!「関東屈指のパワースポット」とも評される香取神宮は、全国約400社の香取神社の総本社。
「香取さま」と呼ばれ昔から親しまれてきた香取神宮は国登録有形文化財の本殿だけでなく、老舗の茶屋や旅館など魅力がたくさんあります!まず今回は現在の参道~本殿をまとめます。
香取神宮の歴史
千葉県香取市香取1697。「香取神宮」へ。
香取神宮の御由緒については香取神宮のホームページに詳しくまとめられている。
茨城県の鹿島神宮、息栖神社とともに「東国三社」と呼ばれ、「東国三社めぐり」は江戸時代、お伊勢参りに次いで広く親しまれたそうだ。この三社を巡ることは「お伊勢まいりの禊の三社参り」と言われ、関東以北の人が伊勢神宮参拝後に参拝するという風習があったそうだ。
また、『延喜式』(927年)にも出てくる旧社格の官幣大社としても知られる。官幣大社は、出雲大社、宇佐神宮など、官幣社のうちで最も格式が高いもの。 そして、明治時代までは三重県の伊勢神宮、茨城県の鹿島神宮、千葉県の香取神宮と「神宮」は3つしかなかったことからも、香取神宮の歴史深さが分かる。
私は以前、鹿島神宮について記事をまとめたが、三社詣をした後は「精進落とし」をするのが一般的で潮来遊廓が栄えていたことを知った。→茨城「鹿島神宮参道商店街」鹿島神宮の門前、旅館や喫茶店 -鹿島⑴
個人的には神社そのものの歴史よりも、周辺の旅館やお土産店の変遷が気になるので今回も詳しく調べたい…
香取神宮一の鳥居と「美人桜の碑」
香取神宮一の鳥居
香取神宮参道の前に、まずは一の鳥居について。(今回は車で香取神宮まで移動したので鳥居を撮影できずストリートビューで参照)
千葉県立佐原病院の北側、県道55号に建つ香取神宮一の鳥居。島田 七夫著『佐原の歴史散歩』によると、この鳥居は高さ10m、柱の直径約90㎝、コンクリート製。
右側にある社号碑は大正15年(1926)に建てたことが記されている。
香取神宮「美人桜の碑」
また、鳥居の右側奥の小高いところに、高さ1.6mほどの石碑「美人桜之記」が設置されている。
知らなかったら素通りしてしまいそうだ…
現在の佐原高校前から香取神宮の参道、宮中の西坂(大駐車場の左上の坂)まで桜の木が植えられ、その盛りは花のトンネルとなって実に見事であったと『佐原の歴史散歩』にまとめられている。
戦後、木の老化と自動車の発達などにより徐々に姿を消したようだが、石碑の傍らにある大樹は当時を語る生き証人だ。
昭和43年発行『郷土資料事典千葉県・観光と旅』の香取神宮の紹介と合わせて美人桜について少し書いてあった。昭和43年はまだ桜が健在だったのかなと思ったが、恐らく現在も面影がある駐車場横の西坂の桜並木を指しているのかも。
また、参道の両側の桜は美人桜と呼ばれ、明治42年に地元の婦人たちが植えたもので、花見時になると、参道をおおうばかりの花のトンネルをつくる。
佐原の町の芸妓さんらも美人桜を植えるのに携わったらしい。また、国学院大学デジタルミュージアムに香取神宮美人桜の戦前の絵葉書が載っているのでぜひご覧ください。
現在は車で素通りしてしまう方もきっと多いと思うが、桜並木の参道を歩いて香取神宮へ向かう時代は風情があって良いなあ…
香取神宮表参道商店会
そして香取神宮へ。かつての香取神宮表参道入口は、北側の利根川に面して建つ「津宮鳥居河岸」。そこで船を降り、歩いて香取神宮へ向かった。現在、津宮鳥居河岸の最寄り、香取駅からは徒歩30分ほど。
津宮鳥居河岸についてはまた別の日に訪問したのでまとめたい。
元祖梅乃家の草団子、食べてみたいな…参道の名物らしい。
大駐車場が完備されている。夏休みの平日、午前中だったが既に多くの車が停まっていた。
現在の表参道の様子
いよいよ表参道へ!
現在営業中のお店は6軒ほど。
訪問時間が早かったからかまだ閉まっているお店もあった。意外と静かでびっくり…
香取神宮案内略図によると、左手がお土産お食事処、右手が香取名物草団子を扱うお店とのこと。
亀甲堂は、厄落とし団子で有名らしい。今度は出来立てのお団子食べてみたい!
向かいの雑貨店「夢屋」も開店前だった。隣は元美容室?お土産店以外にもお店が並んでいたのかな。
歩くとさらに実感するが、意外と新しい雰囲気の参道だな、と不思議に思っていた私の勘は間違っていなかった。この参道は戦時中に新しくつくられた参道なのだ。
そのため、この表参道にはそこまで古い建物は残っていない。お店も老舗とは限らないということだ…
でも、右手にあるわらび餅の「岩立本店」は創業明治28年とホームページに書いてあるので、新しい参道に移転してきたお店かも!
木造2階建てをリノベーションしたオシャレな喫茶店「和茶房うの」。オシャレな雰囲気で若い人に人気がありそうだなと思った。素敵。
千年屋売店に残る講札
向かいの木造2階建ての建物は元旅館のような雰囲気。現在は何も使われていないようだ。
日帰りで訪れる人が多いのか、香取神宮周辺に旅館は今はない…
千年屋売店は営業している日もあるようだ。
…よく観察していたら屋根の軒下に気になるものを発見。
これは!!
売店ではなく旅館だったの??この日は売店も休みで聞けなかったが、『佐原の歴史散歩』に、関係する講札が書いてあった。
旧参道の方に「旧千年(ちとせ)屋」という旅館があったそうだ。昭和40年代までに主に講社の人々を泊めた旅館である。その旅館の建物の軒下に80余りの東京の講社の木札(大正15年)が連なっていたが、平成8年8月に「千年屋」は取り壊され、その木札の姿は写真で知るほかなくなった、と本に書いてある。
今回私が見たものはその旧千年屋から移したものなのではないだろうか。現在の表参道で売店を営み、旧道参道の方には旅館の建物もあったのですね…
講札は、それぞれの「講」(今でいうグループ的な存在)が指定した旅館に「講札」を掲げることで目印としていたそうだ。写真を見ると、浅草、本所両国、新橋などの名前が見える。軒下にあるので見えづらいが、立ち寄ったときはぜひ見てほしい。
古いお土産店
表参道の一番角にある建物は既に閉まっているが、雰囲気が好きだったので撮影。
ここもお土産店というよりは旅館に近い雰囲気を感じる。
オロナミンCの広告が残っているので飲み物なども販売していたお土産店だと思うが…
壁に昔の広告が残っていた。市原市の洋装専門店の広告?
建物の裏は県道55号、イラストが描かれた壁が可愛らしい。
広場&表参道
表参道商店会を抜けると広場に出る。
水郷佐原観光案内図の看板も。
広場に建つ赤い鳥居は、第二鳥居。
鳥居から先は、ゆるやかな上り坂の参道…幅10mほどある広い参道はとても雰囲気がある。
この参道も戦時中に新しくつくられたものなので比較的新しい。参道脇にある灯篭は、千葉県内の会社が寄進しているものもあって現在の広告的な意味もあるのだなと思う。
下の写真は、横浜市中区の割烹「菊屋」のもの。老舗の割烹料理店である。
昭和17年頃に新しくつくられた参道の歴史については次々回の記事でまとめる予定です。
表参道を上ると正面に見えるのは朱塗りの総門。
手前、右手には「神徳館」という建物がある。
神徳館は、集会の場で、昭和34年の神宮2600年記念事業の一つとして旧大宮司官舎跡に建てられたそうだ。
茅葺屋根の門は、江戸中期の天明年間に建てられたものだそうだ。
旧官舎は二度の火災に遭ったが、幸いこの門は残っている。
香取神宮社殿
そして香取神宮の社殿へ。本殿は元禄13年(1700)、江戸幕府5代将軍徳川綱吉によって造営され、その後数回の修理をして現在に至る。拝殿は昭和15年国費で改築されたものだそうだ。
黒塗りを基調とした荘厳な雰囲気。昭和52年から55年にかけて屋根の葺き替え、漆塗り替えが行われたため綺麗な状態を見ることができる。
軍艦「香取」
拝殿の脇で見つけた、海上自衛隊練習艦「かとり」の錨。役目を終え、現在は境内に保存されている。
海上自衛隊練習艦「かとり」は、昭和45年に建設され、平成10年除籍になるまでの28年間、毎年、海上自衛隊の幹部候補生を乗せ世界の海で航海訓練を行い、世界各国を歴訪して友好と親善を深め、幾多の幹部自衛官を輩出した。
この錨は去る平成10年7月除籍の記念として、かとり命名の由緒の深い当神宮に奉献されたものである。
さらに、宝物殿には「軍艦香取御紋章」といったマニアであれば一度は見たいお宝が展示されているらしい。
香取神宮の名前からとった海軍の戦艦があったとは知らなかったな~
戦前の絵葉書にもその姿が描かれている。また今度詳しく調べてみたい。
また、樹齢千年以上の御神木も圧巻…
そして参拝の後は奥にある老舗のお茶屋さんで一休み…
今回、さらに奥にある国登録有形文化財の「香雲閣」に行くのを忘れてしまったので、また今度は桜の季節に訪れたい。
(訪問日:2021年8月)
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