市原市鶴舞。日本最後の城下町?は桜の名所に…古き街並みを訪ねる
市原市鶴舞。歴史と近代建築を訪ね、鶴舞に到着。かつて「日本最後の城下町」と称されることもある鶴舞は鶴舞藩や鶴舞城が存在していた。今回は鶴舞公園から探索をはじめる。
鶴舞公園と鶴舞の歴史
千葉県市原市鶴舞。「鶴舞公園」から探索スタート!千葉県さくらの名所20選にも選ばれた市原市を代表する桜の名所だそうだ。
私が訪れたのは12月末だったので静かだったが、春になったらお花見客で賑わうのだろう。公園の駐車場に車を停めて周辺の街並みを歩くことにした。
「鶴舞(つるまい)」なんて、縁起の良さそうな地名なのだろう。由来が気になる。
地名は、鶴の翼をひろげたような地形にちなむとする説、石川村の谷間に鶴舞谷と呼ぶ地があったことにちなむとする説がある。
角川書店『日本地名大辞典』より引用
地形から由来しているのですね~
また、廃藩置県によって鶴舞藩が廃止された後、藩庁跡地には現在の市原市立鶴舞小学校が建てられている。
町には小学校だけでなく、染織学校や市原郡役場鶴舞出張所や千葉警察鶴舞分署が置かれ、商家が軒を並べる街並みだったという。
昭和初期頃までは、毎月1・6のつく日に市が立ち、近隣から訪れる人々で賑わった。現在の街並みについては後程探索する予定。
鶴舞公園の隣には日吉神社。
ちなみに、鶴舞公園の最寄り駅は小湊鐵道「上総鶴舞駅」。徒歩20分ほど西に位置する。
大正14年(1925)に開業し駅本屋は国登録有形文化財に登録されている。駅は鶴舞の中心街から離れているが、かつての旧市街地に足を延ばしてみてはいかがでしょうか。
鶴舞町道路元標
鶴舞公園から北西に伸びる道は、歓迎のアーチが建っており鶴舞公園の門前的な道。
桜の名所として知られる観光地の近くなので営業しているお店を期待していたが、この通りにお店は無かった。
そして人通りもない。
右手の建物は以前何か商売をされていたのだろう。アーチの両側も空き地になっているが、2012年のストリートビューでは両側に元店舗らしき建物が映っていた。
鶴舞、地名にちなんで街灯が鶴のデザインで可愛い。今まで千葉県内の商店街を多数見てきたが鶴のデザインは初見。
そして交差点の角、アーチの柱付近に建つのが「鶴舞町道路元標」。
道路の路あたりから下半分が埋まっている。ここが確かに鶴舞町の中心街だったことがわかる。
交差点の北側、メインストリートと思われる道は次回の記事にて。
蔵造り店舗「つるまいホープラザ」
道路元標の隣にある建物が気になる。
右手が3階建てに見える白い土蔵造りの店舗?と左手に同じ高さの蔵が併合している建造物。現在は「つるまいホープラザ」というレストランが営業しているらしい。
また、2階では「上総更級美術館」も。
建物内も気になったが、営業開始の11時まで時間が長かったため、今回は入れなかった。
千葉県内の近代建築を探しているが、こちらの建物の情報は知らなかったし、検索しても出てこないなあ。鶴の鏝絵(こてえ)?が美しすぎる…
庫てえは盛ん職人が漆喰を用いて作成したレリーフのことで、千葉県では珍しい。と思ったら、2012年のストリートビューには映っていない!なんだ、後付けか…
近くには鶴岡家の墓、として鶴岡家の歴史も紹介されている。1646年頃より、桐木台の七軒家の一つとして古くから居住していたという。
商店街と邸宅が並ぶ通り
先ほどの蔵の向かい側にある建物も同じく土蔵造りのようだ。
どんなお店だったのだろう?と思いGoogleマップを眺めていたら、訪問時は右のお店が「小川屋」と書いてあった。今は表示が無いので閉店したのかな。
左側は完全に封鎖されている。
流石、ラーメンオタクのらんちばさんが2015年に訪れておりレポートされている記事があったので引用させていただきます。→鶴舞の秘境系ラーメン店 小川屋食堂@市原市鶴舞 千葉ラーメン
創業70年以上経過しているとのこと。錆びた看板には文字が書かれていたに違いない。
私が行った時は営業時間前だったのだろう。地図には「小川屋」の記載あり。
この通りには元商店らしき建物が立ち並んでいる。
こちらは、右手が元寿司屋のような飲食店跡と左手が鮮魚店跡。
鮮魚店は2012年頃は営業していた。
こちらはガス給湯器などを販売していたお店。
また、その近くには「鶴舞ミニ運動広場」。昭和62年に開設されたと碑に記載されていた。
さらに進んだカーブの手前にある一角、壁に覆われているが広々とした敷地に古い門柱と家屋が残っている。
そして見つけた大きな釜。五右衛門風呂の釜だね、と親と話していたが、後々考えたら味噌の釜のようにも思う。
調べると、五右衛門風呂と味噌づくりの釜は同じもののようで、見分けがつかない。
もしかしたら、ここで味噌醸造が行われていたのかもしれないと思うとワクワクする。分かったら追記しよう。
市原市鶴舞編、この後もつづきます。
(訪問日:2021年12月)
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結婚式場の看板は、玉姫殿かな、県内にいくつかありました。バブルの頃のスモーク炊いたり派手な演出が式場毎にあって、この看板のは「愛の鐘が鳴る」みたいですね。(愛のゴンドラとかあったな)シルエットからすると千葉みなとにあったヤツっぽいけど。
末期の頃は、単に宴会場として貸し出してた。一回学年全体の同窓会で行ったことあります。
レリーフはどうやったんだろうな?千葉は腕の良い左官屋さんが絶望的で、既に平成の頭の頃にはちょっと凝ったことできる職人さんがほとんどいなかった。
(石もいまは産地でないこともあり、良い石屋はあまりない。良い感じの石積みとかはあまり期待できないです。)