市原市古市場「旧武田医院」。国登録有形文化財の豪壮な病院建築

市原市古市場「旧武田医院」。国登録有形文化財の豪壮な病院建築

市原市古市場にある国登録有形文化財の旧武田医院へ。

和洋折衷、豪華絢爛な病院建築は近代建築好きな方はきっと心に刺さる佇まいだと思います。私もはるばるバスに乗って訪れて良かった…

市原市古市場へ

千葉県市原市古市場。小湊バスの古市場大気で下車した。今回は、京成千原線のちはら台駅からバスに乗ろうと思ったのだけれどバスの本数が少なくて危うくバスに乗れないところだった。皆さんもご注意ください…

古市場大気

バスは村田川沿いに、旧茂原街道を走っていく。バス停手前で降りても良かったなと思うくらい古い街並みが残っていたのが印象的だった。

バス停前の民家

そして、まず気になるのが「古市場」という地名。

バス停近辺の民家

角川書店の『角川日本地名大辞典』によると、想像通り、かつて市場が開かれていたことにちなむ、とのこと。

また、明治後期の鉄道開通までは、村田川の水運が盛んで古市場の河岸は草刈河岸とともに主要をなしていたそうだ。千葉市にも古市場の地名があるが、その地名と区別するために「上古市場」と称していたことも。旧茂原街道を歩いてみるのも楽しそうだな~

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旧武田医院の歴史

そして、今回はるばるバスに乗って訪れたのは「旧武田医院」をこの目で確かめたかったから。バス停からすぐ近く、村田川沿いに建っている国登録有形文化財。

菊間整骨院の裏に

大正5年築の木造2階建て病院建築。

旧武田医院

「千葉県の近代産業遺跡」のページに詳しくまとまっています。

建物は大きく二つの部分に分けられています。右手の和風建築は大正5年に長南町に建てられたもので、純和風の医院でした。 左手の洋館は、昭和3年に現在地に建築され、昭和27~31年に長南町の建物を解体移築し洋館部分に結合させました。その時に従来から ある洋館にあわせ、洋風に改装したので和洋折衷の外観になりました。
医院として昭和38年まで使用され、病室・診察室・手術室を備えていました。

当初は、市原市古市場ではなく、さらに南方の長南町で生まれた建物だったという。その後、解体移築して洋館部分と結合させるという、今ではあり得ないほど豪華な移築。

外観

そして、昭和38年(1963)まで病院として使用されていたが、現在は一般の民家として住まわれている。そのため、外から静かに見学した。

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武田医院は東京で歴史を紡いでいる

そして、現在の武田医院は、東京都目黒区八雲で営業を続けている!千葉県ではなく東京都!

ホームページに沿革がさらに詳しく載っていた。

武田医院について

この写真は、千葉県市原市古市場に現存する、旧武田医院の建造物です。

現在では、その建物は入院病棟部分は取り壊されていますが、以前からあった洋館を移築後和風建築を結合し、和洋折衷の特異的な建築様式の建物になっています。

千葉県内には戦前の洋館が少ないため、平成9年(1997)7月に「武田家住宅」として国指定の登録有形文化財(建造物)として指定され、現在、武田信美氏の末裔が護っています。

なるほど、入院病棟部分は取り壊されているのですね~

そして、年表も。参考文献まで上げてくださっていて助かります。

●明治23年(1890)年
代々漢方医の流れを組む、房州武田一族の上総武田家十七世当主で医師の武田 行信(18??~1901)の長男・武田常信(1860~1951)房総半島中央部の長生郡 山内村(現・長南町)に「武田医院」を開業

●大正5(1916)年~
曽祖父武田常信により、現存する武田医院建築。

当時としては珍しい近代的な手術室、 分娩室、入院設備を備えた病棟を山内村の小高い丘の上に建設した。

武田常信の長男・武田英信(1887~1950)が「武田医院」を後継したが 戦後の混乱期に病棟ごと長南町山内から千葉県市原郡菊間村古市場(現・市原市)へ移設し、 武田英信の弟・武田信美(1891~1976)が「武田病院」として昭和30年頃に再興した。

●昭和25(1950)年
武田英信の三男・武田(永嶋)信恒(1924~2005)が、 千葉県長生郡西村小沢(現・長南町)にて開業し武田医院の名称を継承。

●平成15(2003)年 10月
武田メディカルクリニック(茂原市)開院。

●平成17(2005)年
叔父永嶋信恒院長の逝去により武田医院閉院。

●平成18(2006)年 8月
医療法人社団 光晶会 設立。

●平成19(2007)年 9月
武田メディカルクリニック(茂原市)閉院。

●平成19(2007)年 11月
医療法人社団光晶会武田メディカルクリニック(東京都目黒区) 移転開院。

●平成23(2011)年 12月
医療法人社団 光晶会 武田医院に名称変更。指定居宅介護支援事業所 武田医院ケアセンター併設。

 

参考

●「房総の名族房総武田物語」府馬清著(昭和図書出版)

●「房総武田氏の興亡」府馬清著(崙書房)

●「戦国大名房総武田氏と信玄」永嶋信恒著(千葉日報社)

武田医院としての開業は、明治23年。房州武田一族の武田常信によって長生郡山内村(現長南町)で開業。戦後の混乱期で、市原郡菊間村古市場(現市原市)へ移築されたという歴史を知る事ができた。

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和洋折衷・美しき病院建築

千葉県内でも木造の病院建築はいくつか現存しているが、この規模感で美しい姿で保たれている建物は少ない、というかほぼ見たことが無い。まるでお城みたい…

所々にひし形の「武田菱」の家紋が見られる。先ほどの歴史にも記載があったように、房総の名族・武田氏の一族である証拠が鬼瓦や窓など随所に見受けられる。

玄関先

玄関先には龍やハクビシン?動物の彫り物に、格子天井、レトロな照明が残っている。

そして扉は3か所。病院入口と自宅用?

2ヶ所入り口

旧武田医院のすぐ西側は村田川が流れている。

村田川

橋の名前も「万右衛門橋」と歴史を感じる名称…

万右衛門橋

村田川側から、旧武田医院を眺める。洋館部分には蒲団が干されていた。

村田川側から

また、倉庫のような木造2階建ての小さな小屋も残っていた。

旧武田医院と木造の廊下で繋がっている。

廊下で繋がっている様子

そして裏側へ。360度美しい。大切に保管されている様子だった。

裏側へ

大正時代の病院建築。これを見るために訪れた価値がある建造物だった。

門柱そばにあったコンクリート?

そしてこの日は、ここから浜野駅まで歩いて、房総往還沿いの銭湯へ…1日探索がはじまる。

 

(訪問日:2021年12月)

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