「潮来下町通り」を中心に水郷名所の潮来の商店街を街歩き -潮来⑶

関東三大遊廓として繁栄を極めた、茨城県の「潮来遊廓」。今回は遊廓の調査のついでに潮来の街を探索してみた。
あやめ祭りの時期ではなかったけど、街中に隠れた魅力がたくさんあったので歩いていて楽しい。
水郷潮来と「十二橋めぐり」
茨城県潮来市潮来(いたこ)。JR鹿島線「潮来駅」。潮来市は東京から約70分で訪れることができる。今回は車で訪れた。

まだあやめの季節ではなかったので、観光客はほとんどいなかったが、舟のりばのスタッフの方は大勢いた。駐車場は300円くらいだった気がする。

毎年5月下旬から6月下旬頃にかけて「水郷潮来あやめまつり」が開催される。イベントはコロナの影響で中止だが、舟の運航は行っているそうだ。

江戸時代に利根川水運の港町として栄え、現在は水郷筑波国定公園に。関東三大遊廓として名の知れた「潮来遊廓」の調査結果は前回まとめたのでぜひ。

売店も各地にあるけど、観光客はほとんどいない様子。これでも一応、ゴールデンウイークだったんだけどな…

「十二橋巡り」というのが、遊覧船の名称らしいが、十二橋ってどういうことだろう?

ホームページに歴史が記載されていた。
利根川下流には、その持ち運んでくる土砂のため三角洲が出来ました。
江戸時代、天正7年(1579)、時の代官・吉田主馬亮の指揮により、新田開拓が始められ、当十二橋のある加藤洲は寛永3年(1626)に整地されました。
ここでは、一島二戸の生活が営まれ隣家との往復のため設けられた橋が、十二あるところから「十二橋」の名が付けられました。
水戸黄門もこの地をよく訪れ、一説には、「潮来出島のまこもの中に、あやめ咲くとはしほらしや」の歌も公の作と言われています。
正式名称を「加藤州十二橋」と呼ぶらしく、千葉県香取市と茨城県潮来市の県境を流れる常陸利根川の南岸に位置し、新左衛門川の両側に民家をつなぐように12本の橋がかけられている。

コースによって値段や時間が代わるらしい。案内図も昭和感満載で良いな~

閉店してしまったのかな?売店ではどんなお土産が販売されていたのだろう?

お客さんはいないが、船頭の方は大勢待機していたので道を歩いていると次から次へと声を掛けられる。

申し訳ないけど、今回は遊廓調査がメインだったので時間に余裕が無くて断るしかなかった。みなさん必死で断るのが苦しい。

コロナはこういう観光地にどれほどの影響を与えているのだろう。

小さい頃に学校の校外学習で訪れたという母は、潮来の衰退に驚きを隠せないようだった。

あやめ祭りの時期に訪れたらもう少し人がいるのだろうか…なんだか切ない。

潮来下町通り
水郷あやめ公園周辺が「潮来下町通り」として街灯が並んでいる。

宴会もできるお食事処「ときた」。シャッターが降りていた。

左手にある交番は、スタイリッシュな雰囲気で驚き。

商店街といっても、更地か新しい建物に生まれ変わっているかで、面影は無くなってきている。

まず歩いた「浜丁通り」は、昔は潮来遊廓の目抜き通り(中心)だった通り。


前回紹介できなかった建物をここでは紹介するが、廃れ具合に驚いた。ほとんどお店は閉まっている。

レトロな看板が残っていたのが救い。
「イタコファミリークレジット」というのがこの商店街の独自のキャンペーンだったのかも。ifcという略も良い!

うわ~静かだなあ。

2006年の「古今東西舎」さんの記事には、レトロな街灯に「潮来銀座通り」と書かれている。
旅館、妓楼、芸妓屋、小料理屋が建ち並ぶ、ここは”銀座”だったのだ。今はすべて無くなって面影は無し。

浜丁通りで一番古そうなのはこの木造の建物。商店として使われていたようだ。

交差点の角にあった旅館「角菱」は3階建てで、潮来の代表的な旅館だったそうな。2006年時点では宿泊できたみたい。泊まってみたかった…
復元された遊廓の黒門も今は片側のみに。

遊郭の探索を終えて、浜丁通りの突き当たりにコインランドリーイタコがあった。

平成26年に閉店しているので建物だけ残されているみたい。


赤い壁にピンク色の文字がとても可愛い。コインランドリーの隣は広い駐車場…

うーん、元は銭湯があったのでは?勝手な推測だけど違和感がある。
調べても全く出てこないので存在したとしても昔の話だろうな~これだけ栄えて銭湯は一軒も無かったのかな。

そもそも、潮来遊廓の記事を書いている人はいるけど、商店街として記録している人は皆無なので銭湯があったとしても記録は少ないだろうな…
富士屋ホテルは廃墟に
商店街の南側、県道101号沿いに建つ廃墟ホテルが気になったので近寄ってみた。

政府登録「富士屋ホテル」。
水の郷潮来、その利根の流れをまじかに眺めながら自然の趣きをお楽しみ下さい。ホテル最上部より眺める利根川の景観。たちこめるゆけむりの中、旅の風情がひときわなごむひとときといえます。
ホームページに紹介されているが、団体客向けの大きな旅館。
1979年竣工、総客室数は40室。

だが、2020年3月30日、富士屋ホテルは自己破産を申請し、倒産してしまった。高速道路整備のアクセス改善によって宿泊需要が減少、東日本大震災、さらにコロナがとどめを刺したという。

茨城県では初となる新型コロナウイルス関連の倒産。元々イベントの時期以外は集客が難しかったというので、イベントが中止になることを考えると仕方がないことかもしれない。

「開花亭」というのは、利根川を挟んで対岸の千葉県香取市にある別館。1000名収容と書いてある。

倒産から1年。現在もなお建物は当時のまま残されている。

同じく県道沿いにあるホテル「まこも」は営業しているようだった。

遠くに見えた「水郷旅館」は廃業しているのかな~

本町通り・潮来上町通り商店街
一旦戻って、浜丁通りの北側の「本町通り」へ。東西に伸びる通りでここも商店街のような雰囲気。

県道5号だけど車の通りはほとんど無し。目の前に見えた大きな建物は酒屋「にしくら」。

この建物、看板建築?みたいな不思議なつくりで面白いな~


向かい側には「潮来青果」。隣は惣菜屋屋で、昔のストリートビューを見ると商店街の加盟店看板があった。

また、並びには和洋菓子店なども。昔存在した街灯を見ると「潮来町上町通り」と書いてあり、道沿い、東側につづいていた。


左手、角にある蔵のある邸宅。個人宅だと思うが、窓が素敵すぎる…

斜めにデザインされた、まるで富士山のような形。窓は洋風な感じで、和洋折衷な建物。

蔵は奥に続いており、天井も高い…商売をされていたのかな?

茨城百景・稲荷山公園
蔵の壁を横目に、路地を抜けて北側へ。

北側にあるのは「稲荷山公園」。あらに詩人の野口雨浄の記念碑や古墳群もある。

なんと、茨城百景にも選ばれているらしい。展望台からの眺めは良いそうなのでぜひ~

公園の北側にバイパスが通っているとは思えないくらい静かな景色。

私の地元ではこういう場所が無いので、どの景色も新鮮に見える。映画の世界に迷い込んだみたい。
長勝寺と参道
稲荷山公園の東側にある「長勝寺」を目指して歩く。

途中で甘味喫茶「いりふね」が気になったが営業しているかわからず。

普通の民家の前に「成田山不動明王」の石碑!成田街道を歩いたことがあるので、この石碑の歴史が気になる!

目的地・長勝寺(ちょうしょうじ)へ。

水郷公園から歩くとちょっと距離があるが、駐車場は無料なので車の方が良さそう。
文治元年(1185)に源頼朝によって創建されたといわれている歴史あるお寺。

山門は徳川光圀の命令により、元禄13年(1700)に普門院から移築されたものらしい。

昭和33年(1958)に茨城県指定有形文化財に指定。

さらに奥に進むと、茅葺屋根が美しい本堂が!

建立年代は不明だが、元禄年間(1688~1704)頃に建てられたといわれている。同じく昭和33年に文化財に登録。

棟上げには源氏の定紋「笹りんどう」が施されている。こんなに立派な茅葺屋根のお寺、初めて見た!

茨城県の潮来にこんな素敵なお寺があるなんて知らなかった。
歴史好きの父はとても喜んでいた。

新緑の緑と相まって美しい。京都旅行とかわざわざ遠くへ行かなくても、近くに素敵な建物があるんだな~

とても素敵だったので家族で記念撮影。訪れている人も全くいなかったので穴場スポットかもしれない。

長勝寺の南側、石畳が敷かれていて参道の雰囲気。歴史ある寺なので茶屋とかがあったもおかしくはないのだけれど…

見た感じ、全然お店は営業していない。新しい建物に変わっているものも多かった。

県道5号に出た。

大門川岸通り~長楽院坂
参道の南側へ続く道は「大門川岸通り」と書いてある。昔は船を降りてこの道を通って長勝寺へ訪れていたのでは?

今度は県道5号を西へ進み、潮来水郷公園の方へ戻ろう。

酒屋に衣料品店、ここも商店街だったんだろうな…

!!電柱に隠れるように、キリンビールのホーロー看板が!

さらに驚いたのがこのレトロな自動販売機!!


サントリービールの自動販売機だけど、このデザインは珍しいみたい。Twitterで映っている人物を尋ねたけど、真実が今一つわからず。

特に女性がわからないらしい。
時代を感じる自動販売機が残っていることが奇跡だ。

立派な松に門…さらに大きな五右衛門風呂?

大黒様が描かれているポンプにほっこり。とても貴重なものを見た気がする。

つけものを販売している老舗の「和泉屋本店」。残念だが定休日だった。立ち寄りたかったな~!


潮来の街を一通り歩いたけど、商店街は活気を失っていた。

ただ、潮来の商店街を記録している記事は少ないので、この記事は価値があるのかもしれない。

遊郭、あやめ祭り…
潮来はこれからどうなっていくんだろう。
(訪問日:2021年5月)
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