八幡岬「小浜八幡神社」からの絶景と「海中桜跡」いすみ市大原 -大原⑻

八幡岬「小浜八幡神社」からの絶景と「海中桜跡」いすみ市大原 -大原⑻

いすみ市大原。大原駅で下車し、近代建築や美しい眺めを有する小浜神社を目指して街中を歩いていく。八幡岬の小浜八幡神社周辺の街並みと、大原漁港の近くでも気になる史跡「海中桜跡」を見かけました!

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大原駅から八幡岬へ 近代建築あり

千葉県いすみ市大原。JR外房線「大原駅」にて下車。いすみ鉄道乗車の記事については以前の記事をご覧ください~

https://deepland.blog/isumitetudou-chiba/

「いすみ鉄道」千葉県のローカル線・いすみ鉄道に乗車! -大多喜⑴

大原駅、西側にロータリーがありタクシーが数台停車している。

そして、「勝浦タクシー大原営業所」の建物が可愛くて気になっている。確実に近代建築なのだがしれっと現役で使われていて街並みに溶け込んでいる…

勝浦タクシー大原営業所

現在は、エミタスタクシー南総(株) 大原営業所?

ネット検索しても建物の情報は出てこず。2階の窓枠、外壁はトタンでおおわれているのでぱっと見は新しく見えるような。

近代建築

屋根瓦とモルタル壁?和洋折衷なつくりがたまらない。

もしこの建物が戦前のものだとしたら、乗合自動車などが走っていた頃の名残なのだろうか?また房総の交通史について調べたらまとめたいな。

大原駅から今回は東の大原漁港方面へ。県道175号を進む。

食品や雑貨卸だった株式会社マスヤ、左側には恐らく元茅葺屋根のような豆腐店が隣接していたが…

マスヤ

2023年最新のストリートビューを見ると、完全に更地になっていた。この1年の間でなくなった風景。

県道沿いには商店跡がいくつか。御菓子「押田屋」も閉店していた。

周辺の歴史について。角川書店『日本地名大辞典』によると、

八幡岬周辺の小浜は、城山・根方・田町・新場の4区で、漁業や観光関係の集落。

中心商店街と小浜との間は、渋田・坂東・新田・小佐部の4区で、古くからの県道大原港大原停車場線に沿う商住地のほかは農業地域であったが、都市計画街道や国道128号が通る。

下、大原公園入口の角にある元商店。国指定重要文化財「浪切不動堂」見学し忘れたなあ。(あまりにも暑くてそれどころではなかった…)

元商店

釣り船、民宿の看板を掲げていた古民家が並ぶ静かな住宅街。大原漁港はすぐ近く。目的の神社は目のまえに見えてきた。八幡神社への案内がいくつか出ていたので助かった。

廃業して久しいが気になる元商店のような建物。右角に張り出していた店舗跡は解体されているが主屋も立派な造り。裏手には土蔵も残っていた。周辺には同様の建造物がまだ残っている。また再訪しなければ。

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小浜八幡神社 絶景へ

千葉県いすみ市大原10439。小浜八幡神社(こばまはちまんじんじゃ)へ。

小浜八幡神社 鳥居

高台にあるので一の鳥居から早速階段。石垣が良い~

二の鳥居

いすみ市商工会」の情報によると、創建は、久安元年(1145)。

久安元年(1145)の創建で約千年の歴史がある。
本町小濱はその昔、新田野の八幡神社の氏子であったが、祭典参加等の面で不都合が多かったため現在地に分霊奉祀したものである。生島八幡神社は上総国一の宮とある

八場所は八幡岬上にあり、俗に小浜八幡様と言う。
八幡岬は、海上に突出し、別称を鳶岬ともいい、本町第一の眺望であり、社殿は丘陵をうがって建設され、南に丹が浦を望む景勝地である。
☆長寿の絵馬 ☆槍 ☆刀 ☆特大な錨行事戦前まで七十五膳の神事を行っていた。

例大祭の「大原はだか祭り」は有名。知り合いでも参加している方がいる。

八幡岬の一番高い所に社殿があり、参道を進む道も少し急こう配に。その分景色が素晴らしい。

二の鳥居を眺める
三の鳥居
灯篭

境内にある碑。草むらの中で少し読みづらいが「御即位記念」とのこと。さらに下に詳しい碑文が刻まれている。

御即位記念
洞穴とお稲荷様

こちらは「奉納 東京魚市場?」と読める。東京からも信仰されていた影響力の大きさを感じる。

東京魚市場

そして一番の見どころは、大原漁港と街並みを一望できる絶景!!

三の鳥居から

訪れた日は7月の炎天下。なのに海風が抜けるからか気持ち良い!戦前の絵葉書で同じ場所で映されたものを持っているが、街並みは新しい家に変わるも全体的な雰囲気は変わらず。右手に見えるのが大原漁港。

階段は少し急なので注意を
三の鳥居
神輿蔵

さらに階段を上がると社殿へ。右側に見える錆びた錨が保存されているのは海の街ならでは?

そして、社殿の裏に遊歩道があるようだったので周ってみたが草木に覆われていて一望とはいかず、もう少し茂りがない時期だったら眺望が良いのかしら。

拝殿

また、ここは「小浜城跡」。岬の神社としてだけでなく、城跡でもあるのが魅力的。本丸跡に小浜八幡神社が祀られている。

南側に見える海岸は「丹ヶ浦」。つげ義春の『海辺の叙景』にも八幡岬は描かれており、実は大原漁港はつげ義春が幼少期を過ごした場所でもある。

丹ヶ浦

そしてまた観光客は誰一人とおらず、つげ義春が見た景色から変わらない静けさに心が妙に落ち着くのであった。

また、神社の眼下にある広場には若山牧水の歌碑が。

若山牧水歌碑

八幡岬にありて図らず満月を見る

ありがたや今日満つる月と知らざりしこの大き月海にのぼれり

「私の旅日記〜お気に入り写真館〜」の方の記事が詳しい。

大正6年(1917年)11月末、若山牧水は八幡岬にあった旅館帆万千館に泊まり、「上総の海 十一月末、上総国大原海岸に遊ぶ。」として55首を詠んでいる。

今から100年近く前の話。八幡岬にあった旅館「帆万千館」が気になって仕方がない私…

先ほどの大原町観光協会の案内看板にも旅館の話が載っていた。若山牧水以外にも江戸時代より多くの文人墨客に愛された場所であることが分かる。

この八幡岬には江戸時代より数多くの文人墨客が訪れた。儒者の安積艮斎、作家の江見水蔭、山本有三、歌人の佐々木信綱、矢代東村、画家の黒田清輝、竹久夢二など多彩な文化人が、この地を舞台にすぐれた作品をのこしている。
ことに明治末期から終戦直後までこの地にあった帆万千館は文化人に愛され、若山牧水や鈴木信太郎などの諸家は好んでここに宿泊し景観をめでながら、この地の自然や風物を活写し創作にふけった。

落札されたヤフオクの旅館の絵葉書はこちら→千葉 上総 大原海岸八幡岬帆万千館 *傷み有り 【アンティーク絵葉書】

これを見ると旅館の位置は…?神社の裏手、海岸沿いで今は広大な空き地となっている様子。通行止めになっていそうな断崖絶壁だがいつか機会があったら跡地を見に行きたいな。

下の写真の場所が跡地の可能性もありそうではある。

現在の小浜城址
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大原漁港周辺「海中桜跡」

神社を後にし、大原漁港へ。角で目立つ食堂跡の建物。

多賀吉食堂?

びっしりとお品書きが。牛乳の文字が左に大きく描かれているのが気になる。こういう食堂に惹かれるな~

漁港周辺の街並み

さらに進むととある民家前に建つ碑「海中桜跡」が気になった。平成5年に建てられた碑。

海中桜跡の碑

ここから前面は、かつて大原海水浴場であり、前方約三00メートルの海には桜の木が植えられ花が咲いたと云う。江見水蔭は、大正七年に、この桜の名に因んだ海中桜という小説を書いた。小浜城をめぐる戦乱記であり、また桜の花に思いを込めた悲恋物語でもある。桜の木は、始め船の出入りの目印の澪標であった。

海の中に咲いていた桜の木の話だった!現在は埋め立てられているが、砂浜が広がる自然の海岸「横浦」だったそうで、江戸時代から大正末まで船の目印に桜の木が使われていたよう。

そして、自生していたわけではなく、10年ごとに新しく植えていたそうで…

江戸時代から大正の終わりまで、この海岸には、実際に海の上に桜の木が枝を伸ばし、春になると満開の花を咲かせていました。
といっても、海の底に桜の木が自生していたわけではありません。
きちんとした港がなかった昔は、舟が海の中に潜む岩を避けて安全に行き来できるよう、目印として杭を岩礁に立てていました。
これが「澪標」(みおつくし)と呼ばれるものです。
ところが、ここ大原では、澪標に生きた桜の木を使っていたのです。

冬に漁師さんたちが総出で山に入り、3本の山桜を切り出して浜まで運搬。
海底の岩に掘った穴に木を差し込みます。
すると、その年の春から4、5年目の春まで、海の上に満開の花が咲いたのです。
それで10年経ったら、また皆で新しい山桜を切り出すという作業を脈々と続けてきました。

なぜそんな大変なことを伝統行事として続けてきたのか?
それは、大原の漁師さんは、海だけでなく、自分たちの村の里山にも親しんでいたからです。
海の恵みをいただいて暮らしている感謝の気持ちとして、山の恵みである桜を海にもたらすようにしたのです。

それにしても、無事に漁を終えた舟に大漁旗をなびかせ、満開の桜に導かれて浜に帰ってくる― それは漁師さんたちにとって、まさに最高の花道だったことでしょう。(ヒューマンストリートより)

しかし現在は漁港の整備も進み、海岸の景色も変わったいま、その話自体がもはや昔話として語り継がれている。

大原漁港

そして、大原漁港のイセエビはランチとしては予算が合わず、デイリーヤマザキでパン等を購入し、次のイベントへ向かった。

デイリーヤマザキにて

 

(訪問日:2022年7月)

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