特攻機「桜花四三乙型」行川基地跡|いすみ鉄道上総中川駅周辺の史跡散歩
いすみ鉄道、各駅探索。今回は少しマイナーな?上総中川駅にて下車。
特攻隊基地跡がひっそりと残っています。
いすみ鉄道「上総中川駅」にて下車
千葉県いすみ市行川(なめがわ)。勝浦市の行川アイランドと同じ読みだ~
大多喜駅の2つ西に進んだ「上総中川駅」は昭和5年(1930)の開業で、現在無人駅。
駅舎という駅舎は無くホームから公道が階段もなく境界線が無い…なんて長閑な駅なんだろう。
駅から歩て行くには遠いので(徒歩30分…)まだ行ったことが無いが「ポッポの丘」は有名な観光スポット。
行ったことがある方も多いのでは?貴重な鉄道車両を見学したり、玉子かけご飯を食べたり…大多喜駅からもレンタサイクルで20分らしいので今度行こうかな。
今回は、時間も限られているので上総中川駅周辺を探索。
上総中川駅の北側に行きたいのだが、ホームから一旦国道465号を通り、踏切を渡って北側へ。交通量も多いので注意。
その東側には行川台集会所、神社、学校跡がある。
線路近くにある「旧中川小学校」は、「夷隅地区多目的研修センター」として活用されているようで、忠魂碑とプール後見逃したな~
「び・び・びのびいすけ」さんが写真付きで紹介されている。40年前に廃校になっているそうなので覚えている方も少ないかもしれない。
その北側にあるのは、昭和53年に新校舎が落成し移転した「旧中川小学校」ということになるだろうか。
こちらは正門、体育館等残っていて時が止まったよう。平成29年に廃校に。
私が訪問したのは2022年夏。その後動きがあったようで、現在「株式会社JAPANNEXT」の本社が移転されているらしい。→https://www.value-press.com/pressrelease/295827
廃校の利活用が各地で進んでいるが、最新技術の企業の本社が移転とのことで房総の活性化に繋がることを期待…
特攻機「桜花四三乙型」行川基地跡
今回の目的地、旧中川小学校の西隣にあるという史跡へ。進んで良いのか分からない鬱蒼と茂る道。真夏に歩くところではなかったな…
自然が豊か。そして迷子になった。目的地の「桜花四三乙型」行川基地跡は、Googleマップ上では道が無いのでどこを進めば良いのか分からず…虫に刺されるだけ刺されて引き返すことにした。
恐らく、途中の左手で見かけた細い道の先に目的の場所はあるのだと思う。しかし、真夏の軽装備で歩く場所ではない。
いすみ市指定史跡「特攻機「桜花四三 乙型」行川基地跡」。説明看板が設置されているのは有難い。
けど、60m先の矢印の方向が看板の奥を示しているとは… 車で近づくのは難しいので電車+徒歩が良い。
庫の奥に、特攻兵器として有名な「桜花」の基地が建設され、格納庫用の洞窟と旋回盤跡が現存しているという。
しかし、基地の滑走路が完成したのは終戦間近の1945年7月末。工事が終わる前に終戦を迎え、「桜花」が基地に届くことは無かった。
房総は現在もこうした戦跡が多く残っているが、どこも荒れている状態で年月には逆らえず仕方がないが崩落の危険性がある。ここも崩落の危険性があるので格納庫の内部は立ち入り禁止。
2022年4月に実際に茂みをかき分けて訪問されている方がいる。アレモコレモさん。
→いすみ市の特攻機「桜花四三乙型」行川基地跡に行ってきた
私は断念したのでこの方の写真を見て実際に自分でも行ってみたい気持ちと、生半可な気持ちで近づくと足元が救われそうなので時期を選んで伺いたい。
房総の戦跡を学ぶ上で分かりやすい本。おススメです↓
千葉県の戦争遺跡をあるく―戦跡ガイド&マップ
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(訪問日:2022年8月)
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単に「懐古趣味」ということではなく、「桜花」の出撃基地がこんなところに作られていたとは知らず、貴重なレポートでした(内容としては「途中撤退」という記事でも、現地の過酷さがよくわかり、わくわくしながら読めました)。
「特攻」という(国をあげての)「自爆テロ攻撃」を「崇高な精神」(靖国神社、特攻隊員の碑文)と称賛するむきもありますが、そういうことを言う人は『不死身の特攻兵』(講談社現代新書)を読んで欲しい、いかに「特攻」が無謀な戦術だったかがよくわかります。
前置きが長くなりました。12月25日付東京新聞(22面)に、北茨城市に「旧陸軍大津基地」の跡地があるという記事が載っていました。旧大津基地は、風船爆弾を作っていたところで、当時国内に3ケ所しかない製造基地のうちのひとつだそうです。大津基地も行川の施設も、当時は秘密裡に国民には知らせないようにして、そういう“秘密兵器”の開発が行われていたのですね…。
でも、それに関して言うと、今も事情は同じです。いま、兵庫県佐用町というきわめて辺鄙なところにある「スプリング8」という施設で「原子核時計」の開発が進められています。これは、従来の「原子時計」が【3億年に1秒】くるうのに対して、「原子核時計」は【3000億年に1秒】という誤差なのです。そんなモノを時計にするのか、と言えば、そうではなく、これが、言わば現代の風船爆弾みたいなものなのです。
むかしは〈風船爆弾〉、そして現代は〈原子核時計〉。そうして…歴史はくり返す。No WAR!Just PEACE!