石岡の遊廓「新地八軒」、金丸通りの「鈴ノ宮稲荷神社」の隣 -石岡⑽ 

石岡の遊廓「新地八軒」、金丸通りの「鈴ノ宮稲荷神社」の隣 -石岡⑽ 

石岡にも遊廓が…

看板建築の聖地というほど美しい町並みが残っている石岡。あまり知られていないようですが、「新地八軒」という場所があったそうです。

石岡「金丸通り商店街」

茨城県石岡市国府2丁目。石岡のメインストリートである県道138号から東へ。「金丸通り」と呼ばれる裏道を歩いていた。

金丸通り

街灯にはうっすらと「金丸通り商店街」の文字が見える。

金丸通り商店街

地域調査報告の「石岡市中心部における都市空間の特性」に金丸通りについて少しまとめられている。

金丸通りは,水戸街道から駅前通りと並行し,金丸町を東西に横断して石岡駅に達する狭小な街路である。この街路を中心として,金丸町には金丸寿商店会,金丸町金六会,金丸通り商栄会の3つの商店会がある。石岡駅に最も近接する金丸通り商栄会の加入店舗数は30であり,同商店会内の街路は,かつては市内の歩行者通行量の最大を占めた。

3つの商店街があったことがわかる。現在も昔のままの街灯が連なっていて雰囲気が良い。

現在の金丸通り

金丸通りにあった「川上酒店」。

川上酒店

個人的に好きな金網看板!!しかも、上が違う漢字になっているのが興味深い。臣みたいな漢字。

金網看板

現在は閉まっているお店が多く、静かな裏通り。まさかここに遊廓があったとは、歩いているときは全く想像がつかなかった。

山口畳店

山口畳店の前に建つレトロな街灯。夕方だったので灯り始めていた。

レトロな街灯

街灯を下から眺める。銅板のような素材でできた街灯。

街灯を下から

そして山口畳店の少し先に、遊廓が存在した場所があったらしいのだが、あまりにも閑散としているので引き返してしまった。

金丸通り
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石岡遊廓「新地八軒」

石岡の遊廓について。調べると何人かの方がまとめているが、あまり知名度は高くないのか、情報は少ないようだ。

古今東西舎「石岡(石岡遊廓跡地)新地八軒」
歴史の里石岡ロマン紀行「▼鈴ノ宮稲荷神社▼ 石岡市国府2」

「石岡民俗博物館」の展示資料に石岡の遊廓「新地八軒」のことが書いてあるという。その場所は、金丸通りに面した「鈴ノ宮稲荷神社」の隣。現在は駐車場になっているところ。

鈴ノ宮稲荷神社を撮影するのを忘れてしまったので、ストリートビューから引用する。(茨城県石岡市国府2丁目1)

鈴ノ宮稲荷神社は、幕末に天狗党が最初に決起してこの場所から出立したことで知られている神社で、天狗党のメンバーが遊廓を定宿としていたようだ。

「幕末関連史跡補完計画」というサイトに紀州屋についてまとめられている。

紀州屋は府中(現石岡市)にあった八軒の妓楼から成る遊郭新地八軒のなかの一軒で、筑波挙兵前に藤田小四郎らがその拠点とした。紀州屋の女主人いく子は女丈夫として知られ、浪士らの面倒をよく見たという。天狗党の同志達は紀州屋を中心に新地八軒の各妓楼に分宿し、集まっては挙兵に向けての協議を重ねた。

妓楼名は、「紀州屋」「金枡屋」など。新地八軒の名のとおり、八軒の妓楼が存在したようだ。さらに調べていると「水戸天狗党集結の地、府中 (茨城県石岡市)」の記事に妓楼の配置図が掲載されていた。

当時、小四郎らは府中新地金丸町の紀州屋に滞在していた。
新地には、紀州屋、三好屋、井関屋、山本、大和屋、金升屋、近江屋、松屋という八軒の旅宿が並んでいたが、小四郎のいた紀州屋が本陣格で一隊は八軒にそれぞれ分宿していた。

掲載されている画像を見ると、神社の隣が金枡屋で、金丸通りの両側に妓楼の建物が並んでいたようだ。木造2階建ての建物はそれほど華美なものではなかったようだが、今は面影は全くない。

普段活用している遊廓や赤線の案内本には情報が無いので、幕末の話で昭和初期には衰退していたのか、それほど有名な遊廓ではなかったのか…今度博物館にいって調べてみよう。

また、今回は撮影ができなかったが近くの建物には料理店の鑑札もあるので他にも面影は残っていそうだ。

 

(訪問日:2021年8月)

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