石岡の看板建築 !昭和レトロの街並みが残る看板建築の聖地”石岡” -茨城⑹

皆さん「看板建築」はお好きでしょうか?!私も看板建築の魅力に取りつかれた一人。看板建築は、裏は木造建築なのに表が一枚のキャンバスのように個性豊かな装飾が施されている商店の建物のこと。
今回は看板建築の聖地でもある茨城県石岡市へ!
看板建築とは?
看板建築についておさらい。『看板建築 昭和の商店と暮らし』を参考にまとめる。
看板建築とは
はじまりは関東大震災。大正12年(1923年)に起きた関東大震災によって焼け野原となった街に新しく店舗が建ち始めた際、建築家や芸術家の手によるデザイン性の高い新しい建物が建つことに。しかし、豊富な資金も無い時代。様々な工夫を凝らして看板(キャンバス)に大工や施主が夢を託したのだろう。個性豊かな看板建築は、令和になった現在も輝いている。
防火のために銅板やモルタル、タイルなどで覆い、狭い土地を活かすために正面を平坦に。
時代によって異なる
戦前、戦後で形式や装飾なども異なる。
素材
素材も様々。銅板やモルタル、タイルなどどの素材が利用されているかで印象が全く違う。
石岡の看板建築
茨城県石岡市には国道355号線沿い、中町通りに看板建築が並び、11か所が登録有形文化財として保存されている。

JR石岡駅から徒歩で探索するのも良し。私は車で行き、丁子屋の隣にある無料駐車場に停めた。
以下のMAPは、石岡市が提供しているMAPを参考に、私が描いたもの。建物一つ一つを紹介していこう。

①喫茶店四季
国道からちょっと脇道へ行くと喫茶店四季の建物が見える。国道からもその風格を感じ、私は思わず駆け寄った。

喫茶店四季はよくSNSでも見かけるほど、人気の高い看板建築。側面から見ると、看板建築の特徴がよくわかる。

昭和5年に建てられた貸店舗。現在は喫茶店四季が営業中。当初から貸店舗として建てられた貴重な建物らしい。

よく見ると、ギリシャのコリント様式風の柱が1階と2階部分にあり、贅沢な雰囲気。

側面から見た屋根には貝殻?のような飾りがちょんと残っている。これ、折れたりしないのかな…


1階と2階の間には、縄の模様のようなデザイン。これは一体なんていうのか…


窓も格子窓が残っていた。左側と右側で、窓や周辺のデザインも異なる。

屋根には3つの突起があり、独特な看板建築。

真ん中の柱を境に、店舗が2つに仕切られているというが、右側の窓は割れてしまっているみたい…

喫茶店四季の左側、空き地になっているが、かつてここにも木造建築があり老舗のラーメン屋が有名だったらしい。
看板建築だけがぽつんと残っている。

②森戸文四郎商店
森戸文四郎商店は、中町通りの常陽銀行の正面にある。

昭和5年頃に建てられた飼料店。現在は花屋として営業中。

正面には縦長の窓や細長い柱のレリーフ。こちらはアールデコ調の看板建築だという。
小さな窓枠にダイヤのような枠がついているのが素敵。


褐色タイルが、両サイドの柱に使われている。

飼料時代の看板と、花屋の看板が残っていた。


③きそば東京庵
斜め向かいにある、きそば東京庵の建物。こちらは看板建築ではないが、木造2階建ての数寄屋風の建物は石岡では珍しいとのこと。

昭和7年の建築。蕎麦屋の創業は明治26年という老舗。

入り口の丸いランプがとても好き。

戦後に座敷を取り除き、テーブルと椅子を配置した和風食堂。石岡の観光の際に立ち寄りたい。
④すがや化粧品店
すがや化粧品店は、昭和5年の建築。

当時は雑貨店であったが、現在は化粧品店に。教科書で見たことがあるようなコリント、イオニア式風の柱のデザインが特徴。


以前の写真を見ると、すがや化粧品店の「すがや」が右文字で屋号として残っていたのだが、跡形もなく消えている。

屋根の上にはまたしても貝殻のようなデザインの飾り。

⑤栗山呉服店
栗山呉服店は、すがや化粧品店の向かい側にある通り。昭和7年の建築。

木造2階建ての商家建築。2階のガラス戸が美しいと評判なのだが、写真を撮っていないようだ。残念。
⑥十七屋履物店
左側の全体的にオレンジ色の建物が十七屋履物店。

昭和5年の木造2階建ての建築。履物屋として営業していた。代表的な看板建築である。

2階の縦長の窓と茶色、オレンジ色の組み合わせが可愛い。

昭和4年の石岡の火災後、この地区で最初に建築された看板建築の先駆けの建物。

青い空とよく映える。昭和にタイムスリップしたかのような錯覚に。


店舗の入り口の欄間にも、精巧な窓枠。

⑦久松商店
履物店の隣、茶色の看板建築が久松商店。

昭和5年頃に建てられた化粧品、雑貨店。現在は喫茶店として営業。戦時中は銅板が軍部から供給されていたが、近年貼りなおしたという。

よく見ると、雷紋の模様が細かく表現されている。

⑧福島屋砂糖店
久松商店の隣にある福島屋砂糖店。

昭和6年に建てられた砂糖問屋である。

以前は店の前に自動販売機があったそうだが、景観としてよくないので撤去されたのだろうか。

砂糖を運ぶためのレールだろうか。

土蔵造りの壁が土壁漆喰塗ではなくコンクリート製なのが大変珍しいという。

奥には煉瓦の壁も残っていた。

黒塗りの外壁が重厚感を醸し出している。

⑨丁子屋(まち蔵藍)
金比羅神社の隣にある丁子屋。昭和4年の火災を免れ、江戸末期の建築と言われている。

観光施設として利用されており、駄菓子やかき氷なども販売していた。

大火を免れた唯一の建物としてとても価値の高い建物。

地図に書いた⑩、⑪は時間が無く回ることができなかった。次回機会があったらまた探索したい…無念。
他にもいろいろ
登録有形文化財ではないが他にも気になった建物たち。
密集看板建築
ぎゅっと密集している看板建築が遠くからでも目立つ。

右手にあるのは石岡富国社。


玉川屋石岡本店、旧吉田靴店、ヤマモト時計店。

吉田靴店は、たこ焼き屋として営業中。

玉川屋は銅版素材が使われているみたい。側面を見ると、奥へ長い建物であることがわかる。

たばこ屋
たばこがおくりものだった時代が垣間見える。

パイプ、シガーなど喫煙具も販売しているのは珍しい。

昭和感のある建物たち
昭和を感じる商家の街並みが残る。

前野呉服店は、ジャスコで営業しているらしい。


石岡ラジオ電機店
ラジオが店名に入っているあたり、昭和…


廃墟のようなビルも並ぶ。
水酉酒店
昭和5年の建物らしい。

看板建築らしい凝ったデザインではなく、シンプルだけど素敵。

街灯には鳥のモチーフが。

石岡町道路元標があるということは、この通りが最も栄えていた場所であることがわかる。


裏通り
国道から一本裏側にある通り。道路が整備されている。

今回は時間の関係で探索できなかったが、裏通りから駅に向かう方面にも古い建物が多く残っている。

キャンパスショップミヤモト
国道沿いの建物。こちらも看板建築。



他にもいろいろ
阿波屋の看板、制服がかかっていて可愛い。




広告も載っていた角吉は奥にある建物が和風、手前が洋風なつくりだった。

太陽堂薬局も横から見ると看板建築らしく、表のキャンバスが薄い。


帰らなければならない時間が近づいていたため、石岡に滞在できたのはほんの20分ほど。ダッシュで看板建築を駆け巡った。とりあえず写真に収めることを目的としたが、本当に惜しいのでまた絶対にチャレンジしたい。

回れなかった看板建築も含めて、一つ一つの建物を眺めるだけで1日終わってしまいそうなくらい、石岡は濃厚な場所だった。看板建築だけでなく、駅に向かうまでの道にも古い建物が残っていそうなので近々再訪することを誓って。茨城の探索は一旦終了。
(訪問日:2020年8月)
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