印西市船尾|名馬塚・頼政塚・船穂村道路元標・船穂小学校・商店街を巡る

印西市船尾|名馬塚・頼政塚・船穂村道路元標・船穂小学校・商店街を巡る

印西市船尾へ。

千葉ニュータウンの近くにある船尾の道路元標、名馬塚、頼政塚を駆け足で巡りました。

 

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名馬塚・頼政塚

千葉県印西市船尾「名馬塚」へ。

前回からの続きで、印西市を父とバイク旅中。印西市浦部から、北総線「千葉ニュータウン中央駅」を通って南へ。千葉ニュータウンの団地群、何気に初めて見た。北総線は交通費が高いイメージでまだ全然降り立っていないのです。

県道4号を南下。途中、スポーツ用品店の角を曲がり、船尾ゴルフセンターの付近にある「名馬塚」へ。

数年前は木が茂っていたが、伐採されて日当たりが良くなっていた。馬に関するからか馬頭観音も多数。

結縁寺世話人会による看板も設置されていた。

名馬塚について

結縁寺の西南にあたるこの地に、源頼政の首を運んできた名馬を葬ったと言われる名馬塚。以前は、お堂の中に納められていたというがお堂の痕跡は無かった。

名馬塚から少し東にある「頼政塚」も立ち寄った。

頼政塚

なぜ、印西市に頼政塚…?と気になったので今回立ち寄った。結縁寺までは時間の都合上足を伸ばせず。

結縁寺世話人会による看板

説明看板によると、源頼政は、死に際に家臣に「吾が首を持ち東国へ向かっていけ、吾が止まらんと欲する処に行かば、首が重くなって動かなくなろう。そこに塚を築いて首を葬れ」と遺言したそう。

それがこの印西市船尾の地らしい。周辺には頼政に関する史跡がいくつか伝承が残っている。

木に黒い紐がぶら下がっていてびっくりしたが、これは農作業で手首を痛めた時に巻き付けると効能があるらしい。

明治37年戦没記念碑

 

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船穂村道路元標・船穂小学校

名馬塚を後にし、本日最後の目的地である印西市船尾へ。冬至に近い日だったため日没が早い。

船尾交差点

県道4号の船尾交差点は四差路、さすが交通量が多い。その角には「ヨコトシ商店が」営業中。

ヨコトシ

その北側に「印西市立船穂小学校」。

印西市立船穂小学校

印西市立船穂小学校は、明治6年(1873年)船穂尋常小学校として創立。現在地に移ったのは、明治28年。校門脇には二宮金次郎像!

小学校に隣接して、「船穂村道路元標」が残っている。

船穂村道路元標

並びには旧呉服洋品スズキ。その隣にあった船穂郵便局は解体され、郵便ポストが道路元標脇に移ったみたい。

船尾には、古民家を改装したレストラン「宮崎邸」があるのでいつか行ってみたい。予約制らしくまだ行けていない。

印西市のバイク旅おわり。印西は古い建物や史跡、神社仏閣で行きたい所がまだ沢山あるなと再認識。

 

(訪問日:2022年12月)

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