旧井上家住宅(我孫子市)|幕末に建てられた名主の邸宅.一般公開中 

旧井上家住宅(我孫子市)|幕末に建てられた名主の邸宅.一般公開中 

我孫子市にある「旧井上家住宅」を見学に行ってきました。無料で見学できる文化財の歴史的建造物は全部で9棟。

現在、保存整備工事中。今後が楽しみです。

 

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旧井上家住宅の歴史

千葉県我孫子市相島新田1「旧井上家住宅」

JR成田線「布佐駅」から徒歩15分ほど。駐車場も無料なので車でも行きやすい。駅からの道のりは記事の後半で紹介します。

この日は、安食の探索を終えて閉館時間のギリギリだったので急いで駅から旧井上家住宅へ。入ってすぐに説明看板が設置されていた。

旧井上家住宅について

解説
享保時代(江戸時代中期)から相島新田を拓き、代々名主を務めました。
昭和の初めには、井上二郎が近代的な組織をつくり、電力による排水ポンプを設置するなど相島耕作整理に尽力しました。その功績を称え、旧井上家住宅裏門の前には「開発済世の碑」が建っています。
内部には、江戸時代末期から昭和初期までの9棟の建造物(母屋・二番土蔵・新土蔵・旧漉場・表門・裏門・外塀・庭門・庭塀)が残っています。
平成24年市指定。

我孫子市ホームページより)

井上家と相島新田
旧井上家住宅は、我孫子市の東端にあり、江戸時代には利根川舟運の主要な港町として栄えた布佐郊外の相島新田にあります。この辺りは江戸時代中期から手賀沼の干拓が行われたところで、相島新田は井上家が開いたことで知られています。
井上家は、江戸時代前期から江戸尾張町(現:銀座)で食料雑貨商「近江屋」を営んでいましたが、4代目の井上佐次兵衛の代に「享保の改革」の一環として実施された手賀沼の干拓事業に参入し、この地に移住しました。

井上家はもともと、江戸で雑貨商を営んでいたが、手賀沼干拓に従事するためにこの地に居を移し、名主を務めるほどになったという。

旧井上家住宅は大きく分けて二つの時代で構成されている。

一つは、江戸時代、9台目主信によって建てられた名主邸の格式を備えた母屋と二番土蔵。もう一つは、近代に増築された母屋の増築部分である釜屋と新土蔵。

名主邸としての風格と格式を備えた良質の建築かつ、名主に関する文献や手賀沼干拓に関する資料郡が大量に残されていることから、「家と家の歴史を裏付ける資料」が今日まで残っている点、貴重な文化遺産として認められている。

現在は、補修工事が行われており、母屋の座敷に上がって見学することはできない。が、展示会やイベント開催を通して活用方法を模索しているようなので、いつか見学できる機会があったら嬉しいなと思う。

また、最近では映画「ミステリと言う勿れ」のロケ場所としても使われたらしい。

平成30年5月31日付けで、主屋をはじめ9件が文化財登録原簿から抹消されているのが気になる。修理のためかな?

 

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旧井上家住宅 建造物の見学

旧井上家住宅を見学。無料で開放されており、自由に見学が出来るのが嬉しい。

一つ一つ見て行こう。

旧井上家住宅表門

旧井上家住宅表門は、江戸末期の嘉永4(1851)年建設。

旧井上家住宅表門

木造、薬医門、桟瓦葺、袖壁付設。

屋根の上にある棟部分は、漆喰と瓦により青海波を模している。大正期に補修されたことが保存整備工事によって判明した。

旧井上家住宅 母屋

堂々たる構えの母屋は、江戸時代末期、安政5年(1858)建設。

木造平屋、茅葺型鉄板葺。大正15年に増設された釜屋は、鉄筋コンクリート造、平屋付設。

旧井上家住宅 母屋

母屋の広さは76坪!建てられた当初は茅葺屋根だったが、戦後、鉄板で覆われている。

母屋は、規模が大きく、軒が高く、土間部分が比較的狭いなどの特徴から、江戸末期の典型的な上層農家の格式を保っている。

母屋について

 

母屋の式台玄関

土間までは見学ができるが内部は上がることができないので、外から見学。正面に見えるのは、婚礼用の長持。

帳場と提灯入れ

母屋北側に大正15年に増設された釜屋は、12代目当主が手掛けたもので、その時期に電気が開通していたことから、布佐では最先端の建物だったという。

鉄筋コンクリート造の釜場
木製の便所…?

母屋を中庭からも見学。

中庭

内部は見ることが出来ないが、古いお手洗いを探している私にとってはこんな立派な家のお手洗いはどんなものだったのだろう?と興味深々。

お手洗いのガラス窓

洋風な扉?!
大きな釜

 

中庭からの眺めも良い

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二番土蔵

母屋の向かいにある二番土蔵。嘉永4(1851)年建設。土蔵造2階建、桟瓦葺。

二番土蔵

洪水などの水害を避けるために水塚の上に建てられている。看板の写真に用に当初は3棟の蔵が並んでいたが、現存するのは中央に写る二番蔵のみ。

3年かけて保存整備工事が行われた。

新土蔵

昭和5(1930)年建設の新土蔵。土造モルタル仕上げ、平屋、桟瓦葺。

新土蔵

当時の最先端技術を駆使して造られた蔵。

木造だが内部の壁は金網(ラス)を下地にモルタルを塗り、外壁の仕上げは漆喰となっているそう。扉は鉄製。

新土蔵の内部

旧漉場

母屋の北側に位置する旧漉場(こしば)。油を漉す作業場だった旧漉場。

旧漉場

木造、一部2階建、桟瓦葺。大正8年(1919)に建設。

油業は明治の頃には規模を縮小しているため、仕事場や宿舎として使われていたのではないかとも考えられているという。

内部には展示品があった

裏門

裏門は、大正11(1922)年建設。

裏門

木造、薬医門、桟瓦葺、袖壁付設。

 

敷地の外から見た裏門

個人的には裏門の照明が気に入った。大正期の建設当時のものなのか、近代的な意匠がとても可愛い。

 

 

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庭門両脇屋根塀と井戸

母屋を囲む、庭門両脇屋根塀は昭和初期の建設。銅板葺き。

そして敷地の南側には大きな井戸が残っていた。

照明

旧井上家住宅、この規模を無料で開放されているのが本当に凄い。

今後も保存整備工事が行われ、どう変わっていくのか楽しみ。

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JR布佐駅より布佐下通り

順番が戻りますが、JR布佐駅より旧井上家住宅までの道のり「布佐下通り」を歩く。

布佐下通りへ

Googleマップに「布佐下通り」と記載されている道。

生垣と高台に建つ古民家。鮮やかな木々に囲まれて一際目立っていた。

コンビニエンスと書いてある個人経営のコンビニ跡。

商店街の街灯が残っていた

その先を進むと、布佐下通りに面した旧井上家住宅。

その北側には、昭和27年に建てられた「開発救済碑」。

旧井上家12代目が、最新技術であった機械排水を取り入れたことにより、干拓地を広げることに成功、その成功を称えて建てられたものであるという。

そのほか、気になったもの。

道標?

布佐下新田にある稲荷神社。

稲荷神社

稲荷神社境内から見える手賀川沿いの眺めが良かった。

民家の間に残っていた石碑。

 

布佐駅に戻って帰宅。ホームには、行商の方が使っていた荷物台が残っていた。これも博物館で保存してほしいと切に思う。

 

 

(訪問日:2022年12月)

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