永治郵便局~旧うらべ銀座の商店街|木造局舎/月影の井/道路元標 印西市浦部地域を歩く 

永治郵便局~旧うらべ銀座の商店街|木造局舎/月影の井/道路元標 印西市浦部地域を歩く 

印西市浦部~永治地域へ。

レトロな郵便局が残る永治郵便局、道路元標、史跡、気になる神社など木下街道沿いを歩きました。

 

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永治郵便局・印西市立永治小学校

千葉県印西市浦部557「永治郵便局」

訪問してみたかった現役のレトロな郵便局「永治簡易郵便局」。

永治簡易郵便局

昔ながらの赤い丸ポストとセットで昭和の郵便局の風景を今に伝えている。

そして現役。

取っ手も良い

郵便局は永治地区の北、交差点の角に位置する。いつからある建物なのでしょうか。

以前のストリートビューを見ると、外観がピンク色だったが現在はクリーム色に塗り直されている。千葉県内のレトロな郵便局巡りもまだまだ続く…

郵便局の脇道を進むと、大六天神社や月影の井といった名所があるが、先に木下街道沿いを歩いてから行こう。

県道59号でもある木下街道を南下して歩きます。

右手に見えてきたのが「印西市立永治小学校」。門柱にも学校名が記載されているが、平成29年(2017年)に木刈小学校と統合したため、廃校に。

印西市立永治小学校

校舎も新しいのに廃校…歴史は古く、明治6年(1873年)。

フェンスの内側にある左の門柱は古いものだろうか。2023年のストリートビューを見ると工事が入って門柱が取り払われていた。

現在は、「印西市高齢者就労支援センター」として生まれ変わっている。一部のスペースでは「永治小学校メモリアルスペース」があり、当時の展示品を公開しているそう。

永治小学校メモリアルスペースは、地域に支えられ「おらが学校」と愛された永治小学校144年の歴史を記念するため、学校沿革や校旗などを中心に関連資料を展示しているスペースです。
永治地区のみなさんと積極的に交流し、結びつきを強めながら「地域に根ざした教育」を実践してきた永治小学校の足跡をご覧いただけます。

明治のころの教科書など気になるものも。平日開館しているのでいつか立ち寄ってみたい。

引き続き木下街道沿い。木造二階建ての立派な「板橋呉服店」。営業中。老舗の予感。

板橋呉服店
営業中

学校沿いには呉服店以外にも商店が並んでいたのでしょう。

旧商店が並ぶ

永治のバス停は、1日5本。

永治バス停
浅海薬店

旧永治小学校の裏門。左奥にあった体育館らしき建物は取り壊されている。裏門も立派だな。

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永治村道路元標・月影の井

ガソリンスタンドから少し進んだ電柱の傍に「永治村道路元標」が建っていた。この辺りが旧永治村の中心地。

永治村道路元標

道路元標脇の坂道に惹かれてしまったので、ここから裏の鮮魚街道を寄り道。

道路元標の脇、坂道から見た民家の跡地。なかなか立派な石垣!

階段を下ると鮮魚街道に出る。この一区画だけ、木下街道と並行した一本裏道にある鮮魚(なま)街道。その名の通り鮮魚輸送の道だった。

その鮮魚街道から西側には龍崖城跡、その手前に市指定史跡「月影の井」。

月影の井

月影の井は、鎌倉時代この周辺に勢力があった大菅豊後守正氏が産湯や行水に使った水を汲んだ井戸と言い伝えられています。鎌倉の「星影の井」、福島県二本松の「日影の井」とともに「日本三井」のひとつに数えられます。(印西市ホームページより)

鎌倉、二本松とともに日本三井!こんなところにあるとは…
昔は綺麗な水が流れていてそうですが、今は静寂に包まれてます。

龍崖城跡、空堀、大門など遺構がいくつか見られるらしい。明るい時間帯にまた行きたい。

龍崖城跡

そして鮮魚街道を南下。竹藪に囲まれた旧道の雰囲気が素晴らしい。
再び木下街道と合流する。

鮮魚街道
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浦部せんべい・出世豊国稲荷神社

木下街道と合流。さらに南側には「浦部の百庚申」があり、次回再訪せねば。

街道沿いで気になる幟「浦部せんべい」に遭遇。

看板には、銘菓・手焼き。これは浦部の名物として古くから知られていそうな。

浦部せんべい 看板

せっかくなのでお土産に、と思ったら年末で予約注文のみでした…!
残念。口コミでも美味しいと評判なので再訪したい。

予約注文のみでした

木下街道を北へ。

民家の隣に、気になる一角が。入り口は街道側ではなく横の駐車場側。神社?のような小さな一角。

入口

小さな階段がある入口から敷地内へ。鳥居や玉垣が崩れたまま置かれている…?

そして気になる玉垣「相撲茶屋 岩睦會」。相撲茶屋?

街道側の柱裏面にも「財団法人 日本相撲協会」が2本。

財団法人 日本相撲協会

石碑に刻まれた文章は風化していて読みづらい…
かろうじて「出世豊国稲荷神社」と読める。

出世豊国稲荷神社について、2022年12月訪問時にはネットで調べても情報がなく謎だった。今も訪問されている方はいるが詳細は分からず。

両国国技館には、力士の出世を願った出世稲荷と商売繁盛を祈願した豊国稲荷が祭祀されているが、何故印西市浦部の地に移ったのだろうか?

印西市観光協会のページによると、印西市大森の地域は「江戸時代から相撲が盛んで第24代横綱「鳳谷五郎」関を輩出したことでも有名」とあるが、ここは浦部。ご存知の方がいたら教えてください。

後日、地元の方に聞き取りをしたがこちらの存在は把握しておらず。

木下街道沿い、2020年のストリートビューを見ると「モリタ呉服店」の建物があった。今は解体されている。「うらべ銀座」とあり、この通りは銀座商店街と呼ばれていたらしい。

その隣の中村酒店も閉業していた。

旧中村酒店
渋い外観

そのほかにも旧商店の建物や大型の古民家が並んでいたが、2022年時には解体されていた。

街道脇にある「天台宗 歓喜院」へ。

400年ほどの歴史がある天台宗の寺院。境内の薬師堂は、珍しく北向きなので「関東北向薬師如来」と看板に書いてあった。

天台宗 歓喜院

その手前に気になる一軒。普通の民家(外観は避けておこう)なのだが、「兵隊屋」とある。

兵隊屋?

軍人関係?

なぜここに?と思ったが、元々「兵隊屋旅館」という旅館らしい。由来が気になる。

最期に気になったもう一軒。和風住宅にモルタル?この造りがいつ頃の建築なのか気になる。

木下街道沿い、次回最終編。船尾へ向かいます。

 

(訪問日:2022年12月)

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