【稲毛散策①】千葉・稲毛浅間神社周辺「京成稲毛うら通り」映画館もあった賑わい

今回は、千葉県千葉市にある稲毛!皆さんは、稲毛と聞くと何を想像するでしょうか…?あまり馴染みが無い方も多いかもしれませんが、かつては療養地としても家族連れの海水浴としても賑わっていた稲毛。
そして、稲毛浅間神社の裏には大人の路地が現在も残っており…!人が集まるところに花街あり。さらに大人向けの映画館もあったのだとか…?!
そして、いなげの家、神谷伝兵衛氏の別荘など、稲毛浅間神社を中心に散策スポットを紹介する。
京成稲毛駅から
京成稲毛駅から降りて散策スタート。京成稲毛駅は各駅しか停車しないため、わざわざ降りることも少ないかもしれない。京成稲毛駅は、どこか懐かしい駅舎で、散策のはじまりにはぴったりだ。
京成稲毛駅から稲毛浅間神社の方面へと進む。稲毛浅間神社の参道らしき道路には、「せんげん通り」との看板。稲毛商店街とも書いてある。この疲れた色味がまた良い味を出していて良い。

創業80年以上の老舗・稲毛園
京成稲毛駅のすぐそばに、「稲毛園」と書かれた金色の文字が目に入る。どうやら、お茶と海苔を扱っているお店のようだ。シャッターに描かれた真っ青な海と、スペイン瓦の青色がとてもマッチしていて、爽やかな雰囲気。

創業はなんと、1935年!かなりの老舗だ。第2・4日曜日が定休日らしく、この日はシャッターが下りていたが、綺麗なシャッターアートを見ることができたので満足。稲毛散策のお土産はここで手に入れたいところ。

せんげん通り
せんげん通りを進むと、昭和の雰囲気がそのまま漂う商店と出会う。しかし、道幅がかなり狭く、特に歩道がほぼない道路のため、車と歩行者がすれ違うのが少し危ない。写真撮影には気を付けたい。
ブティックリラ、加藤時計店、成功舎…ぎゅっと詰まったサイズ感が可愛らしい。

春、個性はばたくとき。SEIKOの広告だ。スマホが主流になる以前は、時計の価値も高かったのだろう。広告は時代背景を色濃く映している。

今はもう見ることができない看板たち。カオナシのようだ。
こちらもシャッターにイラストが描かれている。よく見ると、手の型が無数に押されたものが松の木となっている。稲毛の子どもたちによる作品だろうか。商店街を盛り上げる策として見習いたい。

こちらも、金色で装飾された店名「天鷹 並木酒店」。この商店街で一番古く、90年以上の老舗らしい。いなげの逸品にも選ばれている。

伝説の?!稲毛のソープランド「稲ソー」
せんげん通りの真ん中ほどに、電信柱にひっそりと隠れるかのように怪しく光る看板。
こんなにも堂々と昼間から光っているものの、道行く人にとっては視界に入りづらいもののようだ。通称稲ソーとも呼ばれる場所。昭和40年頃に創業した老舗だという。

せんげん通りから一歩裏にあるビルのような重厚な建物が、それのようだ。おお、大人の世界…

建物の裏手に回ってみたが、裏口などは無さそう。かつては他にも何軒かあったようだが、この場所だけになってしまったのだろう。稲毛浅間神社へお参りして、この場所へ足を運ぶ…この関係性は切っても切り離せないもの。

稲毛浅間神社近くの怪しい裏路地
稲毛浅間神社は毎年かなりの人が夏祭りや初詣に訪れる、地元の人にとっては欠かせない場所らしい。となれば、花街関係の場所もあってもおかしくないはず。成田山新勝寺に赤線があったように、ここ稲毛浅間神社にもその名残は無いのだろうか?
京成稲毛駅近く、せんげん通りに面したコンビニの横の道。覗いてみると、こちら側を向いた茶色の建物が正面に見える。斜めに構える扉は、私たちを歓迎しているようだ。…これはお店だったに違いない。勘が働く。

近づいてみると、茶色のお店のあたりを入り口に奥にも怪しいお店があるではないか。看板も何も見当たらないため、営業している雰囲気はないが、木に隠れた窓から、「菜の花」というスナック?喫茶店のような場所だったことがわかる。
菜の花の右手には、「せんげん通り」と書かれた看板。あれ、こっちも表通りと同じくせんげん通りなのか。かなり廃れているけど…怪しい。

大衆割烹しまちゃん、居酒屋ひまわり…看板だけが残る飲み屋の残骸。ここがかつて賑わっていたのはどれくらい前の話なのだろう。

一寸一ぱい、お気軽に。かろうじて提灯はそのまま残っている。

京成稲毛うら通り
稲毛浅間神社へ向かう裏道の情報を調べていると、少しではあるが情報を発見した。
どうやら先ほどの飲み屋がある通りは「京成稲毛うら通り」と呼ばれる通りだそうだ。2012年の時点では、下記のイラストのような黒い看板に黄色の文字の飲み屋横丁でよく見かける看板があったようだ。この看板は表の浅間通り、コンビニの脇に設置されていた。


現在は、看板の柱が存在していたかのような痕跡が残っているのみ。
看板をよく見ると、店名とイラストがマッチしているのがわかる。まるます→〇とマス?
手描きのイラストを描いてみたが雰囲気は伝わるだろうか…?奥に進むと、茶色の建物「菜の花」。

現在は閑静な住宅街になっているが、かつては映画館もあったのだとか。こんな閑静な住宅街に映画館だなんて…
これは住宅地図を探すしかない笑
インターネットで調べていても、2012年頃で情報が止まっている。
関係性はあるのかわからないが、丁度同じころ、地域に愛されていた中華料理屋「昇楽」が閉店、取り壊されてしまった。私が訪問した時は、駐車場になっていたため、全く気付かなかったが、グーグルマップにはその店名がまだ残っている。2016年の口コミを見ることができたため、閉店したのはそれ以降なのか。京成稲毛うら通りの看板もそれに合わせて撤去されたと考えられる。こんな住宅街に、一つの歴史があったとは…感慨深いものである。
本当にこの場所に映画館が存在していたのか…もう少し調べてみたい。

追記:稲毛にあった映画館について
稲毛に存在した映画館について、千葉市民ギャラリー・いなげが発行しているフリーペーパー「海気通信」にて興味深い情報が載っていた。海気通信はインターネット上でもPDFで見ることができる。
海気通信5号、2014年10月25日発行の海気通信で、ウワサの真相?!と題して映画館について特集されている。それによると、『ちえいかん』と世慣れる小さな芝居小屋があり、年中、劇や歌唱ショーなどが開かれていたという。小さな芝居小屋というものの、2階席もあったようだ。
昭和31年の住宅地図によると、「千栄館」と書かれた建物を見ることができる。「千栄」は、大衆演劇の役者大原千栄子という女性が率いた一座の芝居小屋だったとか。その後は、「稲毛銀映」(稲毛3-847)という映画館になり、長い間地元に愛されていたようだ。

稲毛銀映は、1978年、1981年の「ぴあ」に書かれた情報によると「ピンク、ロマポ、邦画」と書かれている。(ピンクは「日活以外のポルノ上映館」、ロマポは「日活ロマンポルノ上映館」、邦画は「邦画上映館」)
平成生まれの私にとっては、大人向けの映画館が街中にあったことも驚きだ。稲毛銀映は、かなり濃い場所だったのではないだろうか、稲毛銀映に対する口コミからもその様子を窺える。1985年頃閉館。
千栄館から稲毛銀映へ…どのタイミングで映画館になり、取り壊されたのか。住宅地図を手に入れて詳しく確認したい。当時の写真などは果たして残っていないのだろうか。また、常盤湯という銭湯も近くにあったようで、映画館で楽しんでから、銭湯でゆっくりする…のが日常風景だったのかもしれない。京成稲毛うら通り、その歴史を遡るとこんなにも奥が深いとは…!
稲毛浅間神社
色々と寄り道をしたが、稲毛浅間神社へ。全国に1300あるとも言われている、富士山を信仰とした浅間神社の一つ。

境内はかなり広く、また見所も多いので別の記事でまとめたい。
一つ、注目して欲しいのは鳥居が道路を挟んだ直線状にもう一カ所あること。一の鳥居は海の中に建っていたようだ。これはかつての海岸線の名残。現在は埋め立てられているが、海岸線は稲毛浅間神社の手前まであり、一の鳥居までは桟橋らしきもので渡る姿が絵図に描かれている。
まるで、広島県の厳島神社のような幻想的な風景が広がっていたのだろう。「かつて、神様が魚に乗ってお渡りになった」との言い伝えから、鳥居が海の中に作られたとも言われている。

松の木も海岸だっとことを表す貴重なしるべ。ぜひ、注目して見て欲しい。

療養地・海気館
当時、海水浴は海水や海辺の空気などの「海気」による病気の治療にも良いとされていた。その効果があるとされたいた病気には、脚気・肺病・梅毒・神経諸病・貧血症などがあった。そして、医学博士の浜野野昇が開業した「稲毛海気療養所」では、海水や浜辺の砂を利用した療養施設だったようだ。また、長期滞在を見越した宿泊施設や遊技場があり、それが稲毛を代表する名旅館「海気館」へとなった。現在、その跡地にはきらくホテルがある。が、営業しているのか定かではない雰囲気。かつて高級リゾートにも劣らなかった稲毛の旅館は、その姿を消しつつある。

千葉市ゆかりの家・いなげ
稲毛浅間神社の傍に「千葉市ゆかりの家・いなげ」と表札が出ている、古民家らしきものがある。

実は、ここ、
中国清朝のラストエンペラー、愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)の弟、溥傑(ふけつ)夫妻が新婚生活を過ごした邸宅。千葉市が保存しており、無料で開放されているのだ。
昭和12年頃に新婚生活を送っていたと言われる邸宅では、かつて稲毛が別荘地として栄えた歴史を感じることができる。庭には、レトロ電柱もしっかりと残っているので好きな方はぜひ見て欲しい。

ラストエンペラーの弟・溥傑夫妻が新婚生活を送った別荘「千葉市ゆかりの家」
旧神谷伝兵衛稲毛別荘
こちらも、稲毛浅間神社のついでに訪れて欲しい場所。
浅草の老舗、神谷バーや茨城の牛久シャトーの創設者、神谷伝兵衛が建てた別荘がそのまま保存されている。

日本のワイン王と呼ばれた神谷伝兵衛の、熱い想いが伝わってくる葡萄をあしらった天井飾りや欄間は必見。こちらも入館料は無料だ。千葉市、凄い…こんなに立派な建物を二つも無料開放しているとは…どちらの建物も見所が多いため、別の記事でまとめることにしよう。
「旧神谷伝兵衛稲毛別荘」神谷バー創設者が夢見た稲毛の大正ロマンを感じる別荘とは
稲毛浅間神社の傍にあった海岸線。今ではその存在を知る術も少ない、京成稲毛うら通り、映画館、海気館、療養地だった稲毛の姿。多くの人で賑わっていた街だったのではないだろうか。
その想いに馳せて、次の記事ではさらに深掘りした稲毛散策記事を書くとしよう。
【稲毛散策②】埋め立てられた稲毛海岸を思い出させる軍艦の名残とは
(訪問日:2020年6月)
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