「旧神谷伝兵衛稲毛別荘」神谷バー創設者が夢見た稲毛の大正ロマンを感じる別荘とは

かつて稲毛の海岸線が埋め立てられる前、多くの文豪に愛された療養地が稲毛には広がっていた。その時代に、ラストエンペラーの弟、愛新覚羅溥傑夫妻が新婚生活を過ごした家が「千葉市ゆかりの家」として残っていだけでなく、神谷バー創設者の神谷伝兵衛もまた、ワインにちなんだ大正ロマンを感じる別荘を建てている。
稲毛に訪れたらぜひ立ち寄って欲しい「旧神谷伝兵衛稲毛別荘」を紹介しよう。見学は無料。
神谷伝兵衛について
建物について紹介する前に、神谷伝兵衛についておさらい。
幼少期から、生死をさまようまで
神谷伝兵衛は、安政3年(1856年)に愛知県で生まれ、8歳の時には酒造家になることを夢見ていたという。その背景には、家が貧しく、幼くして働きに出ていたことがある。11歳で商人として独立した後、綿や雑貨の行商などを行っていたが、16歳の時に失敗。全財産を失ってしまう。
明治6年(1873年)からは横浜にあったフランス人の経営する洋酒製造会社で働き始めたが、伝兵衛は原因不明の腹痛で生死をさまようことに。しかし、フランス人の雇い主によって勧められたワインにより、体調を回復させたことから、その滋養を知った。これをきっかけに、伝兵衛は日本人でもなじみやすいワインの製造に挑戦することになった。
伝兵衛のお酒
伝兵衛が初めてつくったお酒は、「蜂印香竄葡萄酒(はちじるしこうざんぶどうしゅ)」と呼ばれる、はちみつや薬草が入った甘くて身体に良い葡萄酒。これは海外でも高い評価を得た。明治18年(1885年)のこと。
明治13年には、東京浅草に避けの一杯売り家「みかはや銘酒店」を開業。後の神谷バーとなるお店だ。また、葡萄酒づくりに着手すべく、茨城を開墾し、明治36年(1903年)に醸造場の神谷シャトーをつくった。

しかし、伝兵衛は再び病に倒れることに…
神谷伝兵衛と稲毛
なぜ、神谷伝兵衛は稲毛に別荘を建てることにしたのでしょう?これは、当時の稲毛の様子から想像することができる。当時の稲毛は、「白砂青松の美しい海岸」と称されるほど、多くの観光客が訪れる海岸。
今は面影もないが、少し残っている松の木が海岸だった名残を伝えている。明治21年に千葉県で初めて海水浴場が設けられた稲毛海岸では、海気による療養が良いと考えられており、療養地として多くの文豪なども訪れていたそうだ。その中で、神谷伝兵衛も、病気の治療と休息のために稲毛に別荘を建てたのだと言われている。大正7年、神谷伝兵衛が62歳の時である。

実はゲストハウス
現在、旧神谷伝兵衛稲毛別荘として残っている建物は、実は隣にあった本館に付属する応接間(ゲストハウス)だったとも言われている。
現在、ギャラリー・いなげが建っている場所に、かつては本館があり、本館から洋館へとわたる石段も存在していたのだとか。イラスト地図↓

洋館の1階の洋間で会食をし、ベランダらしき場所で庭を見ながらワインを楽しむ…そんな優雅なおもてなしをしていたのかもしれない。

ラストエンペラーの妹も住んでいた??
ラストエンペラーの弟、溥傑夫妻が新婚生活を過ごした家は、旧神谷伝兵衛稲毛別荘からも近い場所にあるが、旧神谷伝兵衛稲毛別荘もラストエンペラーの妹が過ごしたと言われている。
ラストエンペラーの妹、愛新覚羅運韞嫻(うんかん)さんと韞馨(うんけい)さん、それぞれの旦那さんと子どもが昭和16~17年頃、本館で過ごしていたようだ。

詳しくは、市民ギャラリー・いなげが発行している「海気通信」で特集されているので見て欲しい。海気通信では、旧神谷伝兵衛稲毛別荘を4回も特集している。それほど、多くの方に愛されている場所だということがわかる。

本館は、生活のためにつくられた和風木造建築で、間取りも残っている。個人的には畳廊下が気になる…
その後、昭和20年~25年になると、洋館にはアメリカ軍の一家が住み始めたとか。一階部分には、メイド部屋2室とキッチンなどが増設されていたらしい。現在の管理室の部分にあった。
神谷伝兵衛がこの洋館で過ごしたのは、4年ほど。その後には様々な人によって利用されていたことがわかる。
旧神谷伝兵衛稲毛別荘を見学!
旧神谷伝兵衛稲毛別荘として残っている建物は、国の登録文化財としてもとても貴重なものである。入館無料ではあるが、マナーを守って楽しく観覧したい。



玄関ホール
旧神谷伝兵衛稲毛別荘へと足を踏み入れると、中央にあるシャンデリアが目にとまる。

シャンデリアの付け根の部分委は、ぶどうが描かれており、神谷伝兵衛らしい趣向を感じることができる。100年近く経った現在でも、変わらず残っているのが素晴らしい。

一階の洋間
洋間には、誰もが憧れる西洋の空間が広がっている。応接間として使われていたようだ。

中でも注目したいのが、左手にある暖炉。細かい部分にまで目を凝らして見て欲しい。

白色大理石をベースにした暖炉は、ビクトリアんスタイルの描きタイルで埋め尽くされている。植物をモチーフにしているようだ。角度によって、輝きが違って見える。こんなに素敵な暖炉は見たことが無い。

花のデザインが可愛らしい。
暖炉だけでもずっと見ていられそうなくらい、釘付けになる。
憧れの階段
一階から二階へは、曲線が美しい階段を上る。

なんと、欅の一枚板からできているものだとか。細かい説明は案内の方が教えてくれるため、理解が深まる。

階段を上った先にもシャンデリア。輝きを放っていて、眩しい…!

一階と違い、二階は全体的に和風なつくりとなっている。でもシャンデリアなどの洋風が混じっていても違和感がない。

主室
主室は書院造り。12畳もある空間は、とても開放的。この場所から、稲毛海岸を眺めることができたのだろうか。

大きな床の間の脇には、二つの書院があり、柱はブドウの木なんだとか。

広々としている二階では、風通しもよく、どこか懐かしい日本の邸宅の美しさを感じる。友だちは、「おばあちゃんの家に来たみたい」と感慨深そうに話していた。
天井
天井にも注目。格天井(ごうてんじょう)が広がっており、圧倒される。囲炉裏にいぶされた竹が、深見を増して趣を感じさせる。
猫間障子
障子の中央に、ガラスがはめ込まれている…見慣れない風景だが、ここにもこだわりが。左右に開く小窓がついていることで、障子を全開にしなくても風景を楽しむことができる。昔の人の知恵だ。憧れの障子…

付け書院
付け書院には、立派な絵が描かれている。これだけでも貴重な文化財ではなかろうか。
欄間には、透かし彫り。良くて見ると、ブドウの透かし彫りになっている。伝兵衛がつくった葡萄酒にもちなんでいるのだとか。外からの光が差し込み、とても幻想的。

他も色々
見所はたくさんある。この丸窓もなんて美しいのだろう。稲毛の景色を見渡せていたのかもしれない。

別荘の外へ…
別荘を出て、脇の道を覗くと、小さな祠のようなものがある。これは、神谷伝兵衛がつくったものらしい。

写真では紹介しきれないが、大正ロマンを感じる旧神谷伝兵衛稲毛別荘。稲毛が開発されても、この場所で変わらず稲毛の歴史を伝えて欲しい。
徒歩圏内で行けるラストエンペラーの弟の邸宅もあるのでぜひ↓
ラストエンペラーの弟・溥傑夫妻が新婚生活を送った別荘「千葉市ゆかりの家」
旧神谷伝兵衛稲毛別荘
営業時間:9時~17時15分
定休日:月曜日
料金:無料
駐車場:9台
ついでに稲毛探索も↓
【稲毛散策①】千葉・稲毛浅間神社周辺「京成稲毛うら通り」映画館もあった賑わい
【稲毛散策②】埋め立てられた稲毛海岸を思い出させる軍艦の名残とは
(訪問日:2020年6月)
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