旭市飯岡|飯岡助五郎関連碑/商店街/和菓子屋「石橋菓子舗」 ―飯岡⑵

旭市飯岡。前回に続き、旧飯岡町を探索。
商店街の街並み、和菓子屋、座頭市物語発祥の地・飯岡助五郎関連碑を訪ねました。
座頭市物語発祥の地・飯岡助五郎関連碑
千葉県旭市飯岡。玉﨑神社から東西に広がる商店街の街並みを歩く。まずは西側に行ってみよう。

早速、交差点の角にある空き地に2つの碑が建っていた。

「座頭市物語発祥の地 千葉県旭市飯岡 2009年12月吉日建立」とある。
他の面には「ふところ手帖 座頭市物語 飯岡助五郎 昭和23年 子母澤寛執筆の宿 三桝家旅館跡」「遊侠奇談 座頭市物語 原話 鹿島屋旅館 東へ50m」「続ふところ手帖 座頭市物語 飯岡助五郎 昭和23年 子母澤寛執筆の宿 水金旅館」。
この空き地が『座頭市物語』を執筆した子母澤寛が宿泊した「三桝家旅館」の跡地とのこと。鹿島屋旅館・水金旅館も気になるがどちらも既に存在しない。
座頭市物語誕生五十周年記念で、「座頭市物語の碑」が「いいおか潮騒ホテル」の近くにもあるらしい。いいおか潮騒ホテルもいつか泊まってみたいと思っているが公共交通機関が遠いんですよね…
小説家・子母澤寛が昭和23年、雑誌「小説と読物」で連載していた「ふところ手帖」の1篇「座頭市物語」が原作。「助五郎の常ばくち場は、飯岡の川端というところにあって」、と描かれた川端町の飯岡小学校付近には昔の風情が残っていると「ニッポン旅マガジン」にあるがどのあたりを指しているのだろうか。
そして同じ敷地内の角に、「飯岡助五郎が玉﨑神社から借りていた土地」という碑も。

「文政5年(1822)漁業商売のため借地」とのこと。
ネットで検索しても他に訪問した人の情報や市によるページが無い…存在感が薄い。
商店街と飯岡津波タワー
九十九里ビーチラインの商店街の通りを西へ歩く。手前には三階建ての旧石井家具センター。立派な建物だった。

和菓子屋「太田本店」は営業中。中央の丸に庄は屋号かな?向かいには旧魚定本店。

がんばろう飯岡。飯岡菓子組合による旗がなびいていた。
並びに「治郎七商店」、「尾上青果店」、婦人洋品「てらむら」、いずれも閉まっている。
向かいにあったタバコ屋も2012年頃までは営業していた。
隣は銚子信用金庫、向かいは飯岡郵便局。
飯岡分署は、「飯岡津波ひなんタワー」となっていた。

飯岡は東日本大震災の際も津波被害が酷く、この場所で1.3mの津波と看板に書いてあった。旭市の海岸沿岸部には避難できるようなビルが少ないため、市民や観光客が避難できるようにと市内に4ヶ所、非難タワーが設置されたとのこと。
向かいには飯岡タクシー。営業中。

飯岡タクシー以降は空き地が多い街並み。津波の影響かな…
角には旧亀田洋品店。2012年頃は営業していた。角には水野蒲鉾店があったようだが空き地に。
ガソリンスタンドがある広い交差点へ。
和菓子屋「石橋菓子舗」
交差点から北へ。こちらも商店があるので途中まで歩いてみた。

「石橋菓子舗」営業中だったので立ち寄ることに。これで飯岡の菓子屋3軒目。意外と多い。

以前は店頭で焼き団子も販売していたようで、道の駅にも卸している。私が訪問した時は、和菓子よりも洋菓子の方が多い印象だった。

買い物ついでに話を伺うと、創業から40年ほどで2代目。東日本大震災の時は、津波が店舗に1m来て浸水、避難していたとのこと。現在まで続けられていることに感謝ですね。
スイートポテト、ロールケーキなどを購入。飯岡のお土産に。
同じ通りには、イシゲ写真、旧ヤマザキショップ、旧時計店など。この辺りまで商店街が派生していた。

角に、「津波到達地点」の碑。

東日本大震災による津波は、市内に4ヶ所設置されている。海岸から離れた住宅街まで津波が押し寄せたこと、後世に伝える役割を担う。
だが、2024年夏に再訪すると、この碑が倒壊していた。車がぶつかったのだろうか…
飯岡助五郎の子が住んでいた旧跡
先ほどのメインストリートに戻る。元農協飯岡支店前のバス停がある辺り。
空き地の角に「飯岡助五郎の子が住んでいた旧跡」の碑。2代目の与助と子孫が終戦直後まで住んでいたらしい。

おそらく戦前の周辺の街並みと、子孫が住んでいた建物が分かる写真が掲載されている。古い町並みは今は面影が無い。
洋品店と薬局は営業中。


既に営業していないが磯村呉服店の建物は歴史を感じる佇まい。
この辺りで引き返して神社へと戻る。海岸沿いを歩いて引き返した。

次は玉﨑神社から東へ。

(訪問日:2023年1月)
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野次馬根性が強すぎて、震災4週間後に蓮沼辺りから九十九里浜を北上して旭市まで津波の跡を見て回ったのですが、旭市以外でも被害の痕跡は確認出来ました。
山武市などは旭市以上に忘れられてますね。
旭市は漁港の近くの海岸の傍に家が在るのに無傷だったり、離れているのに全壊状態だったり、微妙な高さの違いが影響してるのかなと思いました。
玉崎神社の一の鳥居は県道30号線沿いの海岸近くにあり、今では座頭市の住居跡の看板が立つてるそうです。私が見た時は何も無かったのですがね。
明里さんの写真を見ると、後少し歩けば一の鳥居でしたよ。
川端の昔の痕跡は分かりませんが、飯岡助五郎の墓とか笹川繁蔵の首塚などがあるので、それを含めて言ってる事なのかな?