飯岡駅前の近代建築。「東葉縫製」の石蔵&「桂山商事株式会社」の事務所 -飯岡⑵

飯岡駅前の近代建築。「東葉縫製」の石蔵&「桂山商事株式会社」の事務所 -飯岡⑵

飯岡駅前に残る大きな石蔵…そしてレトロな事務所の建物も気になる。知名度は高く無さそうだが、飯岡には近代建築が残っているのではないだろうか…

飯岡駅前「東葉縫製」の石蔵

千葉県旭市後草1936。総武本線「飯岡駅」にて下車し、前回の記事では周辺の商店街をまとめた。

そして、電車を降りてすぐ目に留まったのがホームの傍にある石造りの蔵。

ホームの北側

そして右手には屋号入り?の工場のような建物も見える。

ホームから見える
工場?

ここは、「(株)東葉縫製」の敷地らしい。調べても企業の情報が全然出てこないが地元では有名な企業なのだろうか。

ホームの北側にある広大な敷地には、工場や蔵の奥に住居と思われる建物が並ぶ。

跨線橋より

石蔵…と言っても良いモノなのか、瓦屋根が見えており、周りが石で囲まれているだけなのかもしれない。

跨線橋より

ホーム側に扉がついている蔵のような建物。いつ頃に建てられたものなのだろうか。もしご存知の方がいたら教えてください!

気になる建物!
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飯岡駅前「桂山商事株式会社」

飯岡駅前から西側の一帯を今回は探索しようと思う。

現在の飯岡駅
駅前ロータリーの中心部

駅前にはストライプ模様のテント屋根が残る建物。現在は営業していない。

飯岡駅前

駅前交差点の角にある薬局「渡辺薬房」。薬局じゃなくて薬房ってところが良いな。

渡辺薬房
明るい家族計画だ~

並びにある建物は個人宅とは思えない趣…

しかも、千葉県では中々お目にかかれない鏝絵(こてえ)が…漆喰を用いれ作られるレリーフで、鶴や松らしき縁起が良いモチーフが見える。素晴らしい!

鏝絵?

そしてその近くにあるのが、今回一番気になっている建物!

「桂山商事株式会社 駅前営業所」とある。

桂山商事株式会社 駅前営業所

会や駅が旧字体なのがたまらない…

旧字体!

縦長の窓、スクラッチタイル…ちょっと洋風な造りの看板建築風。いつ頃に建てられたものなのだろうか。

旧字体!

扉も昔から変わっていないであろう木製の扉…現在も事務所として使用されていた。

 

出入口

屋根が妻入りなのとシンプルなデザインであることから、戦後の建物だと思うが、なんともモダンな建物が飯岡駅前に残っているなあ…

戦後?

桂山商事株式会社について検索すると、肥料や農薬を扱っている会社のようだ。詳しくわかったら追記したい。

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小川商社&水神社

まだ時間があったので、さらに西側から線路を超えて北側にある神社へ。

線路沿いの空き地
空き地にある馬頭観音

2012年のストリートビューを見ると線路沿いにも店舗が並んでいたようだが…

ヤマサのホーロー看板付ベンチ

そして線路沿いで見つけたこちらの建物。

線路沿いにて

株式会社小川商店。屋号は山にヨ?ヤマヨ?

小川商店

門柱の隣の鉄製の扉にも屋号入り。可愛い。

屋号入りの扉

主屋と隣には工場らしき大きな建物があるが、今は営業していない様子だった。

斜め向かい側には農協の倉庫。

農協の元倉庫

二つの倉庫がくっついているようなつくりで、「海上町農業協同組合第八号倉庫」とある。

2012年のストリートビューでは、その向かいに石造りの蔵があったが今は見かけなかった気がする。

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そして線路を渡って北側にある水神社へ。

水神社
道端の道祖神

水神社については説明看板が設置されているので有難い。県指定無形民俗文化財の「水神社永代大御神楽」と市指定有形文化財「水神社の鳥居」について。

説明看板

肝心の文化財の鳥居をしっかり撮っていなかったが、鳥居の手前にある幟枠が古いので気になった。お祭りの際に旗を立てるための建造物。

幟枠
明治時代の幟枠!

説明看板によると、水神社は北方約三百mの「古水神」と呼ばれる所から遷座したことが伝えられており、鳥居の柱に刻まれた天和三(1863)年の銘が社殿の建立時期を大よそ示しているという。

社殿

水神社は干害除けの住民の切実な願いが詰まっており、椿の海の干拓工事と遷座が深く関わっていることが分かる地域の歴史を知る上で欠かせない神社だ。

平成30年に水神社の修復事業が行われている。本殿および幣殿・拝殿、並びに神輿が劣化していたため、3年の事業計画によって修復が行われたという。

 

平成30年

看板にはさらに詳しい水神社の設立と旭市後草周辺の歴史がまとめられている。

今から八百年前程前、飯岡の刑部岬から屛風ヶ浦の先、数キロメートルに亘り陸地があり、そこには佐貫城(城主・片岡常春)というお城が建っていました。しかし、激しい海蝕による海岸線が後退し、城下に暮らしていた人々は移住を余儀なくされ、その内の七軒が建久三年(1192)に後草に移り住んだ。(高梨与五兵衛家古文書より)

佐貫城…初めて聞いた。現在も飯岡に広がる商店街は城下町の名残なのだろうか。今度調べてみよう。

境内の碑
社に飾られた写真

飯岡駅周辺の探索はこれにて終わり。

 

 

 

(訪問日:2022年1月)

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