匝瑳市「飯高寺(飯高檀林跡)」重要文化財!学問所跡。飯高神社の彫刻も見事

日本最古の大学として知られる、千葉県匝瑳市飯高の「飯高檀林跡」である飯高寺へ。重要文化財に指定され、慶安4年に再建された当時の姿を現在も見学することができる。
大河ドラマでも度々登場する史跡でもあり、歴史好きの家族と一緒にドライブで立ち寄ることにした。
旧匝瑳市飯高村
千葉県匝瑳市飯高。飯高寺へ向かう道中、県道16号線沿いで飯高の街並みを見かけた。

飯高寺の北西に位置する交差点を中心に。飯高簡易郵便局もあり、この辺りが旧飯高村の中心街だったのかもしれない。


また、集会所のような建物の隣には忠魂碑と昭和従軍記念碑。

車で走っている途中だったのでブレているが…先ほどの石碑はGoogleマップにも特にピンが立っていなかったので記事で記録に残しておこう。


飯高寺(飯高檀林跡)
千葉県匝瑳市飯高1789。飯高寺(飯高檀林跡)へ到着!

無料駐車場で車を停めて歩いて、飯高寺(飯高檀林跡)の敷地内を探索する。

2020年のNHK大河ドラマ「麒麟が来る」だけでなく、「西郷どん」「忍びの国」「とと姉ちゃん」など時代劇ではよくロケ地として使用されているようだ。

匝瑳市観光協会提供の「アカザの杖」もお借りして、探索スタート!

駐車場から北側にある飯高寺を目指して住宅街を抜けていく。
そして緩やかな坂道と林。軽いハイキングコースだ。

土砂災害に関する航空写真だが、現在地から見た飯高寺の山深さが良くわかる写真…
飯高寺総門前の階段に到着。

飯高檀林の歴史
こちらは、日蓮宗における最高で最大の学問機関として位置付けられている。

檀林とは、仏教の学問所のこと。
飯高檀林は全国有数の歴史と規模を誇り、日蓮宗の学問所(現在の大学に相当)として栄えました。天正8年(1580年)から明治7年(1874年)まで294年にわたって、法華宗(日蓮宗)の学問所がおかれた寺です。最盛期には600~800人の学僧が集まり、多くの名僧を輩出しました。
廃檀当時のまま保存され、その中の総門、鼓楼、鐘楼、講堂は国指定の重要文化財となっています。また、境内全体は県指定史跡に指定され、うっそうとした杉林が歴史の重みを感じさせてくれます。(まるごとeちば!)
匝瑳市ホームページによると、総門は、延宝8年(1680年)新造。現在のものは、天明2年(1782年)新造だそうだ。

総門から一気に気が引き締まる風景が広がっている。確かに時代劇で手を加えなくても良いほど昔のままの森。


総門~表参道
こちらは古そうだが飯高檀林跡案内板。

総門が現在地となっているが、南側には食堂跡や西側にも跡地が多数描かれており気になる。明治7年に檀林の制が廃止になり、不要の建物は撤去されたため、現存するのは当時の一部らしい。

また、森は昭和59年に郷土環境保全地域に指定されている。杉がメインで、200~300年生の杉の巨木が多数。

千葉県にこんなに素晴らしい景観が残っていたなんて…!と今まで訪問しなかったことを悔いる。

表参道沿いにも史跡が多数。

こちらは立正大学発祥の地碑。

立正大学は飯高檀林が明治5年に東京の芝日本榎に設けられた宗教院にその使命を譲り、近代教育機関として開学。

そのため、元々の起源ははここ飯高檀林にあるという歴史。
こちらは、題目堂。

四教儀部から集解部に上級するには、「新談義」という試験があった。その試験に合格するように、と祈願した場所。

享保5年(1720年)新造の鼓楼(ころう)。


寛文頃(1661年から1672年)再建の鐘楼。

梵鐘は、寛永16年(1639年)秋寄進。鋳造は、武州江戸神田鍛冶町2丁目鋳物師山田和泉掾吉貞によるものと刻まれている。
表参道を振り返る。清々しい気持ちになる。
講堂
表参道の正面に構える大きな講堂。

間口26.72m、奥行16.23m。千葉県内で一番大きな重要文化財の建物とのこと。迫力がある。

慶安3年(1650)に火災に遭っているため、再建されたものだがそれでも350年以上の歴史がある。

講堂の奥も少し見学してみたが、こちらも県指定史跡の庫裡(くり)。

庫裡は、禅宗寺院における台所のことを意味する。


彫刻が凄い!飯高神社へ
飯高寺から散策へ。
周辺も散策コースとして整備されており、まるごとeちば!では、所要60分のコースがおススメとして紹介されている。
▶おすすめ散策コース
飯高寺→天神の森→黄門桜→池田堤→妙福寺→飯高神社→よりみギャラリーを回る4.5km、所要60分のコースです!
▶御朱印が頂けます。
・週末のみ
・御朱印授与場所は飯高檀林跡南駐車場内の観光案内所にて
今回は近くにある飯高神社を参拝して駐車場に戻ることに…と。思っていたよりも険しい山道が途中にあって驚いた。


本当に神社に続いているのだろうか…
心配になるほど自然豊かな道を進むと、飯高神社の裏手から境内に入った。

こちらが目的地の飯高(いいだか)神社。本殿は県指定有形文化財!
とにかく凄い装飾の美なので一見の価値あり。

千葉県教育委員会のホームページより引用。
飯高神社本殿は、三間社流造(さんげんしゃながれづくり)で外面の全体に彫刻が取り付けられている。周囲には銅板葺の屋根をもつ目かくしの板塀を巡らし、前面には拝殿を配している。
本殿の軒をささえる組物は、二手先で、軒は二軒の繁垂木(しげだるき)、身舎(もや)は四方縁で、向拝(ごはい)の階下には浜床(はまゆか)が設けられている。
昭和62年(1987)の修理の際、屋根に使われていた銅板に宝暦8年(1758)の墨書が発見されており、建築様式などを総合しても18世紀後半に建てられたものと考えられる。
この建物の大きな特徴は、壁面、組物と組物の間の小壁、扉、脇障子に中国の説話にもとづく二十四孝等の彫刻が施してあるほか、木鼻(きばな)、手挟(たばさみ)に至るまで本殿全体が彫物で装飾されていることである。これらは、下総地方の神社彫刻を研究する上で18世紀後半の指標となる重要な例とされている。
順番を間違えてしまったが本殿から拝殿、鳥居と見学することに。まずは本殿の周りを囲む瑞垣(玉垣)。昭和38年に匝瑳市指定有形文化財に指定されている。

神社本殿を取り囲むように垣をめぐらしたものを「瑞垣(みずがき)」あるいは「玉垣(たまがき)」と呼んでいる。本神社の特徴でもある装飾の強い神社にふさわしく、瑞垣にも彫刻が施され極彩色で仕上げられている。彫刻の内容は「二十四孝」の彫刻であり、県内で同種のものは、成田山新勝寺以外に今のところ知られていない。
二十四孝とは、中国の孝行者二十四人を著した教訓書であり、日本では江戸時代に訳本も多く刊行されていたようである。
建築年代は、江戸時代中期以降と考えられている。
成田山新勝寺とここの飯高神社のみ。飯高檀林に訪れなければ知らなかった~…!良い巡り合わせに感謝!
そして瑞垣には一つ一つの彫刻に対して説明書きも設置されていた。絵と説明文が詳しくて分かりやすい。

極彩色は落ちてしまっているが、彫刻は健在。かつての鮮やかな姿も見てみたい。
また、瑞垣の門も装飾で施されており立派。


門は片方のみ開いていて、本殿も間近で見ることが出来るようになっている。有難い。

本殿を間近で見学できるのも嬉しいが、何より石畳や燈篭、苔の具合も調整したかのように美しい錆び具合。

飯高神社本殿、貴重な文化財でありながら柵などで囲われておらず、そのままの姿を間近で見学が出来るようだ… 豪華絢爛な彫刻に圧倒されて言葉が出ない。


本殿も少し色彩が残っているものの、風化によって色褪せてしまってはいる。それでも美しい。
360度、本殿の彫刻は見ていて飽きない。特に社寺建築について詳しいわけではないが、詳しい説明などを抜きにして直感で感じ取れる建築美だなと思った。
カメラのシャッターを切る手が止まらない。この本殿だけで何枚撮っただろう?このまま記事に載せずに消去するのは勿体ないので、しばしお付き合いください。
そしてようやく拝殿へ。

江戸時代後期頃のものと考えられている拝殿。

本殿同様、こちらも装飾傾向の強い点が特徴だそう。


そして石畳の参道も渋い。
拝殿はいくつか柱によって支えられている状態。少し心配になる。
また、参道沿いも木々に覆われており、視覚的にも体感的にも気持ちの良い参道だった。

また、石階段も地震などの影響を受けてなのか、整合性が取れていない。ガタガタ。
お足元は悪いのでお気を付け下さい~


飯高神社の麓には妙福寺。

また、寺からも参道が伸び山門へ。
ふる里自然散策道案内図。今回は、天神の森と黄門桜が未訪問。

飯高神社を後にし、駐車場へ向かう。
今回は、飯高寺~飯高神社を探索。もちろん有名な飯高檀林跡を見ることが出来たことも感激だったが、飯高神社の彫刻は嬉しい悲鳴を上げるものだった。ぜひ社寺建築がお好きな方はじっくり堪能してみてください~

(訪問日:2022年3月)
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