「旧京成電鉄社員倶楽部」京成市川真間駅と京成の深い歴史 -市川真間⑽

京成市川真間駅前の洋館。京成線からも見えるため、一度は気になったことがある人もいるかもしれない。
実は戦前の建築で、京成電鉄の歴史が詰まった建物である。
本多貞次郎君寿像
京成真間駅北側、旧京成電鉄社員倶楽部の建物の隣、医師会館の手前にある石碑。実はこれも見逃せない!

本多貞次郎君寿像が建てられたのは大正11年(1922年)。
京成電気鉄道株式会社の初代社長であった本多貞次郎(ていじろう)の寿像(存命中に造った肖像彫刻)が建っていたが、戦時中の金属回収により無くなった。現在はその台座を利用して再建されている。
会社を盛り立て地域の発展に尽くしたことから、有志によって建てられたものらしい。
当時の地図を見ると周辺には本多貞次郎君寿像の周辺は整備され、その東側に広大な本多邸がある。市川真間駅は現在とても静かな駅であるが、京成電鉄にとっても重要な駅であったことがわかって感慨深い。
さらに周辺には「京成電気学校」「京成倶楽部」「京成軌道電燈課」「東華園事務所」「東華幼稚園」など京成電気鉄道株式会社関連の施設が集まっていた。
旧京成電鉄社員倶楽部(伊藤邸)
「旧京成電鉄社員倶楽部」は当時の様子がわかる貴重な建築物。京成真間駅北側、本多邸の西側に変わらない位置で残っていた。

昭和4年(1929年)に建てられた木造2階建ての建物。京成電鉄社員倶楽部として建てられたが、竣工まもなくして現在の京葉ガスの本社屋として使用された。
その後、1945年からは個人宅(伊藤邸)となったというのが定説である。

昭和36年の住宅地図では「真間卓球クラブ 伊藤」となっている。
外壁は塗り替えられているが状態はとても良い。

縦長の窓。


玄関には持ち送りも。

耳をすませば、卓球の音が響いている。現在も卓球クラブとして1階が使われているのかもしれない。

設計者がわかっていないらしいが、波乱万丈な人生を送ってきた建物、もう少し経緯などがわかるといいな。


菊花園(東華園)
市川真間駅の北側に大正4年(1915年)から昭和10年(1935年)ころまであった庭園「菊花園」。本多貞次郎の邸宅の敷地を利用。大正8年(1919年)に京成の直営となり「東華園(とうかえん)」に改称。
『理想的郊外生活京成の美観』(大正5年、三朋社)にて東華園の紹介があったので引用する。
東華園は市川新田電車停留所の前、天然の勝地に人口の美を配した一大楽園であつて、園内には四季折々の花絶えず、小丘より流れ落つる瀑布は、夏は見た計りでも暑さ忘れると云うつた風で、春は桃、秋は菊、冬は湯瀧と、四季清遊の場所たらしめる寸法である、軽便な食堂も出来、安値に用を足すことができることになつてゐるのである。
東京方面からも多くの人が訪れ、遊園地のような賑わいだったそうだ。京成直営の遊園地は他にも習志野市の谷津遊園があった。
京成市川真間駅
最後はおまけ。京成真間駅の可愛い展示を紹介したい。

改札口、券売機の跡を利用した市川真間アートウォールが独特だった。他の駅ではあまり見られない展示で、アットホームな雰囲気が良いな~

市川真間駅周辺、洋館もあり花街としての歴史もとても深い。掘れば掘るほど興味深い話がでてくる。まだまだ探索が足りない。
(訪問日:2020年9月)
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