「市川大門通り会」ジャズの街、市川市内の最も古い商店街の記録 -真間⑴

「市川大門通り」は国道14号線から真間山弘法寺へと続く参道でもある道。昔はジャズのお店が多い通りとしても有名だったらしいが、果たして現在の参道は?
どこか懐かしい昭和の面影が残る商店街。毎年お花見の季節になると訪れたくなる場所だ。
市川大門通り
千葉県市川市、JR総武線市川駅から探索スタート。国道14号線に出ると、市川公民館(旧市川警察署)とコンビニエンスストアの間に「大門通り会」のアーチが見える。ここが大門通り会のスタート地点。

看板も目印。ジャズの街と呼ばれていた市川市、なぜそのように呼ばれていたのか詳しいことは引き続き調査中。現在は時代の波に飲まれてジャズのお店も少なくなったようである。
追記:地元の方からの情報
市川がジャズの街といわれるのは、かつて
残念ながら閉店したが、けっこう有名なお店だったよ

コンビニエンスストアの脇には、真間弘法寺の石柱もある。弘法寺までは1㎞ほどで、歴史を感じる通り。大正中期から栄えた商店街は、市川市内で最も古い商店街なのだとか。

また、大門通りは「万葉の道」とも呼ばれており、「文学の散歩道」として手作り地図も用意されている。地図を片手に散歩するのも楽しそう。
今回紹介する大門通り商店会だけでなく、真間大門会、真間本通り会、手児奈橋通り会といった4つの商店街がある。商店街の活性化に取り組んでいるようで、ホームページにインタビューなども載っている。4つの商店街も徐々に紹介していこうと思う。
それではさっそく、大門通り会の探索へ!

味のリボー亭
まず見えてきたのは「アキモト商店」。家庭用品などを扱っていた商店だが、現在はシャッターが閉まっている?

駅に向かう人通りはとても多いが、商店街として活気があふれているかというと微妙な感じ。

「味のリボー亭」のフォントも素晴らしいが、この佇まいに惹かれる。レストラン?入り口が3か所あって、さらに2階もあるように見える。

2009年時点で閉業しており、その2年ほど前に火災を起こし閉店したらしい。となると、13年ほど前に閉店したものの建物がそのまま放置されていることになる。学生が集まる場所というより、主婦のたまり場みたいなお店だったらしいが…

真ん中の白い壁にメニュー表があり、コーヒーやしゃぶしゃぶなどのメニューが描かれていたらしい。
もし現在も営業していたら入りたいお店だな~
味のリボー亭の隣のお店は、「VIN PLATS Feria」というレストランで、向かいにある酒屋さんが始めたワインバーらしい。

銅板の看板建築
木造の八百屋がある~!と思いテンションが上がる。

その先にあるのは、緑色が美しい銅板の看板建築!大門通りにこんなにしっかりとした看板建築があると思っていなかったので驚き。


2階部分の手摺のデザインもおしゃれ。


現在は1階で夏秋武蔵屋酒舗(ワインバーフェリア、市川ワインスクール)が営業中。

古い建物をそのまま残して、向かいのお店でワインバーも営んでいるらしく、とても素敵だ。
舗装されていない横道。商店街から路地に入ると、

大きな民家がけっこうあり、歴史を感じる。

寿司 和か奈
松の木と相性抜群なお寿司屋。和か奈は検索しても最新の情報が無い。営業していないのかな。

黒いタイルに赤い模様がついた独特なタイルに覆われている壁。錆びている部分も多く、建物も古そうだ。

古い商店
市川大門通りは市川市内で最も古い商店街というだけあり、老舗のお店も多いが古いお店は営業していないところも多い。新しい民家やマンションに建て替わっている建物も見受けられる。

市川創業の山崎製パンが影響しているおんか、コンビニエンスストアもデイリーヤマザキが多い。

古いお店に交じって、新しい流行のお店も混じっていた。新しいお店はあまり写真に撮っていないが、新旧が融合する商店街。

居酒屋やラーメン屋など4店舗が密集している建物。しかし、この向かい側は大きな駐車場となっており、昭和の建物が浮いている。

骨組みだけが残っているお店。

窓には古い大門通り会の地図が貼ってあった。

商店街から見える蔵
商店街の東側の路地に見えた蔵。気になったので近寄ってみた。

比較的綺麗な外観の2階建ての蔵。整備されているのだろうか。昔の地図を調べたが、かなり敷地面積の大きな個人宅のようだ。

以前、東千葉駅前の蔵でも見かけたマークがついている。これはどういった意味があるのだろうか。

大門通り会の建物
昭和36年の地図を見比べても、昔から残っているお店は少ない。しかし、小料理屋やお寿司屋などのお店が多いのは、市川に三業地が発達していたからだろうか。

市川の花街についてはこれからの記事で書こうと思う。
木造2階建ての小さな建物がちょこんと残っている。自動販売機が設置され、現在は営業していないようだ。

昭和36年の住宅地図を見ると「鮮魚不動屋」とある。お魚屋さん?周辺の寿司屋に卸していたのかな。それ以上の情報は掴めず…そのあとは豆腐屋になったのかも。

向かい側にも「魚万」といった魚屋らしきお店が見えるので、魚屋が需要があったのかもしれない。現在の市川大門通り会では見当たらないが…
水谷商店
角の建物、「御進物にたばこ」という時代遅れなコピーが残る商店がとても好きな外観だった。

昭和36年の地図にも載っている「水谷商店」。

昔ながらの商店は、現在もとても綺麗な白い外観を保っている。

遠くから見ると、看板建築のような西洋風な外観。当時としてはちょっと目立っていたのでは?

大門通り会の銀色の街灯と、マッチしている雰囲気。

コインランドリー、銭湯「若松湯」
水谷商店の交差点を西側にちょっと進むと、コインランドリーの建物が見えた。コインランドリーがあると、銭湯との関係性を疑いたくなる。

しかし、現在はコインランドリーのみ営業している雰囲気。昔は銭湯だったのでは?と思い調べたら案の定「若松湯」という銭湯だった。
2002年のインタビュー記事が載っている。千葉商科大学の方が開設したみたいだが、当時の商店街の様子を知ることができる貴重なサイトだ。
創業は昭和23年。この戦闘以外にも数多くの銭湯があり、真間総学校近くの「ふもと湯」、京成本町バス停近くの「日の出湯」、京成の線路のあたりに「大正湯」、「第二大正湯」がったらしい。2002年時点で残っていたのはふもと湯、大正湯、若松湯。そして現在はどの銭湯も残っていない。
インタビュー記事の中で印象的な田中さんの言葉があった。
商店街のイメージ
昔の商店街はお店がつながっていた。
たとえば酒屋さんがあって、肉屋さんがあって、魚屋さんがあって、八百屋さんがあるというように生活必需のお店がつながっていた。それがずうっとつながっているのが商店街だった。
しかし今は、点になってしまった。
まとまりがなくなり、バラバラになって、つながりがなくなってしまった。
もともと大門通りは、うなぎの寝床のようで、しかも国道から真間山まで相当な距離がある。それが点になってしまった。万遍なくそろう必要があるのにまとまりができない。
2002年、現在から18年も前の話。今は若松湯も閉業してしまった。
もじゃハウスになっている建物
大門通り会踏切近く
現在の表記では

肉の山崎
肉の山崎は外観はとても新しくなっているが、2002年のインタビュー記事が残っているとても歴史のある肉屋。

昭和25年創業。以前の看板には「山崎支店」と書かれているが、本店からのれん分けをし、市川で肉屋を開業したらしい。学生が学校帰りに購入するため、色々と工夫した商品を置いているそうだ。
その向かい側にある古そうな木造家屋。

地図を見ると個人宅。

市川大門通りは国道14号線から京成の踏切まで。千葉県市川市真間商店街連合の「商店小史」が残されており、とても良いなと思った。やはり記録に残すことは大事。
(訪問日:2020年9月)
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