市川三業地⑵市川の花街の歴史(後編) -市川真間⑿

市川三業地⑵市川の花街の歴史(後編) -市川真間⑿

「東京に接する軍隊と旦那と美女の町」。かつて市川市には軍隊が置かれ、周辺には料亭、割烹が多く賑わっていた。現在は閉業して、跡形もない場所も多いが、その遺構を探して京成市川真間駅周辺を探索している。

前回は京成市川真間駅北側を中心に紹介。→

市川に存在した三業組合について。市川の花街の歴史を紐解く(前編) -市川真間⑾

今回は駅南側周辺の料亭などを中心に探索する。

割烹・大松

カルチャーサロン大松

昭和3年、松井天山が描いた「市川町鳥瞰」を見ると京成真間駅南口に黒松に囲まれた「割烹大松(だいまつ)」がある。現在もカルチャーサロンの建物として利用されていると「古今東西舎」さんの記事に書いてあったので見に行くことに。

カルチャーサロン大松

パーキング大松として駐車場になったようだが、片隅に建物の一部が…

あれ?何もない!!

2018年の記事では建物があるのに、最近取り壊されてしまったのだろうか…ショック…

パーキング大松

建物があった場所には、建物の跡地のような痕跡が残っている。建物見てみたかったなあ…

痕跡のみ残る…

なぜカルチャーサロンが無くなってしまったのか、経緯もわからず。

まちなび」にて市川真間駅前貸教室カルチャーサロン大松の在りし日の情報が残っていた。(このホームページもいつまで残っているかわからないが…)

貸教室の例としては、

ペン習字、そろばん、生け花、ギター、麻雀(3台有)、囲碁(4台有)、カラオケ、生け花、長唄、詩吟、俳句、談話など

様々用途に使えて、格安で借りることができるらしい。そして松花堂館の1階、2階と大松館1階、2階に分かれており、炊事場などもあったようだ。

最近まで営業していたお店の様子はどんな感じだったのだろう。

 

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大松(料理店松花堂)

「料亭大松」、「食事処松花堂」として営業していたが2015年3月をもって閉店。

創業は昭和2年。90年近く営業してきた老舗割烹料亭であった。大松の貴重な様子はこちらの記事に載っていた。

食事処松花堂は駐車場を出て正面あたりにあったらしい。

駐車場出入口

料亭大松は庭もとても素晴らしく、庭を囲むようにぐるっと外廊下が続いてたらしい。昭和4年建造の建物がつい最近まで残っていたんだなあ…

そして2009年10月からフジテレビで放送されていた「不毛地帯」というドラマのロケでも使用されたことがあるらしい。また、2007年のTBSテレビのドラマ「歌姫」でも使用されるなど、ロケ地に選ばれることも多かったようだ。

入り口跡

大松の跡地はそのまま駐車場になり、塀と坂だけが当時の様子を物語っている。言われなければ立派な料亭があったことなんてわからないだろう。

坂だけ

塀にはかつての階段の跡が生々しく見える。こんなにも風景が変わってしまうのだな…大松の写真が少ないことが残念である。

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鏡石、石碑

京成真間駅南側にある「鏡石」。

鏡石について

一見、何も関係が無さそうな鏡石、実はとても興味深い歴史が…

この石は、もと弘法寺から国分寺に向かう道筋の橋の袂にあったものです。天保7年(1836)に出版された江戸名所図会には「鏡石」として石橋の際の水中にあり。この石根地中に入る事その際をしらず。故に要石とも号く(なずく)といへりと証明しています。
この石が要石だとしたら動かすことはできないはずです。ところが江戸名所図会にある鏡石の付近に、夫婦石が祀られていたという言い伝えがありました。夫婦石というのは、男女の性器に似た石を並べ、その年の豊穣を祈祷したものでわが国では古くから行われていた風習なのです。
もし、この石が夫婦石の片割れであったとしたら、女性を象徴したものになります。石の凹んだ面に水を溜めれば、水鏡となって顔を映すことができます。「鏡石」の名はここから起こったもので、夫婦石は動かしてはならぬところから、「要石」とも呼ばれたものと思われます。

説明を読んでから再び鏡石を見ると、不思議なパワーを感じるような。夫婦石、しかも女性器を表したものがあるというのも市川の花街の歴史を映しているような気がする。

鏡石

市川真間駅周辺では他にも石碑を見つけた。

石碑

こちらはマックスバリュー近くの千葉街道にて。

石碑

人通りも多いこの道によく折れずに残っているなあ…と大感心。

残っているのが凄い

暗くて見えづらいが、石碑の側面に道しるべが書いてある。

青面金剛と道標

少し新しめの京成市川真間駅周辺の地図。カルチャーサロン大松が載っている。

京成市川真間駅地図

千葉街道で見つけたラーメンの看板…営業はしているのか不明。味があるなあ。

ラーメンのみ残る

千葉街道、かつては成田山新勝寺に向かう成田街道であった道。古い建物などは少ないが、「なぞのお店」と書かれたおもちゃ屋らしきお店が気になる…

なぞのお店
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シゼンヨーチエン

千葉街道から黒松が生い茂る方面にカタカナで書かれた「シゼンヨーチエン」の文字が目につく。普通の幼稚園では無さそうな…

シゼンヨーチエン

シゼンヨーチエンのホームページに詳しい歴史が載っている。

同支社大学で神学・哲学を収めた創設者石田締は、しばらくの間、現在の市川三本松教会で牧師をしていましたが、「人の”心の教育”は大人になってからでは遅い。用事の頃から始めなければならない」と悟り、昭和6年市川市の人口が6万人あまりだった頃、愛育の母神の地蔵尊が高く建ちも守る静かな松林の中、しかも掘れば掘るほど綺麗な砂の出る地蔵尊の地に幼稚園を設立しました。

昭和6年は1931年。現在90年近くの歴史がある幼稚園だ。

昭和3年に描かれた松井天山の鳥瞰図では地蔵山地蔵尊の南側に「日曜学校」がある。その跡地にシゼンヨーチエンができたのだろう。

歴史のある幼稚園

 

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料亭栃木家

千葉街道を歩いていると見つけた「料亭栃木家」。

栃木家駐車場

昼食のポスター。うな膳などが書いてある。

お昼食始めました

栃木家も昭和3年の松井天山の鳥瞰図に載っている老舗料亭。

栃木家入り口

創業は明治17年(1884)!約130年以上の老舗料亭。計算するのが大変なくらい…

政界・財界・文化人・海外の要人など各界の著名人を迎え続け千葉県屈指の料亭

ぐるなびページにて紹介されている。千葉街道の喧騒が嘘のような静かな雰囲気…

千葉県屈指の料亭栃木家

四季折々の表情を楽しめる日本庭園も有名。かつての市川の歴史を知ることができる貴重な場所である。

レトロ電柱も発見!

そして、日本庭園の中にレトロ電柱があるのに気が付いた。でも外からではあまり見えず…

おみやげも

栃木家の通用口。

通用口

千葉街道から真間駅前通り会へ。創立は昭和21年。当初は通りに街灯を設置する活動をしており、「電灯会」と呼ばれていたのだとか。え、興味深い…

真間駅前通り会

料亭栃木家や白藤なども加盟している。

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料亭・白藤

広大な駐車場と黒松が見える。写真だと暗いが、奥の松の木の傍の古い建物も料亭白藤の建物。

駐車場

料亭白藤は、商店街の通りに面している。

料亭白藤

この日は扉が閉まっていた。噂によると、既に閉店しているとのこと。

建物は昭和4年の建築らしい。石碑には「関西料理」と書いてある。

白藤入り口

よく見ると、入り口の石畳に魚などの絵柄が描いてある。美しいなあ…

石畳みのイラスト

黒壁や松の木が老舗料亭の雰囲気を残している。

黒壁

昭和43年(1968)の住宅地図を見ると、料亭白藤の北側に「旅館ユタカ」と旅館があるのが見える。が、現在はマンションに…と思ったら2015年10月末まで「ビジネスホテルユタカ」として営業していたようだ。現在は新しいマンションに。

また、昭和30年代まで白藤の隣に上野本牧亭(ほんもくてい)が経営する「鈴本亭」という寄席も存在したようだ。上野本牧亭は2011年に閉場した日本唯一の講談専門の寄席。「鈴本演芸場」として本郷、本所、市川、大塚などに構えていたという。

白藤の建物もいつまで残っているかわからない。閉業してしまっているのは残念である。

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京成市川真間駅周辺

京成市川真間駅周辺もかつては駅南側にびっしりとお店が並んでいた。

古い地図

京成本線の踏切の角、現在の「水野デンタルクリニック」がある場所には「パチンコ中央ホール」や「西武デパート」があったことが昭和43年(1968)の住宅地図からわかる。西武デパートが真間にあったなんて驚き…

ナショナルの自動販売機

京成市川真間駅から南、現在はひっそりとした住宅街になっているこの道にも様々な商店があった。特にバーなど大人の路地といった雰囲気で、「割烹双葉」「松桃園」「旅館浮世荘」などもあった。

駅前は高層マンションや一軒家が並び、かつての賑わいは少なくなっている。

住宅街

菊屋邦楽器店

駅から東側、踏切の向こう側に古そうなお店を発見。

踏切にて

「菊屋邦楽器店」とある。昭和43年(1968)の住宅地図にも載っているが、かつては角に「安藤麻雀クラブ」があったみたいなので店舗が拡大したみたい。

菊屋邦楽器店

現在営業しているのは不明の和楽器専門店。芸妓さんが通ったのかな…

和楽器の看板
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京成真間駅南側の料亭

『市川町鳥瞰図』(昭和3年)

・御料理大松
・割烹松花亭
・割烹旅館松桃園
・割烹旅館長水
・割烹新松閣
・玉の家
・四季の園一直園
・割烹旅館福の家
・松雲閣
・花の家
・割烹菜の花

・蒸風呂梅田温泉

昭和36年、43年の住宅地図より

・割烹大松
・料亭白藤
・松桃園
・料亭大倉
・料亭黒松
・料亭栃木家
・割烹双葉

・旅館浮世荘
・旅館芳本

気になる料亭や旅館の名前を列挙してみた。いずれも昔の情報は少ない。写真など残っていたら見てみたいものだ。

 

(訪問日:2020年9月)

 

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