「那珂湊反射炉跡」幕末の歴史的建造物! -茨城⑷

「那珂湊反射炉跡」幕末の歴史的建造物! -茨城⑷

「那珂湊反射炉跡」は茨城県指定史跡にも指定されている幕末の歴史的建造物。といっても、現在残っているのは復元されたものであるが、小高い丘の上にある反射炉跡はぜひ立ち寄って欲しいスポットである。

那珂湊反射炉跡へ!

那珂湊反射炉跡は、ひたちなか海浜鉄道湊線「那珂湊駅」から徒歩約15分、高速道路だと北関東自動車道「ひたちなかIC」から約10分。「あづまが丘公園内」にある。

ちなみに私は那珂湊おさかな市場の駐車場に車を停め、徒歩約20分ほど歩いた。住宅街の中に、大きな山門が見える。那珂湊反射炉跡の入り口だ。

山上門

「山上門」と呼ばれる門。実はこちら、現在東京都文京区にある水戸藩の小石川邸の正面右側にあったもんを昭和11年(1936年)に移築したもの。幕末には西郷隆盛など歴史上の人物も出入りしたのだとか。
そんなに貴重な門が残っているとは嬉しい!

案内図

門を抜けると、公園になっており反射炉跡は左手の丘の上。石段が続いている。

公園

煉瓦焼成窯

石段を上ると、煉瓦焼成窯(しょうせいかま)の復元模型がある。

煉瓦焼成窯看板

反射炉を建設するために必要となった煉瓦の製造をこの煉瓦焼成窯で行っていたという。製造された煉瓦は約4万枚。約1,200~1,600度の高熱にも耐えられる煉瓦の製造に成功した。

普段煉瓦を見ることはあっても、実際に製造されていた窯を見るのは初めて。復元だもこのような形で残っているのは貴重である。

煉瓦焼成窯復元

那珂湊反射炉跡

那珂湊反射炉跡は、「吾妻台」という小高い丘の上に建っている。高さ約15m、約4万枚の耐火煉瓦を使用して安政2年(1855年)に1号炉、同4ンrンに2号炉が完成した。

 

那珂湊反射炉跡

反射炉というのは、そもそも炉の内部のドーム型の天井を利用して、天井部分に炎の熱を反射させることで、高温の熱で金属を溶かす炉。

幕末、日本に押し寄せた外国船に危機感を持った水戸藩第9代藩主徳川斉昭によって築造された。この反射炉を利用して鉄製の大宝を作ることが狙いだったらしい。

15mは圧巻!

しかし、元治元年(1864年)の元治甲子の乱の際に破壊されてしまった。その後、昭和12年に現在の模型が復元され、当時の耐火煉瓦が一部利用されているらしい。

稼働イメージ図と説明
裏側

反射炉の正面に建っている大きな石碑。詳しくは読めなかったが、尊王攘夷など、水戸藩に関係のありそうなことが書かれていた。

石碑

幕末の歴史を感じよう!

公園の中央には大きな木が。江戸時代から残っているものではないかと思うくらい、歴史を感じる。

大きな木

水戸藩藩主も眺めたであろうひたちなかの景色。

眺めが良い!

県指定史跡に指定されている那珂湊反射炉跡、あまり有名なスポットではないが歴史を感じることができる場所だった。

 

(訪問日:2020年8月)