「富士見通り」木更津のメインストリートの現在。アーケード屋根が切ない -木更津⑶

木更津のメインストリートだった「富士見通り」は欠かせない商店街だ。
かつては繁華街の中心だった商店街は、今やアーケード屋根が切なく残るのみ…木更津の繁栄の歴史を物語っているかのような街並みが広がっている。
当時の木更津を知らない私でも、かなりの衝撃を受けた商店街だ。

木更津・富士見通りの歴史
千葉県木更津市中央1丁目。JR内房線「木更津駅」西口から木更津港を結ぶ、全長約700mの商店街。両サイドの歩道にはアーケード屋根が続いている。

アーケード屋根が完成したのは昭和62年(1987)。翌年には駅西口前に大手百貨店「木更津そごう」が開業した。歩行者の量は現在の7倍にあたる約7万人だったそうだ。
しかし、バブル経済が崩壊し、東京湾アクアラインが開通すると、中心市街地は空洞化が問題となった。平成10年(2000)には木更津そごうが撤退。
人通りが少なく、空き店舗が目立っているだけでなく、アーケード屋根の老朽化が問題とされている。

レトロなアーケード屋根の解体前の様子
西口から見える一直線のアーケード屋根。富士見通り買物公園、ショッピングパークという文字に似つかないくらい、錆びている。

長年の潮風で錆がこんなについてしまったのか…建物も解体されているところが多く、アーケード屋根だけが空に浮いているように見える。

個人的には、渋いアーケード屋根は好きだなと思うが、老朽化があまりにも激しい。近隣からは苦情の声もあるという。

そして、2021年度から解体作業に着手することが決まったようだ。撤去と無電柱化工事を始め、23年度に終える予定。

商店街再生を目指しているという。

私が訪れたのは2021年の2月。解体作業が若干始まっていた。

バブル時代の象徴。最後の見納めを心残りなくすることができて良かった。

夜も富士見通りを通ってみたが、街灯があまりついていなくて暗かった。

駅前は閑散としている。

レトロなパチンコの看板
富士見通りで見つけた元パチンコ屋と思われるレトロな外観。

「アポロ」という店名らしい。パステルカラーの色使いがとても素敵だ。矢印は隣の「与三郎通り」を指している。

2013年のストリートビューを見ても変わらず。閉店してからどれくらい経つのかな。

昭和34年の住宅地図を見ると、「明治屋旅館」と書いてある。元々は旅館だったのか…

富士見通りの現在の様子
解体されるのを待っているかのような静かな屋根。

昭和60年の住宅地図では、「サカモトそごうデパート」が富士見通り沿いにあり、向かい側には「十字屋デパート」、他にも映画館などが数軒あったという。
映画館は、本町通りの西側。日活は、昭和34年の地図では「ヱビス館」、その後「ムービーランド」と名を変えている。現在は駐車場だ。

過去の住宅地図を見ていると、こんなにお店があったのか!と驚愕してしまう。それほどに現在はお店が少なすぎる。賑わっていた頃の様子を知っている人がみたら、どんな気持ちなのだろう。

「木更津おみやげセンター」は商店街の一角にある。観光客向けなのだと思う。

木更津に住む人々はどこで買い物をするのだろうと不思議に思ってしまう。駅前にはスーパーはない。バスに乗っている人が多かったので、イオンモールまで通うのだろうか。

港の方面で見かけたシャッターイラストが可愛い。

王様のサイズを計っているのかな…隣のピンク色の自動販売機は木更津の町おこしの一環だと思われる。

老舗割烹料理屋「宝家」
商店街の西に位置する高級料理屋「宝家」。

ホームページに創業明治30年と書いてある。老舗だ。
昭和34年の住宅地図では「宝家旅館」の大きな敷地が広がっていたことから、旅館から割烹へ変化したことがわかる。
宝家の隣は「南片町大通り」で、かつては東映の映画館、銭湯、飲み屋街などが並んでいた通り。宝家以外にも多くの旅館や割烹が並んでいたのだろう。
富士見ショッピングパーク
富士見通りのアーケード屋根が無い西側。

タクシーの文字がかなり古そう。

富士見ショッピングパークの大きなモニュメント。

ショッピングパーク…
かつての繁華街は面影も無く消え去ってしまった。
追記:1990年
1990年の様子が、「おじゃまします街かどクイズ」に紹介されていた。
「見る街・買う街・遊ぶ街」をキャッチフレーズにした買物公園だそうだ。
当時の賑わいを知ることができて嬉しい。
(訪問日:2021年2月)
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突然のコメントにて失礼します。
木更津の旧市街地の紹介記事からブログを拝読させていただきました。
明里さんの観察眼にはただただ感服するばかりです。
私も調査で木更津村の旧家の屋号調査などを行ったので、
興味深く見させていただきました。
かつて江戸との舟運を担った廻船問屋の跡も駐車場になってしまっているので、
歴史の記録を残すのは時間の問題とただ思うばかりです。
以外にも木更津で調査をしてみると江戸時代以来の屋号など残っているものです。
こうした情報も消えゆくことなのかもしれません。
今後ともご活躍を期待しています。
コメントありがとうございます!こちらこそ、記事を読んでくださって嬉しいです。屋号調査、興味深いです。木更津もまだまだ調べたりないので、また改めて調査に行きたいです。これからもぜひよろしくお願いいたします。