本納駅周辺の商店街、近代建築めぐり。駅舎・伊勢屋・法楽食堂 -本納⑴
茂原市本納、外房線「本納駅」で下車。ここは地元の方にぜひ歩いて欲しいとおススメされた街でした。
南北の旧道沿いに残る近代建築、特に「伊勢屋」の建物が素晴らしすぎて感動しました…!
外房線「本納駅」と歴史
千葉県茂原市本納、外房線「本納駅」。明治30年開業、木造駅舎は他とは少し違った特徴がある。お気づきでしょうか?
入り口の柱、建物の基礎部分が煉瓦積みとなっているのが珍しい。千葉県に残る木造駅舎で、同様のものを見たことが無い。
本納(ほんのう)の歴史について、角川書店『角川日本地名大辞典』より引用させて頂きます。なかなか興味深いです!
まずは地名の由来から。
地名の由来は、日本武尊が統治に弟橘媛の遺物を埋めて陵を築いたことにちなむとされ、陵形が船に似ていることから御船形・帆丘と称され、転じて本納になったと伝わる(長生郡郷土誌)
本納城跡が残っているように、戦国時代にもその地名が見られ、城下町として周辺は栄えたのだろうか。
慶長11年(1606)には、1・6の日に六齊市が開催され、内房からの塩や農具類・日用雑貨を道端に並べたという。(店舗の発達などにより明治後期~大正初期に衰退)。
江戸時代中期の儒学者として知られる、荻生徂徠(おぎゅうそらい)は14歳~25歳の間、本納で過ごしており、「荻生徂徠勉学の地」「荻生徂徠母の墓」なども保存されている。今回は時間が無かったのでまた別の機会に行きたい。
また、神社は延喜式内社の橘神社のほか14社と多い。
第2次世界大戦中には、野菜の乾燥工場が操業。醤油・マッチ工場もあったがのちに廃業。下駄作りや「本納凧」と称する凧作りも盛んであった。
本納には醤油工場も存在したのですね!凧作りに関しては、子どもの初節句を祝う伝統的な凧として、本納凧揚げ大会なども開催されることがあるようだ。
1度の探索では堪能しきれないほどの歴史がある本納、まず今回は旧道沿い南側の探索へ。
本納駅前通り&本納町道路元標
本納駅で降りて、街道へと向かうため、駅前通りを歩いて行く。
ちょうど帰宅中の高校生の姿が多く、なかなか駅前を撮影することができなかったが、昔はヤマザキショップも営業していたのだろう。
2012年のストリートビューを見ると、ヤマザキショップの隣に高橋商店と倉庫のような建物が並んでいるが、現在は改装されている。
また、駅前通りに残る門柱と広い敷地が気になる。
下の写真、左は居酒屋と愛敬靴店。
交差点の角にあった「東洋交通」と思われる建物は更地になっていた。「タクシーのりば」といった文字が横に見える。
ストリートビュー(2012年)
さらに進むと、元酒屋と思われる木造建築。右上の窓ガラスが美しい~!
そして、私はまたしても後悔しかないのですが、駅前通りの正面に、本納町道路元標が残っているのです!
電柱の影になっているのと、板で覆われているので気づかなかった…!ここまで頑丈なガードは初めて見ました。大事にされているのですね。
伊南房州通往還沿いの本納
駅前通りを抜け、伊南房州通往還へ。ここが本納のメインストリートです!右側に新しくローソンができているが、ここにも昔は古い建造物が並んでいた。
2012年のストリートビューに写っている。
木製の看板には「松月堂本店 電話本納三一三番」とある。
調べると、食べログにも「松月堂本店(しょうげつどうほんてん)」の情報があった。また、 「茂原市本納の昔ながらの和菓子屋さん」と紹介されている。
平成22年12月末日に閉店したそうだ。建物もそうだが、和菓子も購入してみたかったな…
街道沿いには商店街があり、電気店、自転車店があった面影が見られる。こちらは、小学館の学習雑誌の看板がある高野書店。
そして、またしても素晴らしい建物が!「池田屋薬局」である。
私が行った時は閉まっていたが、閉店してしまっているのだろうか?街道沿い、所々空き地があって寂しい。
左手は「柳屋呉服店」。現在は閉まっている。
「伊勢屋商店」近代建築の美
そして、こちらが今回一番美しいと感じた近代建築。本納のキングオブ近代建築って名付けたい。
正面がこちら!なんて端正な佇まいなのでしょう。完璧!
正面中央に、「伊勢屋 電話三四番」
右側にはガラス看板で「食料品」
食料品と雑貨を扱う商店だったと思われるが、建築当時はかなりシャレた外観だったのではないだろうか。伊勢屋の文字の上に何かの痕跡が見られるが、照明などが釣り下がっていたのかな?
地元の方も気づいたら閉まっていた、とコメントされていたので閉店したのはずいぶん昔のことかもしれない。隣には昔ながらのラーメン屋さんもあったとか…覚えている方いますか?
向かいは、呉服寝具用品を扱う「おおさかや」。2012年は営業していた。
さらに並びには茶葉販売店「大黒園」。この辺りだけで一通り買い物ができる商店街が存在したのだろう。
薬局隣の「法楽食堂」
そして街道をさらに南へ。ちょうどカーブに沿って大きな建物が残っていた。
正面から見ると、なんだこれ?!と思うほど広角な建物!倉庫…?
隣には重厚な屋根の建物。元茅葺屋根かな?
その先にある「山本薬局」は営業中。
山本薬局も老舗の薬局なのかな~と思い、ここで街道を引き返すことにした。
これで終わりと思っていたが、2012年のストリートビューを見ていたら…
薬局の隣に腰を抜かすほどの建物が…!!
なにこれ!竜宮城?!
全体的に朱色、緑色の青銅の屋根。脇の出入口は唐破風の屋根が立派すぎる。普通のお店じゃない気がする…
料亭?旅館?色々と妄想してしまいそうになるが、1階軒下の看板には「法楽食堂」とある。調べても情報無。地元の方、誰かご存知ではないでしょうか。気になります。
(訪問日:2021年9月)
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