JR外房線本納駅|レトロ建築と荻生徂徠勉学の地を巡る -本納⑶

JR外房線本納駅|レトロ建築と荻生徂徠勉学の地を巡る -本納⑶

茂原市本納。まず木造駅舎が残っている点もポイントが高いが、少しを足を伸ばせば古い建物や史跡があり、街歩きが楽しい街です。

 

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本納駅・本納町道路元標

千葉県茂原市本納、JR外房線「本納駅」

今回の一連のフリー切符旅、最後の下車は本納駅。

本納駅

ご覧の通り、木造駅舎が現役。煉瓦積みの基礎部分が珍しく、以前も降り立ったことがある。↓

本納駅周辺の商店街、近代建築めぐり。駅舎・伊勢屋・法楽食堂 -本納⑴

本納駅周辺の商店街、近代建築めぐり。駅舎・伊勢屋・法楽食堂 -本納⑴

夕陽に照らされる姿にうっとり。

学生の姿がちらほらと。さらに駅北側に足を伸ばすと上総国二宮の橘樹神社がある。今回は西側へ足を伸ばしてみよう。

以前の記事で記載した通り、かつては城下町、商業地区として発展。現在も古い商店建築がいくつか残っている。

駅前通り

駅前通りの古い門柱が残る一帯が気になる。かなり広い敷地なので元工場か何かだろうか。

気になる一角

どなたかご存知の方がいたら教えてください。

表札も無く

駅前通りから県道226号へ。駅前通りの正面に以前見逃した道路元標が建っている。

電柱の脇、板で丁寧に覆われている本納町道路元標。これはなかなか気づきにくい。

本納町道路元標
正面より
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レトロな旧理容室・医院など

次は、県道からローソンの脇を西へ進む。本納城跡に近い通りで城下町として栄えた辺りかな。

早速、レトロな旧理容室の建物が見えてきた。

旧理容室

ピンクと水色のタイル、円柱、奥にも大きなタイルが置かれている。

欄間の緑色の色ガラスが綺麗。ピンクと水色のタイルを見ると年代的には新しく見えるが、改築しているのかな。

色ガラスも
両総土地改良区本納出張所

両総土地改良区本納出張所の隣にある建物がまたまた古い。

そして表札も一部残っている。やはり旧医院!

こちらも下見板張りにトタン屋根で覆われており、入り口のシュロの木がまた良いですね~

旧医院の雰囲気好きですね

木屋医院として『日本医籍録 第26版(昭和33年)東日本版』で調べると昭和23年の開業とのことなので戦後の建物なのかな。

醫院
隣にもお屋敷

歴史がありそうな一角で気になります。

さらに西へ進んでも住宅なのでここで引き返す。

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荻生徂徠勉学の地

裏道に「荻生徂徠勉学の地」があるそうなので、住宅街の中へ。

ゴミステーションと半鐘。こういう小さな街角は実際に歩かないと見つけられない風景。

民家と民家の間、看板の通りに進むと目的地へ。

ふるさと史跡めぐり 看板

跡地が公園の様に整備された一角。

荻生徂徠勉学の地は千葉県指定史跡、説明看板も設置されていた。

荻生徂徠勉学の地について

荻生徂徠勉学の地(おぎゅうそらいべんがくのち)

荻生徂徠は寛文6年(1666)館林藩主時代の徳川綱吉に仕える医師方庵の二男として、江戸二番町に生まれた。延宝7年(1679)徂徠14歳の時、父方庵は綱吉の怒りにふれ江戸を追放され、家族とともに母の実家のあるこの地に移り住んだ。

徂徠は、ここで林羅山「大学解」などの漢籍を学び、後に広く群書に通じた大儒者となる基礎を築き、元禄3年(1690)父方庵が赦免されたのを機に、徂徠は25歳で江戸に父と共に戻った。

本納での若き日の徂徠は、孤独な生活ぶりをうかがわせる文章も残しており、逆境にあって勉学にいそしみ、乏しい書籍を精読したといわれる。しかし、このような生活の中での勉学により、彼の人間形成上、重要な意味を持っていたことを自ら著書「政談」の中で語っている。また、多感な青年期に独学により漢籍などの読みこなしを成し遂げたからこそ、外部の影響を受けずに徂徠独自の思想を生む基礎を形成できたとも考えられる。

江戸に戻った徂徠は、柳沢吉保に仕え、しばしば5代将軍徳川綱吉にも講義するなど幕府からも信頼されるまでになった。その後、江戸に塾を開き学問にうちこみ、古文辞学と呼ばれる学風を確立し、当時の思想に大きな影響を与えた。

千葉県教育委員会より)

昭和33年に建てられた碑

史跡記念碑と、奥には住居の遺構が分かるような土台?が一部残っています。江戸からこの本納町へ引っ越し、どんな思いで過ごしたのか、この遺構を見ながら昔の本納町に思いを馳せました。

九十九里、新治村と見える道標。

途中で見つけた道標
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裏道より旧町役場跡へ

駅へ戻る前に、先ほど歩いた表通りの北側の裏通りを歩いて暗くなるまで歩きました。

蓮福寺の山門。春になると参道沿いに桜が見事らしくて地元では有名らしい。旧本納保育園の跡地も隣に。

蓮福寺

今回は時間が無く断念したが、境内には本納城址もある。

旧本納保育園?

旧本納保育園なのかプールの遺構も裏道沿いに残っていた。また、今は無き店舗も多く載っている住宅地図の看板も残っていたのは有難い。

 

煉瓦積みの井戸も!

商店跡
元茅葺だろうか

県道沿いに出る。本納小学校は校舎裏が土砂災害警戒区域に指定されたため、令和3年に本納中学校に移転したとのこと。「茂原市学校再編だより」より。

旧本納小学校の石畳の坂が歴史を感じる。

旧本納小学校

そしてさらに北。最後の目的地。

赤目川土地改良区と看板が掲げられた一角。古い門柱と井戸が残っているが、かつてはここが本納町役場だった。

現在は石畳も一部残っている。本納町に関する戦前の資料を見ていた時に、この場所で撮影された旧町役場の写真が載っていたことから判明。

他の人にとってはどうでも良さそうな情報ですが、私はこうした小さな遺構を探すのが好きです。

暗くなり帰宅

 

 

(訪問日:2022年11月)

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