成田線「東我孫子駅」周辺の商店街と旧水戸街道の一里塚跡
JR成田線「東我孫子駅」に到着。のどかな駅舎と周辺の商店街、探索していると風情ある一里塚が現存していました!
成田線「東我孫子駅」と商店街
千葉県我孫子市下ケ戸。JR成田線「東我孫子駅」に到着。
昭和25年(1950)開業、当初は列車交換だけの信号場として開設されたようで、現在もその名残なのか?簡易的な駅舎となっている。我孫子駅の隣の駅とは思えない長閑な駅…
1971年頃までは、2番線の中間部に駅舎と出入口があったようで、その名残でタクシー営業所や薬局、酒屋などがホーム中央南側に存在する。
駅名の看板は、我孫子ゴルフ倶楽部の最寄り駅であることからゴルフをモチーフにした看板。
踏切を渡って駅南口へ。南側には市営団地が建っている。
商店街の様子が分かる商工案内図が大きく設置されていて有難い。駅南側から西にかけての通りに店舗が並んでいるようだ。
街灯は「東我孫子商店会」。黄色と緑のレトロな街灯が現存~
ヘアーサロンすずらんの前にある街灯は、3つぶら下がっている!ここから商店街の入り口かな?左手に行くとかつての駅舎出入口(今回は知らなかったので未訪問)。
2012年のストリートビューでは、街灯の上に「東我孫子商店会」と大きく看板があったようだ。
看板が撤去されたということは商店街の活動も減っているのだろうか。
さらに進むと、青果店「清沢」の看板が見えた。現在は閉店?
手前角はちょうど解体工事中だったが、「肉のサワダ」が存在した。青果店と精肉店、鮮魚店もどこかにあったのだろう。
さらに南西へ。焼き肉店の隣はかつては米屋、
国道365号、大通りに出る突き当たりに商店街の終わりを示す三連街灯。
商店街がある裏道は、旧水戸街道であり現在はひっそりとしている。
国道との分岐の角にある建物は、Googleマップ上には「京北第二ショッピングセンター」とある。昔は賑わっていたのだろうか。
旧水戸街道の一里塚跡
そして、商店街の真ん中あたりに一里塚跡がある。先ほどの青果店の向かい側。
現在も小山と杉、一里塚跡の碑が建っている。以前は、周辺に多くの杉が植えられていたようだが、現在は碑の背後にのみ残る。
調べると名称を「東我孫子一里塚」と紹介されている(千葉県の交通・産業遺跡)。
東我孫子一里塚は,旧成田街道の1番目の塚である(41 湖北一里塚と関連あり)。
旧成田街道は,我孫子を起終点とし,下ヶ戸(東我孫子:成田線東我孫子駅南約200m)・中峠(湖北:湖北農協前)・布佐(現在石碑のみ:消防出張所脇)・中田切・須藤堀・紅葉内の各一里塚(高野山道,通称:佐竹街道)を通っていた1)。
調査により,盛土の構造は図のようになっており,数本の榎木が植えられている。また,塚の周辺に多くの杉が植えられ,保存状態もかなり良い。
写真からもわかるように千葉県が1934(昭和9)年に石碑を建立している。
石碑には,
“一里塚遺跡 一里ハ慶長九年徳川家康ノ築設
ニ係ルモノニシテ江戸日本橋ヲ起点トシ全国ノ
主要ナル道路ノ両側ニ一里毎ニ塚ヲ築キテ榎樹
ヲ以テ里程ヲ明ラカナラシムルト共ニ行路往還
ノ旅情ヲ慰メタルモノナリ 昭和九年千葉県”と記載されている。付近の住民に話を聞くと,以前,塚は二基あったとのことであるが,現在は一基しか存在していない。
本一里塚は旧成田街道の一里塚として,存在価値が十分にあると考える。
(小山 茂)
我孫子を起終点とした旧成田街道の1番目の塚として、多くの旅人の目安となったことだろう。我孫子側からの成田街道歩きもいつかしてみたいな。
塚の上の大きな木と背後の松の木。
時代の変化に伴って開発されてもおかしくはないと思うが現存していることが奇跡的だ。
以前、成田街道を歩いたことがあるが、松は車社会に追われて姿を消しているものが少なくない。こうして昔の状態のままの一里塚跡を見るのは初めてだったので感無量だった。
(訪問日:2022年2月)
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