東向島駅から玉の井「いろは通り」を散歩。赤線当時から残る老舗と、まだまだ現役の商店街!-墨田⑴

赤線地帯として多くの人を引き付ける「玉の井」。玉の井の最寄り駅は「東向島駅」として現在は浸透している。東向島駅も、元々は「玉ノ井駅」だったが、1987年に改名。大人が夜な夜な通う街から、東武博物館や、向島百花園など観光名所も整備され、家族連れで賑わう駅になった。
今回は、東向島駅から赤線「玉の井」に関係のありそうな、駅からいろは通りを中心とした地域を散歩する。病院建築から不思議なアパートまで、かつての赤線時代を生きてきた建物たちはその姿を悟られまいと静かに眠っていた。
病院建築
東向島駅を降りて、「いろは通り」へと向かう途中で最も印象的だった建物がこれ。墨田区東向島5丁目。

松戸で見かけた「根本眼科」を彷彿とさせるような佇まい。病院建築ってちょっと独特なデザイン。一目で惹きつけられてしまう力がある。現在は鬱蒼と茂った木々に囲まれ、ひっそりとしているが…

隣にある2階建ての建物には、おしゃれなデザインの木枠も見られた。同じデザインのものを、後に玉の井のカフェー建築で発見することになる。

昭和18年の玉ノ井の住宅地図には「田仲医院(耳鼻科)」と記載されている。なるほど、耳鼻科医院の廃墟なのかと思っていたら、最近までは「城東獣医科」として営業していたらしい。耳鼻科から獣医科へ。2010年まで営業していたのは確認できた。
地図を見ると、いろは通りの南側、戦災で焼けてしまった一帯は病院関係が多い。が、昭和28年には減少していることから、田仲医院は焼け残ったのかもしれない。田仲医院の裏手には、木野内邸(玉の井御殿)も記載されている。玉の井御殿は戦前の資産家の屋敷のことである。玉の井ではちょっとした有名。玉の井御殿の塀も現在は取り壊され、新しいアパートに。
この近くでは、現在の東武鉄道と直角に交わるように「京成白鬚線」が走っていたらしい。線路用の土手があり、住宅街が広がる現在とは大きく違った景色だったのだろう。

東向島粋いき通り(博物館通り)
先に印象的だった病院建築から紹介したが、それだけでも玉の井の歴史が詰まっているような気がした。

東向島駅から、病院建築がある東武線沿いの道を「東向島粋いき通り」と呼んでいる。通りもかなり渋い建物が並んでいた。
駅から徒歩2分の立地にある「蓬莱軒」。
ランチが500円ほどで楽しめるようで、昭和から値上げしていないのかな?次来たら入りたい。

「玉屋」と主張が激しい建物は、昭和28年の住宅地図では「玉屋洋品」と書いてある。洋品店。住宅地図を見ると、かなり多数存在するのは赤線と関係がありそうな?現在はシャッターが閉まったままのようだ。

T・U・C東向島大正通り店。
T・U・Cってなんだ?!と初めて見たとき思ったが、大人の景品交換所。下町でよく見かける…

花街関係の調査を始めてから、質屋の広告を見かけると反応が早くなった。


一本裏道に入ると飲み屋や飲食店がちらほら。

東向島駅前商店会
東向島駅を降りてすぐの「東向島駅前商店会」。駅前のマクドナルドには外まで並ぶ行列。現代の象徴のようだ。

人通りはまあまあという感じ。

すぐ手前にある看板建築のような建物。「くだものいけざわ」はマクドナルドの2階からその建築を間近で見ることができる。

大正ロマンを感じさせる現代の下町のぱん屋「富夢富夢」。メニューもとても美味しそうだった。

住宅街の中へ
商店街の途中にある中華料理屋「菜館子よし美」の脇道を進んでみたら、一角にアパート「ヤマト荘」があった。

しっかりと染みた「ヤマト荘」の文字。

その正面には、町工場だろうか?特徴的な建物が並んでいる。住宅地図では空白。

石のゴミ箱から伸びる木の大きさが、この建物の経年を教えてくれる。

アパートの建物が多いが、特に気になった建物。敷地としては周りと比べても2倍以上はある。

住宅地図を見ても、空白になっているため、どんな建物だったのかはわからない。

気になったのは正面の入り口。欄間や柱が木製なのだが…趣向を凝らしているのがわかるだろうか?

今となっては名もなき建物だが、当時はかなりシャレたアパートだったのではないか。詳細を追い続けたい。

アパートの前の道を通って奥へ進むと、行き止まりだが飲み屋が数軒ある。やはり多くの人で賑わっていたのだろう。

いろは通り商店街
「いろは通り商店街」は玉の井のメインストリート。もともとは「大正通り」。
いろは通りの北側が、赤線地帯「玉の井」として知られるようになったのは、昭和20年3月の東京大空襲の後。それ以前は、いろは通りの一本裏にある現在の平和通り、一帯に銘酒屋が存在した。
関東大震災によって浅草から移転してきた人が始めたのだが、空襲で全勝してしまった。奇跡的に残ったいろは通りの北側に新たに指定地を作ることになったのである。規模も小さくなり、鳩の街と比べて少し地味だったともいわれているのは戦災の影響が大きい。



東武線の高架下の壁にはいかにも古そうな広告。寝具の漢字が旧字体ということから、戦後のものだろうか?地図ではどこに店舗があったのかを確認できなかった…ベビーショップ、かわいらしいうさぎのイラストが張り付いている。

様々な商店が並ぶ
レストラン「三好弥」と喫茶&たばこ「ROPE」。なんだか入ってみたくなる店名。

角にあるカレー屋はかなり良い匂いが漂ってきて誘惑する。
信号機の裏、小さな黒い看板に書かれた「スナックマブパイ」。この建物はスナックが密集しているようだ。

緑と白を基調とした外観は八百屋「片野商店」。昔ながらの八百屋という感じ。

八百屋の隣の建物は介護施設に。玉の井にも確実に高齢化が迫ってきている。
と思ったら、昼間から元気な歌声が聞こえてきたり。


墨田3丁目交番。ここから奥に入ると赤線地帯の遺構が残っているらしい。それはまた次の記事で。

梅林堂
ちょっと小腹が空いたので和菓子屋「梅林堂」へ。

昭和28年の住宅地図にも載っているため、かなりの老舗。赤線で働いていた女給の方も買っていたかなあ?

手軽に食べれるずんだ餅を購入。

玉ノ井カフェ
寺島・玉ノ井まちおこし委員会が運営するコミュニティカフェ。玉ノ井にちなんだイベントなども開催されており、この日も貸し切りだた。

よく見たら「衣類商」の鑑札。この類の鑑札は初めて見た。

興華楼
お昼は商店街の真ん中あたりにある中華料理屋「興華楼」。清潔感のある下町の中華料理屋。

手書きのメニューは把握できないほど、豊富…

結局、一番シンプルなラーメンを注文した。正解の味。とても気に入ったので、また詳しく記事にしたいと思う。

一本裏道へ
中華料理屋の横に素敵な路地があった。いろは通りから一本裏道へと寄り道。

自分でもどこを歩いていたのかわからなくなってしまったので、前後していることもあるかもしれない。この空き地は最近壊されたようで、ガランと広大な敷地が空いていた。

よく見ると、レンガの破片が多く残っていた。植木鉢なのか、建物に使われていたのか。

昭和レトロなパン屋
裏道から見たいろは通りの「ベーカリーナトリ」は外観が昭和レトロ。

再びいろは通り
再びいろは通りへ。休日ではあったが、人通りは多いほうなのではないか。まだまだ全滅した商店街には含まれまい。
昭和28年の住宅地図にも記載されている「大越肉店」。地図には「大越肉屋」とある。赤線時代から残っている商店街のお店は案外少ない。


子供服店が多い
不思議なのが、子供服店が多いこと。高齢化しているはずの商店街に、何軒も子供服やは必要だろうか?それにしても時代に逆らって残っているのはすごい。
昭和28年の住宅地図を見ると、商店街には数多くのパチンコ屋があるが、現在は一軒もない。今もし残っていたらレトロ好きにはたまらないパチンコ屋になっていそうだ。

玩具スドウ
鮮やかな洋風の建物は「玩具スドウ」。

昭和28年の住宅地図には「玩具店」とだけある。玉の井を訪れる人の注目の的になる建物は、タイルやスペイン瓦がとても綺麗に残っていて素晴らしい。
カフェー建築が少なくなっている中で、タイルを見られる場所はとても珍しく、異彩を放っている。覆われていたため、取り壊しかと心配になったが、改装工事とのこと。隣が空き地になっているため、今後の様子が気になる。


マミー
玩具店の向かい側にある真っ赤な3階建ての建物は子供服店。

2階から3階にかけての窓の装飾がステンドグラス風で、見ているだけでわくわくする色使い。

酒喜屋本店
酒喜屋本店の建物は立派な看板建築だろう。遠くから見つけたとき、思わず叫んでしまった。酒の文字の隣には小さく文字がついているのが気になった。

オリコの塩のホーロー看板も。今となっては飾り。

隣の電柱に付随している謎の2本の鉄柱が気になった。上部が欠けているみたいだけど、街灯だったのかしら?

店舗の横には、壁に埋まった沢の鶴の自動販売機。「ご行楽のおともに…」というキャッチコピーが時代を感じる。

村上酒店
村上酒店もSNSでよく見かけるのだが、それはレトロ電柱が傍にあるから。といっても、最近かなりサイズが小さくなったみたいで…
【レトロ電柱】赤線が眠る街・玉ノ井の小さくなったレトロ電柱2本
村上酒店でも同じく塩はセットのようで、小売店のホーロー看板があった。


鐘ヶ淵通りへ
いろは通り商店街は、けっこう現役で営業されているお店も多く、まだまだ活気あふれる街という様子。
太田電機のシャッターイラストは、スマートフォンに慣れている子供たちが見たら違和感があるかもしれない?

玉の井いろは通りを突き進むと、鐘ヶ淵通りに突き当たる。前回書いた記事の場所まで到着。

玉の井は赤線探訪としても見所が多いが、商店街、付近の通りにも昭和の名残を感じるお店が多く残っている。正直、玉の井は範囲が広かったため、1日では周り切ることができなかった。それくらい、いまだに入り組んだ迷路のような道が玉ノ井には残っていて、訪れる人を惑わす。
玉の井については書きたいことがたくさなるため、次は少し足を延ばした商店街、鐘ヶ淵通りを書こうと思う。
(訪問日:2020年7月)
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