「凌雲荘」東船橋の別荘地。「西の海神、東の花輪」現在は公園に ー東船橋⑴

なぜ今回、東船橋駅に降り立ったのかというと、以前船橋駅近くにあった国の登録有形文化財である「玉川旅館」が取り壊しになった際に、「西の海神、東の花輪」と東船橋周辺が別荘地であったことを示す新聞を発見した。
太宰治ゆかりの船橋「玉川旅館」いよいよ取り壊し。登録有形文化財玉川旅館、最後の記録
玉川旅館は跡形もなく無くなってしまったが、東船橋の別荘跡地は公園になっているのだとか。残っているのであればぜひ見てみたい!と思い、念願の東船橋探索に出かけたのだ。
東船橋の凌雲荘と別荘地
現在の東船橋からは想像もできないが、「西の海神、東の花輪」と呼ばれるほど賑わっていた東船橋周辺。
凌雲荘と庭園
その中の代表的な建物でもある「凌雲荘(りょううんそう)」は、明治40年頃にまで遡る。「山崎別荘」としても知られている。

説明看板と陳情を基に記述する。
元々この場所には明治40年頃に凸版印刷株式会社創始者の伊藤貴志の「伊藤別荘」が建てられており、その後、両国で大規模に洋紙卸業を営んでいた山崎梅之助が昭和10年(1935年)に別荘地として取得したもの。
その息子である山崎鉦三(しょうぞう)とともに昭和11年から12年にかけて迎賓館的な使用を前提に木造3階建ての「凌雲荘」(通料「山崎別荘」)を建築した。建物は昭和初期を代表する名建築であり、解体前のお別れ会の際には京都の宮大工も絶賛するほどであったとある。
戦前には閑院宮(かんいんのみや)邸としても使用され、戦後には「観光荘」として料理屋になったこともある。閑院宮家が昭和20年から21年にかけてお住まいになっていた際は、警備が厳重で近寄りがたい雰囲気だったらしい。
さらに調べていると、戦時中には予科練に入隊し出征する若者の送別会が行われていたこと、習志野騎兵隊に所属していた将校が、ここで休息をとったという記録もあるようだ。
山崎別荘のその後…
そしてこの地域では、昭和初期に区画整理が行われ「花輪台」として名付けられ、別荘地として宅地分譲が行われた。その後、平成7年に住宅地に残る数少ない緑地の保全を目的にこの場所を10億円で購入。敷地内にあった2棟の建物(凌雲荘と山崎家居宅)は山崎家から寄贈された。
しかし、老朽化や構造上の問題があり平成12年に解体。平成26年に当時の凌雲荘の領域を復元し、日本庭園風の緑地として整備されて現在に至る。
船橋は今年の5月にも登録有形文化財である玉川旅館を取り壊し、文化財と呼べる建物が皆無になってしまった。まさか、平成12年にも同じように素敵な建物が無くなってたとは…船橋市は残そうという気持ちが無いのか、文化財に回す財政が無いのか、とても残念である。
建物の写真などが調べてもあまりないのだが、市が保有しているのだろうか…さらに調べたい。
追記:展覧会にて
「山崎荘あと船橋市営公園」。2015年頃に習志野市で行われた展示会で見つけた写真があった。

(旧谷津遊園の山側。現建立船橋高校南。昭和初期この製紙会社社長別荘に西と坂東妻三郎らが生活していた。西はここから習志野騎兵連隊に、坂東は谷津の自分の撮影所に通っていた。)
西というのは、西竹一中尉。1932年のロサンゼルスオリンピックの馬術競技日本人唯一のメダリストとしても知られ「バロン西」と呼ばれる。
坂東妻三郎は、歌舞伎・映画俳優。谷津遊園に撮影所があったことが知られている。
「谷津遊園」大正14年に開設された遊園地。かつての谷津遊園の昭和の資料と現在を辿る -谷津
有名な2人が、この別荘に住んでいたとはびっくり!それぞれ違う道を辿っていることを考えるとなんだか感慨深い気持ちに。写真を見ると、門がちょっとボロボロ?看板も無いし、いつ頃の写真なのだろう?書いていないのでわからないが、貴重な写真かもしれない。
ちなみに、バロン西は、住居を転々としていたみたい。
「住みたい習志野」さんの記事に紹介されている。
http://www.senior-daigaku.jp/pdf.file/humoa.funabashi/funabashi.2019.10.pdf
彼が船橋で居住していた所は、①昭和元年、陸軍騎兵学校へ入学した時には習志野の三山家に寄宿。②昭和2年、馬術の訓練に明け暮れていた時には山崎別荘に居住。③昭和8年、騎兵学校教官時代には本町2丁目に邸宅を構え、そこに愛馬ウラヌス号の馬屋も建て、同馬で習志野へ通ったのだ、と述べておられます。
昭和2年、馬術の訓練に明け暮れていた頃に山崎別荘にいたのかな?とても興味深い。
東船橋駅周辺
JR東船橋駅。この駅は快速が止まらない。そのため、地元の方か、この駅が最寄りの学校である千葉県立船橋高校の生徒が利用していることが多いのだろうと思われる。
東船橋駅から千葉県立船橋高等学校のある南へと進む。分岐の近くに、古そうな商店の建物を発見した。

グーグルマップではイシガミ綜合食品と記載されているが現在営業している雰囲気は無い。店の前に置いてあるキリンビールの自動販売機を見ても、かなり年月が経っていることが予想される。

こうしたビールの自動販売機が残っている場所もかなり少ないのでしっかりと撮影しておかねば。
千葉県立船橋高等学校の傍の道を南下し、ひたすらに住宅街を歩く。東船橋6丁目の一角に大きな公園があるのだが、そこが目的の場所。
東船橋1号緑地
東船橋1号緑地に到着。住宅街の中の貴重な緑だ。

早速公園の中へ。真夏ということもあり、虫が多いため、長居はできず。

公園というよりも、森というイメージ。川や池も小さいがある。

奥には竹林も。かつての別荘地の名残だろうか。


東船橋花輪緑地
石畳の階段を登ると東船橋花輪緑地。

ところどころに感じる、ただならぬ気配。かつての面影である石積みが残っているのは嬉しい。玉石を敷いた回遊路、東側斜面には岩石を何段にも組んだ滝や池もつくられた日本庭園だったという。

凌雲荘跡地
現在の凌雲荘は、その形をなぞるように公園になっている。

かつての灯篭の痕跡?

よくわからないが、石の置物がある。右手には茶室などもあったようだ。

そしてこちらが凌雲荘跡地。

小川が流れていたのか、小さい橋も架かっている。新しく整備され、かつてのものは残っていない。

凌雲荘跡地には入り口が2か所あるのだが、かつてもそうだったのだろうか。


凌雲荘に登ってみると原っぱになっていた。

その奥には竹林があった。かつては渡り廊下から伊藤別荘残存部へと行く道があったらしい。


旧門
旧門から公園を後にする。旧門への道も石畳であり、当時のままの雰囲気を楽しむことができる。


旧門の入り口で見かけた石碑。道しるべと書いてある。

その側面には山崎かい道とある。一体いつの石碑なのか気になる。

旧門も整備され、新しいものに。

旧門から西へ行くと、ごつごつした岩が見えてきた。

岩の間には小さな隠し扉が。もしかしたら地下の道かも?

そして坂を登ると花輪緑地の入り口に到着。開園が17時までなので注意。

追記:毎日新聞の記事より
2023年6月7日。毎日新聞の記事にて、次の記事が発表されていた。
歴史ある「山崎別荘」 復元のはずが…解体後20年以上放置のわけ
この記事の影響で私の記事も検索数が伸びていてびっくり。そして2000年に解体されてから復元計画が実施されないまま高瀬下水処理場の地下に保管されている問題を可視化した良い記事…流石小林さん!
茂呂浅間神社
せっかくなので凌雲荘の周辺も少し探索。近くにある茂呂浅間神社は、創建千年以上前という東船橋の歴史の証人。表参道は思わず息をのむ美しさ。こんな素敵な場所があったなんて…

入り口には国威宣揚と書かれた石碑。同じような石碑を船橋駅周辺の神社で見かけたことがある。同年代のものだろうか。
【船橋散策②】船橋駅南側に広がる、旧船橋宿のディープな飲み屋街

延喜式内茂呂神社と書かれた社号標。

かつては「江戸名所図会」にも描かれるほどの景勝地で、富士山や房総半島なども眺めることができたのだとか。
千葉県内には同じく茂呂神社は3か所(松戸、流山)あり、他の場所もめぐってみたい。

整備されているものの、風格が残っていて、探索にはちょうど良い場所。社殿の背後には御嶽神社や、神泉である真名井もあるらしいが、今回は見逃してしまった。
パティスリー・アン
再び船橋駅の方を目指して歩いていると、船橋市立宮本小学校の門の近くでパティスリー・アンというお店を発見した。新しいお店のようだが、琥珀糖が気になり入店。

ロールケーキや焼き菓子など様々な洋菓子を販売しているようで、口コミでも高評価。お店の玄関に焼き菓子が置いてあるのみで、奥からケーキなどを注文すると運んでくださるそうだ。

探索に疲れた時の糖分摂取に欠かせないお店。

宮本小学校の隣にある邸宅
そして宮本小学校の西側にある邸宅が気になった。草木に覆われているみたいだけど、建物が古そう。

玄関先には古い昭和のランプ。これは松戸の病院建築で同じようなものを見た。
【松戸】大正ロマン?元病院らしき美しい魅惑な建物~根本眼科~


屋根についている装飾にもこだわりが見える。しかし過去の住宅地図を見ても特に何かあるわけではないので民家であると思われる。

商店街らしき千葉街道
一旦、大神宮下駅の近くにある道に出る。歴史の散歩道と表示があるように、このあたりには歴史スポットが多そうだ。

昭和31年の住宅地図を見ると、千葉街道と書いてある通り。大神宮駅入り口。

古そうな蔵を発見。隣にあった山崎燃料店の建物と思われる。

商店らしき建物が多数見えてきた。昭和62年(1987年)の住宅地図より手前から、明治牛乳、ミツ子美容室、神戸屋くつ店。

精肉店はすずいち商店。豚の看板がかわいらしい。

たばこは心の日曜日。という現代では到底使えないであろうメッセージがあるのは黒沢商店。

元々別荘地であったことを示す凌雲荘だけでも行ってみる価値はある探索であった。各駅停車で普段あまり降りることがない駅こそ、素敵な出会いが待っているかもしれない。
東船橋の素敵な病院建築はこちら!↓
3つの昭和の病院建築にうっとり。路地には船橋日活も。 -東船橋⑵
(訪問日:2020年9月)
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