3つの昭和の病院建築にうっとり。路地には船橋日活も。 -東船橋⑵

東船橋駅周辺、各駅停車しか停まらないために何もないと思っていたら勿体ない。実は東船橋が別荘地であったことは前回の記事でお伝えしたが、実は昭和の素敵な病院建築が3か所残っていると聞いた。
病院建築は独特な外観であることが多く、私は探索の時には注意して探している。今回は3か所もあるなんて…!とても珍しい記事になりそうだ。
船橋大神宮の脇道
千葉県船橋市宮本。1か所目は船橋大神宮の東側にあるという。最寄り駅は京成大神宮下駅、JR船橋駅からも歩いて行ける。私は前回の東船橋駅からの探索の続き。

大神宮下駅から北側にある鳥居の脇道を入っていくと、人通りの少ない細い道に入る。松井天山が描いた船橋町鳥瞰図。

閑静な住宅街だが、大神宮の裏側になにかあったかもしれないと思い、過去の住宅地図を開いてみたところ…!

昭和31年の住宅地図では「船橋劇場」があったことがわかった。その隣が森永牛乳、そしてこれから向かう川久保医院。人気の無さそうな道に劇場があったなんて。昭和38年の住宅地図では、「船橋日活」に。もしかしたら大人向けの映画館だったかも?
さらに昭和47年の住宅地図を見ると、その姿は無くなり、民家と「旅館渚」になっていた。その裏手には「旅館てるふじ」というのもあったらしい。なぜこの場所に2か所も旅館が…?
映画館があったのであれば相当賑わっていた通りだったのではないか。

入り口からして何かしらの営業をしていたと思われる建物も、「薬丸歯科」であると推測。

ますます病院建築への期待が膨らむ。ちなみに撮影していなかったが、緑色の窓枠のある手前の建物はクリーニング屋だったようだ。

川久保診療所
まず1軒目の川久保診療所は、内科小児科医院。エメラルドグリーンの窓枠が素敵だ。

現在も営業しているようで、綺麗な看板が残っている。

正面入り口には川久保病院と書かれたいかにも古そうな字体の木製看板。いつのものだろうか…全体的にエメラルドグリーンのようなタイルで囲まれていて、おしゃれである。

現在は歯科なのだろうか?なぜか大きく歯科と強調されている。

板見張りの木造建築。戦前からの建物ではないかともいわれている。

門柱が何ということか、崩れてしまっている。地震のせいだろうか。これは直すのも大変そうだ。

左側の門柱は無事。どういう積み方なのか、交差していて面白い。

2階は増築したのではないかと言われている。2階よりも高く伸びる木がこの場所の古さを物語っている。

内科・歯科川久保診療所とある。手前は駐車場だろうか。

倉庫のような入り口もかなり古そうだ。

2階を支えるように立つ太い柱。増築の際に立てたものだろうか。


隣の建物も病院の建物として使っていたのかもしれない。

山口産婦人科
川久保診療所を過ぎ、さらに道沿いへ進むと一見病院には見えない建物が左手に。

昭和31年の住宅地図を見ても「山口医院」として大神宮の敷地の傍にある。その後徐々に敷地を拡げていった。いつ開業し、いつ閉業したのかは不明。しかし、広告も見つけたのでかなりの規模の病院であったことは確か。


正面の入り口はコンクリート塀が高くて見えない。

正面の入り口に行くためには横から入る必要があるが、人目を隠すためなのか入りづらい構造になっている。

横から覗いてみた。現在は営業していないようだ。


入り口はまさしく病院。

よく見ると、昔の電話番号などのプレートが残っていた。

情報が全くないのでよくわからないが…
旧兼坂医院
3か所目の病院建築もすぐそばにある。


横から見るだけでも期待できる。

門柱には医学博士の文字。たまに見かけるが、医学博士と名乗っている表札も珍しい。

大正5年(1916年)の建築。

三角屋根は以前は朱色だったようだが、塗り替えたのだろうか。屋根も茶色から黒になっている。

西洋風の病院建築。

病院建築を探していたら、昭和の映画館にもたどり着くことができた。この通りがどのような賑わいだったのかについて写真などが無いかさらに調べていきたいと思う。
(訪問日:2020年9月)
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